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黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

kettounohate29

決闘の果(はて)(三友社 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2019.2.12


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   決闘の果   ボア・ゴベイ 作  涙香小史 訳述
 
     第二十九回 暴走し始めた馬

 小林康庵は春村夫人だけ唯一人居て、大谷の見えないのを怪しみ、
 「オヤ、大谷は何(どう)しました。」
 夫「今ネ、公証人の所から、至急に逢いたい用事が出来たから、直ぐ来てくれと手紙が来ました。」
 小「ハテな、それは変ですね。何の様な用事か知りませんがーーー。」

 夫「イエ、多分桑柳の遺言状の事だろうと言いました。桑柳の遺言状ならば、森山嬢の身に取って大事な事柄ですから、幾等私と大谷とが二人で楽しく思って居る時でも、自分達の楽しみに構(かま)けて嬢の事を粗末にしては成らないと言って、私が遽(せ)かせ立てました。」

 小「それは嬢に取っては此の上も無い御親切ですが、公証人が今頃呼びに来るのが、合点が行きません。何所の公証人でも、その事務は大抵六時か七時に終わる者で、夜に入った後までも他人の世話をするとは、聞いた事が有りません。」

 夫「でも手紙の外書(うわがき)は、確かに大谷の名宛てに成って居ました。」
 小「名宛てはそう成って居ましたか知りませんが、いずれにしても合点が行きません。それに又公証人が大谷がここに居る事を知って、ここへ手紙を寄越すと言うのも、奇妙では有りませんか。」

 夫「それは貴方、使いの者が大谷の宅へ届け、宅で芝居に居ると言う事を聞いたとすれば、不思議でもないでしょう。」
 小林は単に、
 「左様です。」
と答えたけれど、まだ合点が行かず、
 「しかしここで怪しんだところで、致し方も有りません。明日にに成って大谷に逢えば分かります。」

 夫「イヤ、明日に成らなくても今夜大谷は帰ります。それを貴方に伝えて呉れと、私に言い置いて行きました。用事の済み次第、直ぐに帰って倶楽部へ行くから、貴方に倶楽部で待って居て貰い度いと。」

 小「アアそれは訳も無い事です。私も此の芝居が済み次第に、何うせ倶楽部へ行きますから。オヤ是は何うも、私は肝腎の用事を申し上げるのを忘れて居ました。唯今掘端へ行きましたところが、馬車はもう疾(とっ)くに来て居ます。何時お帰りに成っても差し支えは無いと言いました。」

 夫「それでは今丁度一段の済んだ所ですから、之を機会(しお)に帰りましょう。此の後はもう詰まりません。」
 小林は今宵認めた本多満麿の怪しい振舞を、夫人に語ろうかと思ったけれど、今はその暇も無い。夫人は早や立ち上がろうとする様子なので、

 「では馬車までお送り申しましょう。」
と言って小林も立ち上がり、夫人を助けて此の劇場を出たが、やがて堀端まで行くと、先程見た怪しい馬車は、何処かにか去って影も留めない。小林は先程来の本多の様子と言い、又今聞いた公証人から大谷を迎に寄越した手紙と言い、若しや本多が大谷を夫人の傍から離して置いて、夫人を如何にかしようとする謀(たくら)みでは無いかと、秘かに心配したけれど、

 今、此の所に来て見れば、怪しい馬車も見え無いので、先ず好しと安心し、更に半町(約50m)ばかり進んで行くと、少し先の方に当たり、夫人の馬車の明かりも見え、且つその馬がカタカタと前足で敷石を踏み鳴らす音が聞こえるので、
 「成る程アノ馬は随分気が短いと見えますネ。じっとして居る事が出来ないでアノ通り足を動かして居ます。アレ鉄の靴で石を踏むので、その度に火が出て居ます。」

 夫「ハイ、本当に気が短く、それに臆病過ぎて困りますよ。もうアノ馬は使わずに置こうかとも思いますけれど、毛並みが珍しい上、何うも心持の好い様に走りますから、時々馬車へ着けるのです。」
と言って夫人は少し調子を変え、
 「オヤ馬があの様に足を動かして居るのは、私を見たためでは有りません。アレ馬車の横手に、一間(1.8m)ばかり離れて、誰だか立っています。」

 小「成るほど立って居ます。あれは多分乞食でしょう。貴女が馬車に乗る時を待ち、
 『この背を踏み台にして、何うか一銭戴かせて下さいまし。』
とか何とか強啖(ねば)る奴でしょう。」
 夫「」私もそう思いますが、あの馬は宛(まる)で番犬の様ですよ。穢(きたな)い姿をした人を見れば、決して傍へ寄せ附けません。」

と言う中に早や馬車の傍に達したので、小林は夫人を扶けて馬車の中へ入れようとしながら、今言う男の姿を見ると、是れは尋常の乞食では無い、紛(まぎれ)も無く、先程ヒソヒソと、本多から何事をか頼まれて居た破落戸(ごろつき)である。小林は油断ならずと見て取ったので、馳せ寄ってその者を捕らえようかと思ったけれど、未だ捕らえる程の口実も無い。

 止むを得ず、知らない顔で夫人を馬車に乗せ終わったその時、その者は電火の様に馬の首に近づいて来て、馬に何かをした様なので、小林は最早や見逃すことは出来ないと、
 「己れ(オノレ)」
と言い様追い掛けた。追掛けたが最早やその甲斐なし。

 馬は之が為め十分に驚いたと見え、そうで無くても臆病な性格だったので、狂気の様に走り出した。アア危うし、此の馬は家か樹木に突き当たって、車が破れ乗り手が怪我するまで、止まる者では無い。夫人は今や小林の気遣った様に、全く本多の計略に陥いろうとしている。

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