巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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活地獄(いきじごく)  (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2018.5.25

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   活地獄(一名大金の争ひ)    黒岩涙香 訳

   第二十五回 教会に出かける瀬浪嬢 

 ここに又、銀行頭取上田栄三の家では、今迄毎日来ていた柳條健児が、鼬(いたち)の道を断ち切った様に、更に姿を見せないばかりか、絶えて音沙汰の無い事となったので、栄三の驚きは並大抵では無かった。

 初めは何かの都合があって、来るに来られない事になっているに違いないと、一日二日待って居たけれど、既に三日となり四日となっては、仮令(たとえ)その身は来られ無いまでも、手紙なりと寄越すべき筈なのに、それさえ無いのは理由があるに違いない。

 今までとは事異(変わ)って、瀬浪嬢と婚礼の約束が整ったばかりか、栄三の組合人となり、銀行の困難を救おうと堅い約束を結んだ後で、この始末は合点が行かないと栄三は待ち兼ねて、或夜柳條の宿を尋ねて行ったところ、宿では、

 「一週間ほど前の夜、毎(いつ)もの様に出て行ったまま、今以て帰って来ない。何用あって何所へ行ったのか、一向に分から無い。」
との返事である。栄三は痛く力を落とし、さては先日約束した大金が出来ない為、我に逢(あわ)す顔が無くて、その身を隠した者であるかと、一時は疑いの心を起こしたけれど、柳條の日頃の気質として、その様な賤しい振舞いのある者では無い。

 金が出来なければ明らさまに、
 「出来ない。」
と云い、男らしく断る筈である。それに彼の金と言っても、我より強いて請い願ったものでは無い。彼から進んで言い出した事なので、今更それが為め、逃げ隠れる道理もなく、それとも曾(かつ)て話した様に、地面を売って金にする為、その郷里ペリゴーまで帰ったものか。

 郷里に帰るのに、何の支度もせず、宿へも一言の言い置きも無く、毎(いつ)もの様に出て行くとは受け取れない。既に一週間も経った事なので、何れにしろ手紙ぐらいは来る筈である。それや是やを考え廻すと、よもや尋常(ただごと)では無いだろう。

 決闘の為め他人に殺されたか、もしくは何かの嫌疑を受け、不意に牢屋へ送られたか。牢屋ならば便りの出来ない事は無いので、吾に何とか知らせて来るはずだ。決闘ならば新聞に載せられるに違いない。左すれば全く心が変わり、態(わざ)と姿を隠したか。

 疑うだけ更に不審の事柄が多くなり、終に解く方法も無い迷いの雲に閉ざされた。日頃堅固に暮らす身なので、問い合わせる友達も無く、唯彼の町川のみは、広く世間の事に通じた男なので、彼を呼んで仔細を話すと、彼は秘密党に加わり、深い陰謀を企てる丈あって、以前から聾者(ろうしゃ)の振りをし、絶えず世間の噂を聞く者なので、彼(あ)のポード街の酒屋で、探偵風の二人の男が、話の中に柳條健児の名を挟み、又決闘とか人殺しの事をも語って居た事を思い出し、その事を栄三に告げた。

 是で栄三も探偵が柳條を捕らえたか、それとも柳條が決闘に殺されたか、此の二つに違いないだろうと思い詰め、最早や彼の事は亡き者と断念(あきら)める外は無い。その中もし牢屋から便りでもあれば、その上で施す手立てもあるだろうが、今は当なき事を当にする時では無いと、是からは全く思案を定め、深く一室に閉籠って、近日銀行を閉じる用意にと、古い帳簿などを取り出し、夜の更けるまでその調べに身を委ねるのみだった。

 今までの様に、瀬浪嬢にもその顔を見せる事は稀になった。栄三すらこの様な有様なので、嬢の嘆きは並大抵ではなかった。初めは他に増す花が出来たのではないかと、柳條を恨むばかりだったが、日を経るに従い、柳條の日頃の心を思い合わせると、その様な薄情な人では無い。

 だとすれば何かの過ちにでも逢って、その命を失ったか、命あるとも来るに来れない身となったか、此の二つに相違ないと、此の様に思って、恨む心は全く消え、唯悲しみの一念で、是れも我が居間に深く籠って泣き暮し泣き明かすばかりだった。

 後には涙も泣き尽くしたか、物をも云わず打ち鬱(ふさ)ぎ、父に逢っても顔を揚げず、顔を揚げても眼を開けず、両目の傍(ふち)に薄黒い隈(くま)取りが現れたのは、涙に染めた痕に違いない。

 頓(やが)て又様子は変わり、唯打ち鬱(ふさ)いでも仕方が無いので、この様な時こそ神を祈るの外なしと思ったか、朝な夕なに身を清め、柳條の為に余念もなく祈祷を捧げた。
 或朝の時であるが、嬢は静かに栄三の居間に入って来て、

 「阿父(おとっ)さん、今朝は会堂へ参ります。」
 栄三は強いて笑顔を作り、
 「オオ良くその気になって呉れた。お前に鬱(ふさ)いで許(ば)かり居られては、俺も此の世が物憂くなる。真実の心で神を祈れば、柳條から便りの無い者でも無い。」

 嬢「ハイもう阿父さんに泣き顔は見せません。」
 栄「オオ何うか爾(そう)して呉れ。気を付けて行って来るが好い。」
 嬢「ハイ、行って参ります。」
 嬢は此の語を残して、我が家を出て行ったが、外には往来の人も無い。唯向かい側の塀の下に、乞食の児かと思われる十二、三の顔色の青い子供が居た。

 物言度気(いひたげ)に嬢が方を眺めるので、嬢は恵みを請う者に違いないと、衣嚢(かくし)の内を掻き探ると、子供は恵みを受ける心なしと見え、その様を見て顔を背けたので、さては乞食では無いのかと、嬢は之より傍(わ)き目もせずそのまま会堂の方へと進んで行ったが、子供は四、五間(8~9m)後から嬢の後に従って行った。


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