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活地獄(いきじごく)  (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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   活地獄(一名大金の争ひ)    黒岩涙香 訳

   第五十七回 お梅の供養として
 
 上田栄三は秘密党の首領とも推されるだけに、素より決然たる一男子であるのに、今は何故友人町川の熱心に引替え、心迷って決められないで居るのだろう。彼は殺したと思って居た老白狐が、まだ生き存えているのを見、其の身代わりに罪もない者を殺したと気附いてから、後悔の念止み難く、その時若し柳條健児が言った様に、袋を解いて、その顔を検めたならば、此の様な過ちも無かっただろうにと、只管(ひたすら)我が身の罪深いのを感じ、殊に又此頃に至り、その身代わりの実はお梅である事を聞いてからは、万恨胸に迫りって、殆ど身を安んずるに所がないまで深く悔い、深く悲しみ、今はお梅の名を聞くだけで腸を断つ想いがするのである。

 罪滅ぼしの道とあらば、如何なる事をも厭わないけれど、更に又手を下して、お梅の死骸を発(あば)くことは忍びない所に違いない。それで町川が迫込(せきこ)んで、
 「柳條が許される前に、鳥村が遺言書を奪ったならば何うする。」
と問い詰めるが、栄三はまだ決心が着かず、

 「鳥村は未だお梅の事を知る筈がないテ。」
と答えた。町川は短い首を突き出して、
 「君の様に悟りが悪くては困るよ。既に我が党員の長谷川と云う奴が、老白狐の許へ自首して出たと僕が探って注進したではないか。

 長谷川はアノ夜、老白狐を捕縛に行った一人だぜ。それで老白狐と鳥村と同人だと云う事も既に君の知る通りサ。而(し)て見れば鳥村は我が身代わりに立った者が、袋のままで穴の奥へ埋められた事を充分に知って居るのだ。」
と理を押して説き分けると、栄三も暫しがほど答えに窮する様子だったが、稍々(やや)あって、

 「成る程、それは知っても居ようが、その身代わりがお梅だと云う事は未だ知るまい。」
 町「ソレ、又してもその様な事を云う。それを鳥村が知らなくて何とする。君良く考え給え。鳥村が兼女を呼び寄せる為に、柳條の名を騙(かた)って手紙を出し、湖南街十三番地へ尋ねて来いと言って遣った事は、既に確かな証拠があるぜ。

 自分が呼び寄せたのに来ないから、それで今までも怪しんで、態々(わざわざ)ペリゴーへ出掛けて行ったり、様々に骨を折って居たと云う者。所が長谷川から実は是々(これこれ)と聞いたから、扨(さ)てはお梅が、己の身代わりに立ったかと、直ぐに気の附く筈ではないか。

 況(ま)して君、鳥村は此頃警視総監直轄の探偵で仏国第一等と云われて居る男だもの。是くらいの事が分からなくて何としよう。彼れは必ずお梅が我が代わりに捕らえられ、袋のままに運び去られて。」
と滔滔(とうとう)と弁じ去ろうとすると、栄三はお梅の最後を聞くのさえも厭(いと)う様に顔を顰(しか)めて、

 「イヤその後は云い給うな。分かった分かった。」
 町「それ見た事か。分かっただろう。既に分かったとして見れば、最早(もはや)異存もない筈だ。此のまま捨てて置けば、金満中佐の遺産を、鳥村に取られて仕舞い、正当な相続人である柳條健児は、一文も取る事が出来ない。それを知りながら黙って居るのは、友達の情に背くと云うものだ。」

 理路整然とした言い分に、栄三も全く説き伏せられた様に、突(つ)と立ってテーブルを離れ、二三回部屋の中を歩るいたが、突然又町川の前に留まり、
 「何してもお梅の死骸を掘り出さなければ成らないのか。ナア俺を恨んで、歯を食い〆て死んで居るだろうか。その死顔を見なければならない事になるとハ。」
と言い掛けて嘆息した。

 流石の町川もその心中を察しては、秘かに涙が押して来るのを覚える。けれど心弱くては叶わない場合と空嘯(うそぶ)いて控えているのは泣くよりも尚辛いに違いない。栄三は又一回りして立ち留まり、
 「アア何しても俺の罪だ。柳條がアレほど言い争ったのに聞き入れず、彼れを掴み出させて、その後で直ぐに埋めて仕舞えと俺が命じた。今はその報いが来たのだ。アア仕方がない。」
と声を出して打ち嘆く。その顔を見上げると、額に玉の汗を流している。町川は又も栄三の心を引き立てようと、

  「上田君、実に是が天の配剤だ。罪なき者を殺した罪で、此の様な事になって来たけれど、人違いと知って埋めた訳ではなく、全くお梅の運が悪いのだ。君も先日来打ち萎(しお)れて居る所は、必ず後悔の念に迫られるからで有っただろう。是ほど後悔すれば、君の罪も大方は亡(滅)びたと云っても好い。只此の上の功徳には、お梅の望みだけでも満足させて遣るのが好いだろう。

 一旦殺した者を今更生き返すと云う事は出来ないけれど、切めてはその生前の望みだけでも叶えて遣るのが、時に取っての追善と言う者だ。先ず気を鎮めて考え給え。お梅は只遺言書を柳條へ渡し度い一心で、此の巴里へ遣って来たのだ。死んでも遺言書が柳條の手に入らないうちは、その亡魂(なきたま)が安心しない。

 お梅の死骸に、若し声があれば、君に向かって、
 「早く此の遺言書を掘り出して呉れ。早く柳條に渡して呉れ。」
と叫ぶだろう。それでもまだ君が掘り出すのは否だと云うならば、君はお梅を殺したばかりでなく、その亡き魂まで苦しめると云う者だ。迫(せめ)ては亡き魂だけも救って遣る心は無いか。」
と充分に栄三の弱みを攻ると、栄三も初めてここに奮発し、手を差し延べて町川の手先を握り、

 「町川君、実に良く云って呉れた。成るほどその遺言書を掘りだして柳條に渡すのが、唯一つの罪亡ぼしだ。それを僕が否と云っては罪の上に罪を塗るのだ。サア行こう。来たまえ。」
と今までとは打って変わった。町川は痛く喜んで、

 「それでこそ僕の言い甲斐もある。ナニ穴の中へ這い入れば、何も彼も僕一人で遣り、決して君にお梅の顔は見せない。鍬を二挺用意したのも、君に掘らせる為ではなく、若し一挺が折れた時の掛け替えだ。万が一穴の中で島村に出会(でくわ)すかも知れないから、君はその時の用意に唯見張り番をして呉れれば好い。是も用心だから短銃を持って行きたまえ。僕は既に腰の辺に二挺の短銃を附けて居る。サア来たまえ。」
と打ち連れて二人は銀行を忍び出た。

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