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決闘の果(はて)(三友社 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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     決闘の果   ボアゴベ作  涙香小史 訳述

        第十一回 思わせぶりな森山嬢

 「私は桑柳を愛しません。」
と言う森山嬢の言葉と、「嬢は君を愛して居る。」と言った桑柳の言葉は、大谷長寿の身に取って大切な二つの謎であるが、大谷は其の謎を解くことは出来なかった。非常に真面目な顔で、嬢に向かい、
 「しかし貴女が桑柳を愛さないとは。」
 嬢「ハイ、私は桑柳を親友として愛しますけれど、我が情夫、我が夫として愛する心は有りません。しかし私の心では、何うか桑柳を幸いにして遣りたいと思い、又一つには母が桑柳、桑柳と言いますから、その言葉に従って結婚の承知をしたのです。

 今は愛する心が無くても、夫婦に成って暮らす内には、自然と愛する様に成るだろうと、そう思って居りました。若し桑柳にその心を打ち明けて言ったなら、桑柳は失望の余り自殺するかも知れないので、成るべく隠しては居りましたけれど、ツイした事から、桑山はそれを察して、終に死ぬ気に成ったのです。

 私がそれを悟られまいとして苦心したのは、何れほどか知れませんけれども、終にそれを見破ぶられたのは、全く桑柳と夫婦になる縁が無いと言う事でしょう。」

 大谷は既に桑柳の死を知らせたからは役目は是で済んだ。此の上長居すべき時では無いと、衣嚢(かくし)から桑柳の手帳と共に嬢の写真を取り出し、
 「是は貴女から桑柳に送った写真ですが、今ここでお返し申します。此の通り貴女の自筆で、『我が未来の夫に贈る。森山嬢より』
と書いて有りますから。」
と言いつつ指し出すのを嬢は受け取らず、

 「イエ、一旦贈った者を受け戻す筈は有りません。」
 大「と仰(おっしゃ)っても私が預って置く筈も無くーーーー。」
 嬢「それでは貴方のお手で焼き捨てて頂きましょう。」
と押し返す嬢の言葉と言い様子と言い、何と無く奇妙なので、大谷は怪しんで、その顔を眺めると、嬢は寧(むし)ろ恨めしそうに、

 「貴方は私が桑柳の死んだのを悲しまないからと言って、怪しくお思いなさるでしょうが、私は何と思われても厭(かま)いません。私には又私だけの考えが有りますから、ハイ、誰も私の心の中を知りません。貴方は素より、母さえも知らないほどですもの。」
と言って、暫(しば)し途切れ、又も息を継いで、

 「私は此の世に楽しみはもう有りませんから、明日から尼寺でも入ろうかと思いますけれど、御存知の通り母が長々の病に罹(かか)り、少し驚く様な事が有っても、直ぐその病気に障(さわ)りますからーーー。」
 大「イヤ御尤もです。私もそう思ったから、母君には何も言わずに参りました。」

 嬢「オヤ貴方はもう母にお逢いに成りましたか。それで何も言わずに居て下さったとは、実に有難く存じます。貴方なら必ずそうまで察して下さるだろうと思いました。」
 大「ですけれど何時までも隠して置く事は出来ないでしょう。」

 嬢「イエ、決闘で死んだなどと知らせるには及びません。追々に私から桑柳を思い切ったと申します。何故思い切ったかなどと、様々の事を問いましょうけれど、私と桑柳とは財産が違いますから、釣り合わない縁は、世の人に悪口を言われる元だと言い聞かせます。イエ本当にそうですよ。本多が私の事を悪く言ったのも、全く私と桑柳とが、財産が釣り合わないからの事です。此の後又もその様な事を言われるのは厭ですから。」

