巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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活地獄(いきじごく)  (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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   活地獄(一名大金の争ひ)    黒岩涙香 訳

   第四十七回 鳥村の許へ

 

  競馬は唯一足で勝負を決し、掛引きは唯一刻の違いで敗れる事あり。況(ま)してや仏国第一等の探偵と聞こえた老白狐鳥村槇四郎を相手とし、二百万法(フラン)を争って居る栗山角三にして、何で要もない猶予を為すべきか。だから彼れは瞬く間に思案を決し、今は唯鳥村に逢う外はないと、手早く身支度を整えて、傍に在る下等探偵小根里に向かって、

 「俺は一寸其所まで出て来るから、俺の帰るまで待って居ろ。」
 古根里はその気を察して、
 「それでは今私の話した事が、非常な手掛かりになったと見えますな。そうならそうでそれだけの褒美を戴かなければ。」
と、際疾(きわど)い所で強談(ねだろ)うとする。小根里も中々の強者(つわもの)である。

 角「イヤ、手掛かりに成るか成らないかは行って見なければ分からないワ。帰った上で褒美は何うともする。好いか、俺の帰るのを待って居ろ。帰った上で直ぐに又何の様な用事があるかも知れない。」
と云い捨て、後をも見ず角三はそのまま家を飛び出して、通り合す馬車に打ち乗り、

 「サア馭者(ぎょしゃ)、値は幾等でも遣るから、大急ぎでグランズ街まで遣って呉れ。」
と命じた。グランジ街は鳥村の妾宅である。栗山角三は以前から鳥村の気質を察し、彼れは極めて探偵に巧みであるが、又極めて怠者(なまけもの)であることを知っているので、昨日ペリゴーから帰って以来、その本宅へは立ち寄らず、今まだ妾宅に在るだろうと考え、

 更には、時はちょうど昼食の刻限なので、鳥村が食後未だ添田夫人の顔を眺め、雑談しているに相違ないと、充分の見込みを附けて馬車を走らせると、僅か二十分ばかりにしてその家の前に着いたので、角三は臆面もなく玄関に進み入り、案内の鈴を鳴らした。

 之までは事なく漕ぎ付けたけれど、扨(さ)て如何にして取次を請うたら好いだろう。我が名を告げれば面会を断られるかも知れない。だからと言って、警視総監からの使いとも偽(いつわ)り難い。それに彼れは此の家では、如何なる名前を用いて居るのだろうか。

 真逆(まさ)か老白狐でも無いだろうし、又実名の鳥村で分かるはずだとも思われないと彼是思案する間も無く、早や小女が取り次ぎに出て来たので、角三は思い切って、
 「旦那にお目に掛かり度い。私はペリゴーから来た者だが。」
と云う。鳥村は之を聞けば必ずペリゴーに居る公証人が来た者と思い、万事を捨て置いて面会するに違いない。稍々(やや)あって小女は再び現れ、

 「何うぞ此方へ」
と招じ入れたので、角三はその後に従って行くと、喫煙室と食堂を兼ねたかと思われる、非常に立派な部屋へと通された。室内の様子を見ると、片隅に長椅子二脚を置き、一方の棚には酒器などをも並べてある。余ほど親しい人でなければ、此の部屋には通さないに違いない。

 角三は恰(あたか)も全権公使が、敵国の外務大臣に面会する様な気持で威儀を正し、重々しく椅子にに腰を下ろしたが、是こそ角三と鳥村とが公然名乗り合って、活動を始める発端である。平和の条約となり山分けの相談が調うか。平和破れて戦いの元となるか。唯角三の掛け引き一つに在る者だから、角三も気が気では無い。

 交渉の初めから、余りに我胸の中を打ち明け過ぎては、敵に我が秘(かく)している所を大方は察せられ、その上彼に侮(あなど)りを受けるだろう。それだからと言って余り包み過ぎては、彼の疑いを招き、何の甲斐もなくして終わってしまう。

 実に掛け引きは微妙な腫物に障る様なものである。此の時、合いの入口を開いて鳥村は徐々(しずしず)と入って来て、角三の顔を見るや否や、
 「ハハア、ペリゴーから来たと云うから、必ず貴方だろうと思い、金縁の眼鏡を掛けた人じゃないかと取次の小女に問いました。」
と意外に慣れ慣れしく口を開いた。

 角「そう慣れ慣れしく仰って下されば、大いに用向きも言い出し易いと云う者です。」
 短兵急に早や我が用事の緒口(いとぐち)を開こうとする。
 鳥「イヤ貴方が金眼鏡の上から、私を眺めるその目付きが変だから、必ず何かの用事だろうと思いました。」
と云いながら、酒器棚の方を見廻したが、先ずお互いに此のままでは話も出来ない。一杯酌みましょう。」
と云う。

 此の様子を見れば、彼れは既に食事中幾杯をか傾けた者に違いない。角三は鳥村の気質を知って居る。彼れは一通りの酒好きで、酔いは益々その口を軽くする男である。我も心を許した様に見せ掛け、その実彼を酔わせるのも一策かも知れない。

 角「此の頃の酒は兎角甘味が勝ちますので、私しの口には叶いませんが。」
 鳥「是は面白い。甘味が勝つから旨くないとは、貴方も中々話せます。幸い古製のブランデーがありますから。」
と云いつつ鳥村は自ら立って、一瓶を携えて来て早くも一杯を角三に酌(つ)ぎ向けた。角三は一口呑んで、

 「結構です」
と舌鼓(したうち)すれば、鳥村も喜んだ様子で、
 「イヤこうして再びお目に掛かると知れば、ペリゴーに居るうち充分打ち解けて置く所でしたが、しかし貴方は何して私の住居を御存知です。矢張り蛇の道は蛇ですか。」

 角「何う致しまして。蛇の道は蛇などと自分で知る事は出来ません。唯貴方と同じく警察に奉公して居る者から聞いたのです。」
 鳥「ハハア成る程」
と罪もなく受け答えるけれど、
 「早や我が国事探偵である事まで探ったか。」
と実は驚いた様子だ。角三は此の図を外さず、

 「イヤもう貴方が警視庁で最も幅の聞く事は、今までのお手並みでも分かりますが。」
 鳥「イヤ是は恐れ居るけれど、先ず貴方が態々(わざわざ)私の住居をお尋ねなさった用向きは。」
 角「その用向きの事ですテ。極々腹蔵なく申しますが。」

 鳥「それがよろしい。腹蔵は私も大嫌いな方です。無論唯のお付き合いに、お出でなさったのでは無いでしょうから、サア腹蔵なく。」
 角「心得ました。話しますとも、鳥村さん。」
 鳥「感心感心、既に本名までお探りなさった所を見れば、中々貴方もペリゴーで抜け目がなくお働きなさったと見えますな。」

 二人は面(おもて)には充分打ち解けたけれど、腹の中は如何なる状況か分からない。是から引き続く二人の対話(はなし)を見て知る外は無い。


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