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決闘の果(はて)(三友社 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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     決闘の果   ボア・ゴベイ作  涙香小史 訳述
         

       第十二回 春村夫人と大谷

 大谷長寿と森山嬢との面会は互いに心の隠し合いとも言うべきか。嬢は大谷を愛すれども十分にその心を示す事が出来なかった。大谷も嬢の心を悟らないでは無かったが、自ら打ち消して反(そ)らした。両方とも我心が我顔色に現れるのを恐れ、十分に話を尽くさずに顔を背けて分かれた。

 大谷が、若しもう一分間廊下に猶予して居たならば、嬢が長椅子に身を投げ掛け、そぞろ忍び泣く声を聞いたに違いない。嬢は実に大谷の立ち去るのを待ち兼ねて泣き出し、我が身が愛する人に愛せられずして、生涯夫を持つまいと誓った、その不幸を嘆いたのだ。

 しかしながら大谷は、逃亡(にげ)る様に嬢の所を立ち去ったが故に、嬢が泣いた悲しみを知らない。
 唯、私は桑柳を愛さなかったと打ち明けた嬢の本心と、私は桑柳の遺産を受けませんと言い切った、その潔い気性を見て取っただけだった。思うに、思う事は知られずに、思っても居ない事は察せられる。何とも言いようが無い浮世の常と言うべきか。

 さて大谷は我が家に帰ってからも、嬢の清い姿がまだ目に見える心地がしたが、我が身にはこれよりも深く心に掛かる事がある。それは外ならない桑柳守義の死骸である。死んだ儘(まま)で小林康庵に打ち任せて帰ったけれど、警察その外の手続きを、滞りなく済ましただろうか。いやもう小林が帰って来る時間のはずだと、夜の八時過ぎまで待ったけれど、音も沙汰も無い。

 八時には以前から兄弟の様に親しんでいる春村夫人の所に行く筈なので、これ以上待つ事も出來ないと、又その衣服を更(改)めて夫人の屋敷を指して行った。この春村夫人と言うのは、既に記した様に、当時交際社会に持て囃(はや)されている、若寡婦(未亡人)である。

 その気性は文明社会の女侠客とも言えるほどで、何かに付けて弱きを助け強気を挫(くじ)き、自ら誇るのでは無いが、男の様な気風を備え、毎週水曜日を以て面会の日と定め、広く紳士社会に交際を求め、我こそは二度目の夫と為らんと言って、言い寄る者も多いだろうに、

 「未だ我独身の自由を捨て、我君として仰ぐほど気の合った人が無い居ない。」
と堅く心に操を固めて居て、絶えて艶(なま)めいた話を聞かない。
 多数(かずおお)い紳士の中でも、取分けて大谷長寿と親しくして居るが、大谷は、
 「生涯妻を持たず、唯安楽に世を送ろう。」
と決心していて、この事を夫人に話すと、夫人も又、
 「生涯夫を持たない。」
と言って、
 「私と御身は同じく結婚を嫌うだけに、既に気性が合う者だから、隔てなく交わろう。」
と言い、又、
 「私も御身も、若し独り暮しに飽きることが有れば、その時こそは夫婦と為ろう。」
などと、一種風変りな事を言って憚(はばか)らず、人にも話して居る。

 二人とも自ら恋知らずと名乗って居るが、互いに一日逢わない時は、何と無く物足りない心地がするのは、既に我知らず愛し合う者では無いだろうか。しかしながら夫人を妻にしようと申し込んで退けられた紳士の中には、
 「大谷こそ夫人の密夫に違いない。」
と言う者も有るが、大谷は密夫では無い。全く清き親友である。

 又中には深く大谷の清きを信じ、否夫人には外に愛する男が有ると言って、内々夫人の挙動に目を附ける者もあれど、誰れ一人捜し当てた者は居ない。夫人は十余人の雇人に給仕せられる身分なれば、若し隠し男が有ったなら、忽ち下女下男の口に掛かり、世間に噂が洩れる筈である。少しも悪しき噂の無いのは、夫人んの行いの潔白な証拠に違いない。

 それはさて置き、大谷はやがて夫人の屋敷に到り、その玄関に音なうと、何時もの取り次ぎの者が出て来て、夫人が先刻から待って居る旨を告げたので、早速上って行って夫人の部屋に入ると、夫人は椅子を離れて大谷の手を取りつつ、

 「今夜はもうお出でが無いかと、実は断念(あきら)める所でした。取分け貴方の親友が無くなった事も聞きましたし。」
 大「ヤ、もう桑柳の死んだ事を御存知ですか。」

 夫「知って居ますとも、何時になく貴方が二日もお見えになさらないので、何か決闘の事柄にでも関係なさったのではないかと、大方推量して居る所へ、先程又散歩の帰りに、仕立て屋へ寄りましたところ、丁度福田老夫人もその仕立て屋へ来て居まして、桑柳が決闘で死んだと言いました。」

 大「ヘエ福田夫人が、ハテナ、何して決闘の勝負を知ったのだろう。実に不思議だ。」
 夫「でも老夫人は桑柳さんの婚約者とか言う森山嬢の伯母さんでしょう。」
 大「左様、伯母は伯母ですが、それにしても我が姪の夫ともいうべき者が殺されたと知りながら、その日直に仕立て屋などへ行くとは、余り遠慮が無さ過ぎます。」

 夫「そうですね、私もそう思いました。それに少しも悲しむ様子が無く、丸で芝居の話でもする様に面白がって話しました。尤もアノ夫人は、日頃からその通りの気性の様では有りますが、でも森山嬢は何うしました。私は今夜その事を聞きたいと思います。」
と言いつつ大谷に椅子を与え、自分もその真正面へ腰を掛けた。



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