ikijigoku46
活地獄(いきじごく) (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
ボア・ゴベイ 作 黒岩涙香 翻訳 トシ 口語訳
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活地獄(一名大金の争ひ) 黒岩涙香 訳
第四十六回 チャンスは今だ
探偵小根里は、角三が充分に聞き入る顔色を見て、乗り気になって言葉を進め、
「怪しい四、五人が忍び込みましたけれど、件(くだん)の痩せた男は、それと気付かず、余り老白狐の帰りが遅いから、手紙を書いて置こうとでも思ったか、テーブルの上に在る紙を広げ、何か少しばかり書き始めました。
此の時曲者は、戸の口まで忍び寄り、中の様子を窺って、彼の男が手紙を書いて居るから、的っきり老白狐と思ったか、ソレと云う合図と共に四、五人一時に飛び付きましたが、此の時硝燈(ランプ)が消えた為、何をしたか分かりません、暫(しば)しが程は唯ゴタゴタと騒ぐ音ばかりで、その中にソレ袋を袋をと云う声も聞こえましたが、頓(やが)て曲者は前の男を袋に入れたと見え、一同で擔(かつ)いで立ち去ったと云う事です。
三十三号の鑑定では、何でも老白狐に恨みのある奴が、老白狐と間違って、その男を袋に入れたのに違いないと云いますが、間違えられたその男こそ好い迷惑じゃありませんか。」
と言って、手柄顔に話し終わったので、角三は騒ぐ胸中押し鎮めて、
「そのゴタゴタと騒いで居る中に、件(くだん)の女、イヤサ男は声を立て相な者であったが。」
小「声を立てる暇がなかったと云う事です。何でも猿轡(さるぐつわ)でも食(はま)せたのでしょう。」
角「それから曲者はその男をを何うしたのだ。」
小「それから何うしたのか、三十三号も実は我が身が大事だから、追掛けてもし怪我でもするより、知らぬ顔で見ている方が安楽だろうと、曲者の立ち去る迄、息を凝らして潜んで居たが、その後は何のことも無いので、知らぬ顔をして立ち去ったと云う事です。」
角「立ち去って、それから老白狐にその事を話したのだろうな。」
小「イエ未だ話さないと云う事です。立ち去って直ぐ様警視総監の家へ行くと、老白狐は既に総監の許に行き、何か話して居るに由り、三十三号は此の時、老白狐はもう用事は無いだろうと思い、物をも言わずに帰って来ました。三十三号は此の時、老白狐の顔を見た切りで、それから今まで老白狐には逢わないので、固(もと)よりその事を話す暇もなく、それにその頃は政府が代替わりの時だから、もし迂闊(うかつ)な事を云って免職にでもなってはなら無いと、用心の為めその事は誰に向かっても口に出さず、私に話したのが初めだと申しました。」
角三は是だけ聞いて少し安心した様に、
「好し」
と一声呟(つぶや)いたまま、突(つ)と立って、部屋の中を右左に歩み始めた。歩みながら角三は何事をか考えて居るのだろう。手足の振々(ぶるぶる)と震える所を見れば、心中の騒ぎは一方ならずと察せられる。
ここに角三の胸中を写して見ると、彼れペリゴーに於いて、今井兼女に逢い、何事をも聞き出す事が出来なかったとは云え、中々の腕こきなので、既に棒田夫人へ宛てた第二の手紙に記した様に、兼女が彼(あ)の遺言書を、姪お梅に托して巴里に送り出した事を聞き附け、
更に彼れ是れと調べた末、巴里から兼女に宛てた手紙の来た事まで探る事が出来たので、彼れは探偵の能力を以て、その手紙が必ず鳥村槇四郎から出た事を察し、又鳥村が今だにそのお梅に逢う事が出来ないで居るため、態々(わざわざ)ペリゴーへ尋ねて来た事、鳥村は即ち柳條の従兄にして、大金の一条のことから、我が敵である事等、悉(ことごと)く探り知ったので、
此の上はお梅の後を尾けるのが一番だと、直ちに活発なる活動を始め、お梅の家の近傍に住んで居る人々は云うに及ばず、馬車会社の雇人からその辺に徘徊している乞食に至るまで、悉(ことごと)く問い合わせをした末、終にお梅が男の姿に化けて、巴里に入った事を知り、此の上は巴里を探す外なしと見極めて、隙(す)かさず帰って来た者である。
しかしながら、お梅は巴里に入ってから何所に行ったのか。多分柳條の家と思って鳥村の家に行ったのに相違ないと是だけは推量したものの、鳥村の家も知らず、又鳥村が何故にお梅に逢うことが出来ずに、態々(わざわざ)ペリゴーまで兼女を尋ねて行ったのか等は更に合点が行かず、独り心を悩まして居た折から、今幸いにも此の話を聞いて一切の不審は宛(あたか)も雲を払う様に晴れ渡った。
お梅は大事な遺言書を持って巴里へ来てからは、宿屋にも着かず男姿そのままで直ちに湖南街十三番地に尋ねて行き、折から鳥村が留守で、誰も居合せなかったので、その帰りを待って居るうち、運悪く曲者から老白狐と間違えられ、袋に入れて何所かに連れ去られたものである。
これまでは角三の心中は、星を指す様に分かったが、扨(さ)て此の後は何うしたら良いだろう。此の曲者は何者でお梅を何所へ連れて行ったのだろう。連れて行って殺したのだろうか。将又(はたまた)生かして隠してあるのだろうか。彼れがもし、己が何人から憎まれて居るかを考えたなら、己を袋に入れて運び去ろうとしたのは、何者であるかをも悟る事が出来る。そうすれば我れよりも彼れこそ、お梅の在り家をたずねるのに都合の好い身の上である。
鳥村が何人に憎まれ居ているかや、彼(あ)の曲者が何者であるかは鳥村の外に知る者は無く、従ってお梅が連れ去られて行ったのは鳥村でなければ推量する事は出来ない。角三は是まで考えて来て、非常に失望したけれど、やがて又考え直し、イヤイヤ鳥村は未だ三十三号に逢って居ないから、お梅が曲者に取り去られた事を知る筈が無い。だとすれば我は今彼の元に行き、お梅の在り家を知る丈の手掛かりを告げるから、吾に百万法(フラン)を与えよと云えば、彼は承知しない筈はないだろう。
もし三十三号が彼に逢い。曲者の一条を話し聞かせれば、彼れは直ちに本末を悟り、我が計略は外れるけれど、まだ三十三号が彼の許を訪ねない中、我が先に彼に逢えば、彼れ必ず我口からお梅の手掛かりを得る為、山分けの約束をするだろう。今までは柳條を相手にしていたが、今は一足の間違いで鳥村に勝を得る非常に際疾(きわど)い場合なので、柳條を捨てて鳥村に附くのが最善だ。
鳥村に逢って、君と我とは同じ遺言書を探す身である。互いに敵となるよりは、共に味方となり、力を合わせるのに損は無く、力を合わせ、その儲けを山分けとすれば、我に損なく君に益あり。君もお梅の有り家を知らないが、君は我が知らない所を知り、我は又君が知らない所を知って居る。
二人の知る所を付き合わせれば、お梅の居所は直ちに分かるだろうと云えば、彼は満更の野暮では無い。我が目的は成就するだろう。」
と角三はここに思案を定めたが、この様に定まったからには、唯三十三号が鳥村に逢わないうち、我がその先を越して、彼に逢うしかない。
一刻の猶予もならず、是から直ちに出て行こうと、角三は早やその支度に掛かった。
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