 大「しかし此の後、若しその様な事でも言う奴が有れば、決して私が許しません。既に桑柳も我が無き後は、充分に嬢を保護して呉れと言いながら死にました。」

 嬢「イヤ貴方の御気性で必ずその様に保護して下さるで有りましょうが、若し又私の名誉の為に決闘でもする人が有れば、私は自分の身に言い訳が有りません。取分け又貴方が決闘に倒れる事でも有れば、私は自分の身を責め死んで仕舞います。」
と非常に熱心に述べ立てるのに、大谷は驚いて目を見張った。

 嬢は又はっと気が付いた様子で、自分の顔に現れる深い心を悟られまいとする様にその顔を背けた。大谷はそうとは知らないので、ただ嬢の心を慰めようとして、
 「イヤ他人が決闘するのは、仮令(たとえ)貴女の為にもしろ、決して貴女が無理にさせる訳で有りませんから、その様な御心配には及びません。」

 嬢「イエ、私と付き合う殿方は、皆不幸な事に成ります。私の身は殿方に不幸を掛ける様に出来て居ると見えますから、私は明日からして今までの行いを改め、唯細工物ばかりに身を委ねます。そうすれば不十分ながらも、母と二人で不自由なく暮らされますから。」

 大「ですが、事に由ると桑柳の遺言状の中に、財産を貴方に譲り、お二人が生涯安楽に暮らす事の出来る様に、手当をして有るかも知れません。」
 此の言葉も嬢の心には入らないと見え、

 「オヤ、貴方は私が桑柳の財産を受けると思いますか。一旦夫婦に成ったとでも言うなら又別ですが、唯婚約をした丈で財産を受け継ぐ抔(など)とは人情に背きます。若し桑柳がその様な書置きでもして有れば、私は焼き捨てます。私は訳も無くして富貴の身になるのを好みません。」

 流石清き令嬢である。若し桑柳の財産を受け継いだならば、生涯人に敬われて暮らすに足るも、嬢は之を受けようとしない。大谷もその潔白の心根に感じ、

 「イヤ貴女がそれほどに仰(おっしゃ)れば私も捨てては置けません。捨て置く日には、その遺言が何所にあるか分かりませんから、財産は親類の者が分取る事に成りましょう。桑柳から私に書き残した手紙には、丁度肝腎の字が弾丸に射貫かれ、その遺言状が唯「〇の中に在り」と言うだけで、何の中だか更に分かりませんから。」

 嬢「それは返って私の為に仕合せです。私は貧家の女と同様に身を落として稼ぎます。交際も大抵は断り尽くし、伯母である福田夫人の夜会より外へは、行かない事に致しましょう。」
 大「しかし福田夫人の夜会には、敵の本人本多満麿も招かれて行きますから、貴女は同人に顔を合わせる様な事が有るかも知れません。」
 
 嬢「イイエ、私は既に本多が私の悪口を言ったと聞いた時に、伯母の家へは本多を寄せ附けない様に仕て呉れと頼んで置きました。貴方こそアノ春村夫人の家へ屡々(しばしば)入らっしゃるから、本多にお逢い成さるのは必然です。貴方はもう夫人の家へは入らっしゃらない事にするか、そうでなければ夫人に本多の出入りをお禁(とめ)させ成(なさ)る事は出来ませんか。」

 何故に嬢は此の奇妙なる言葉を吐くのだろう。大谷は怪しんだけれど、
 「ハイ死んだ桑柳に対しても、彼の本多と交際するのは友達の義理で有りませんから、成るべくは遇わない様に致しましょう。しかし今日は貴女の悲しみをも察せず、飛んだ長居を致しまして。」
と大谷は程好く分れを告げたが、嬢の母なる森山夫人の居間には再び入って行くことは出来ない。廊下伝ってその儘(まま)外に立ち出た。

 アア大谷は木石では無い。嬢が今まで言った言葉の節々を味わう時には、彼(か)の謎を解くのも難かしくはない。「本多に逢うことを避けるが為、春村夫人の所に行くな。」と言う様な語気であったが唯だ事では無い。大谷は之を察する事が出来ないか。察する事が出来ないのでは無い。察するのを好まないのだ。察しても我が心の内で打ち消したのだ。



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