巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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決闘の果(はて)(三友社 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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      決闘の果   ボアゴベ作  涙香小史 訳述

        第十六回 夫人には知らせるな

 桑柳守義を殺した敵の本人、本多満麿が春村夫人の裏庭に忍び込んだと聞き、その理由は分からないが、孰(いず)れにしても捨てて置くべき事では無いので、大谷長寿は飛び上がり、夫人に事を知らせようとして、早や走って行こうとする。小林は大谷と違い、非常に考えの深い男なので、後ろから抱き留めて、

「君暫く待ちたまえ、余り周章(あわて)は取返しの附かない事にも成るから。」
大「ナニ、取返しの附かない事になど成る者か。君放したまえ。コレ放さぬか。グズグズしてこそ却って取返しの附かない事にも成る。ナゼ留める。コレ放したまえ。」

 小林は中々放さず、イヤ落ち着いて考えたまえ。本多満麿も紳士社会の片端で有って見れば、たとえその根性は曲がって居るにもしろ、真逆(まさか)盗みなどする筈は無い。シテ見れば今夜忍び込むのも、盗みより外に目的が有るのだ。君その目的を何と思う。

 殊に此の裏門は君の言う通り、数年来堅く鎖(とざ)して、誰も出入しないと有ってみれば、容易に入り込まれる所で無い。それだのに本多が易々と入り込んだのは、何う言う訳だ。即ち彼奴が合い鍵を持って居るのだ。既に僕が見た所でも確かに鍵を以て開けたのだから、是は充分考え物だぜ。

 若し彼奴が何か訳が有って、春村夫人から内々鍵を任されて居たならば何とする。人知れず裏庭へ忍んで来いと言う約束でも仕て有ったなら何うするのだ。」
 此の道理ある議論には大谷も悸(ぎょ)っとして踏んだ足の力さえ抜けたが、それにしても夫人に限りその様な事は、有る筈が無いので、

 「イヤその様な事は決して無い。君は夫人の操を疑い、夫人が本多を密夫にして居ると思うか知らないが!」
 小「イヤそうは思はない。固(もと)より夫人は夫の有る身では無し、浮気をしようと何をしようと、気儘(きまま)勝手の身分だから、愛する男が有ってもナニ裏門などから忍ばせるには及ばない。

 公然と夫婦の披露をする事も出来る。それだから僕は本多を夫人の蜜夫とは思わない。しかし何か深い仔細が有るだろう。今君が親切めかして夫人に此の事を知らせた爲に、若し夫人が喜べば好いけれど、却って迷惑をする様な事にでも成れば、それこそ君は藪を突いて蛇を出すと言う者だ。」

 大「ナニ夫人が迷惑をする筈は無い。君は未だ夫人に逢った事が無いから、詰まらない事を言うけれど、既に夫人は森山嬢を助ける為に、本多の出入りを差し留めると迄に言って居る。サアその本多が夫人の邸(やしき)へ忍び込んだと有って見れば、僕は夫人に対する友人の義務として、黙っては居られない場合だ。」

 小「そうでは無い。友人の義務として返って黙って居なければならない。女の名誉と言う者は、少しの事で傷が附く。今若し君が夫人の屋敷へ踏み込んで、萬一本多と顔を合わせる様な事にでも成って見たまえ。君も黙って退(ひ)く訳には行かないから、終には下女の耳にも入り、世間の人の口にも掛かる。

 そうなっては取返しが附かないでは無いか。このままソッと見逃して、明日でも何時でも夫人の屋敷へ行った時に、それとは無く裏庭に出て、潜りの戸を検め見るが好い。葛が一面に搦んで居たと言うから、人が開けたものか、開けないものか、一目見て分かるだろう。愈々(いよいよ)開けたと分かったなら、その上で又何故に誰が入ったと言う事を、ゆっくり調らべれば好い。」

 大「でも君、それでも君。」
 小「イヤ、でもの何のと言うには及ばない。その上僕の考えでは未だ深い仔細が有る。今君からして事を荒立てては返って本多の罠に掛かり、益々夫人を苦しめる事に成らないとも言われない。」
 大「それは又何う言う訳で。」

 小「イヤ、外でも無い。アノ本多と言う奴は思ったより悪人だ。此の度の決闘なども、好く好く考えて見れば、何の様な不正の手段を用いたかも知れないけれども、それはここで言う事では無いとして、兎に角非常な悪人だから、事に由れば夫人の名誉を傷つける為に態(わざ)と此の様な事をするのかも知れない。

 僕も瓦斯の明かりで初めて彼奴の顔を見た時は、余り喫驚(びっくり)して深く考えずに後を尾けたが、今良く思い直して見れば、彼奴め、僕の見て居る事を知って、故(態)と顔を見せたのでは無いかと思われる。その訳は僕に夫人の操を疑わせ、それからそれへと言い触らさせて、夫人の名誉を損(おと)すと言う、随分世間に在る手段だ。

 若し彼奴の目的がそうで有るとして見れば、君がここで騒ぐのは我から求めて彼奴の思う壺に陥ると言う者。君が首尾好く彼奴を捕らえ、警察にでも引き出して見たまえ、警察では真逆(まさか)に泥坊とは思はないから、必ず夫人の密夫と認める。

 それで彼に尋問すれば、彼は宛も夫人の名誉を保護する様に見せ掛けて、たとえ何の様な罪を受けようとも、この言い開きは決して致しませんと、こう断然と言い切れば、誰もがもう彼奴を褒め、流石は紳士だ、我が愛する女の名誉を傷附けるのを嫌い、何う責められても言はずに居ると、こう評するのは目に見えて居る。

 そうなれば夫人は直ちに巴里中の評判と為る。是が即ち彼の目的で有るかも知れない。悪人の心と言う者は何の様な所に在るか決して我々の想像も届かないから、君、必ず止したまえ。この場は大目に見過ごしたまえ。今夜黙って居たからと言って、それが爲に君の義務が欠ける訳でも無く、又後々ゆっくりと調べる事が出来ない訳でも無いから、呉々も早まりたまうな。」
と道理を推(お)して説き諭せば、大谷も物事に悟りの早い男なので、

 「成る程、君の節も一理ある。夫人は決して本多などを密夫にする様な女で無いから、本多の方に深い目的の有る事に違い無い。君の言葉に従い緩々と詮議する事にして、今夜はお互いに草臥(くたび)れた事でも有るし、我が家へ帰って休むとしよう。」

 小「それが好い、それが好い。実は今夜君に警察や死骸の始末を話し、安心させ様と思って来たけれど、別に話す程の事でも無い。明日又緩緩逢う事にして、今夜は君も帰りたまえ。」
 是にて二人は各々自分の馬車へと乗ったが、大谷は我が家へ帰り着くまでに馬車の中で、

 「フム、何うも合点が行かない。小林の鑑定通り本多が夫人の名誉を傷つける爲か、左も無ければ夫人は恋知らずと触れながら世間を欺いて居るのだ。女ほど油断の成らない者は無い。しかしアノ夫人に限り!」
と取り留めも無く考えた。

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