巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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kettounohate32

決闘の果(はて)(三友社 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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     決闘の果   ボア・ゴベイ作  涙香小史 訳述
         
       第三十二回 イカサマをする者

 大谷長寿は贋(にせ)の手紙に欺(あざむ)かれて、公証人の家まで無駄足を踏み、帰って来て劇場に入って見ると、春村夫人が帰った後であった。アア何者が悪戯(いたずら)してこの様に我を弄(もてあそ)ぶのだろう。此の上は小林に逢いその意見を聞く外はなしと、直ちに倶楽部へ行って見ると、何故か小林は未だ見えない。これ程迄も物事が齟齬(くいちが)う者かと、一人呟きながら立って居る所へ、

 「イヤ大谷さん、貴方に一応相談して置きたいと思う事が有りますので。」
と後で声を掛ける者がある。振り向いて見ると倶楽部の幹事である。
 大「何の様な御相談か知りませんが、先ず承わりましょう。」
と言うと、幹事は大谷を誘って人無き一室に入り、

 「実は誰にも相談の出来ない事件ですが、私一人の考えでも処理する訳にはいかず、幸い貴方は此の前に丁度幹事の一人を勤め、貴方の後へ選ばれた私ですから、貴方ならば相談しても好いだろうと思います。その事件と言うのは、此の会員の中で、歌牌(カルタ)《トランプ》の勝負にズルイ事をする奴が有るのです。」

 大「ハハア、それは怪しからん。紳士ばかり選抜いたと評判の有る此の倶楽部に、その様な者が有ってはーーー。シテそのズルイ事とは歌牌の裏へ標(しるし)でも附けるのですか。」

 幹「そうでは有りません。賭けた銭を人知れず増減するのです。例えば初めに百圓積んで賭けて置いても、自分が負けたと見ればそれを五十圓に減らし、胴元が負けたと見れば二百圓に増すのです。」
 大「その様な事は直ちに見破られましょう。」

 幹「所が非常に手先の巧者な奴で、中々人に見せません。それが此の頃分ったので、負い出し度いと思うけれど、面と向かって幹事から言い出ては表沙汰に成り、此の倶楽部の名前にも拘(かか)わります。依って当人から退会を言い込む様に仕向けたいと思うのです。」

 大「当人から退会とは随分難しい遣り方ですネ。」
 幹「ですから相談するのです。その事に附いて幹事の中で今一人私と共に委員に挙げられた者に種々相談もしましたが、当人から退く様にするには、無名の手紙を遣るより外に仕方が有るまいと申します。既に今夜もその狡猾な会員が来て、歌牌を遣って居ますので、無名の手紙を拵(こしら)え、

 「汝の狡猾手段を見出した。自分より退会しなければ、事を公けにして退会させる。」
と、この様な文句を認め取り次ぎに持たせて遣ろうかと思います。」
 大「成る程、それは好い工夫です。その手紙を見れば公けに退会をせられるのが辛いから、自分から退会を言い込みましょう。」

 幹「所が無名の手紙と言うのは紳士のやるべき事では無く、取分け幹事とも言える者が、その様な卑劣手段を施したと言われてはーーー。」
 大「ナニ構いません。倶楽部の名誉を重んずる事ですから、後で分かっても咎める者は無いでしょう。」

 幹「貴方がそう仰って下さるならば、愈々(いよいよ)行う事に致しましょう。」
 大「ですがそのズルをする奴は誰ですか。」
 幹「イヤそれは幹事の口からは言えません。その代わり貴方は歌牌室に入って見て居れば分かりましょう。誰に手紙が行くか、又手紙を受け取った奴が何の様な顔をするか、それを見て居るのが一番の近道です。」

 大「成る程そうだ。歌牌室へ入り込んで暫(しばら)く待ちましょう。」
 言い捨てて大谷が歌牌室に入って行くと、ここには早や緑色のテーブルを囲んで、多勢の紳士が頻りに勝負を争って居た。孰(いず)れも顔を見知る人にして、此の中に詐欺同様の手段を為す者が有りそうにも思われないので、大谷は篤(とく)《じっくり》と気
を附ける為に、己もその仲間に加わりながら、成る丈長持ちのする様にと、少しづつ賭けながら油断なく目を配っていたが、如何(イカ)さまは非常に手際が巧みなものと見え、誰であるのか少しも分からない。

 連中には彼の決闘に際して、第一の介添人を勤めた古山禮造を初めとして、更に四、五人が居た。強いて疑うとすれば古山が一番怪しく、その外には疑わしい人も居ない。そうして居る所へ、此の倶楽部に使われる下僕(しもべ)の一人が、恭しく一通の手紙を持って来て古山に渡したので、

 「さては愈々彼であったか。彼は読んで如何にするだろう。」
と大谷は一心に眺めて居ると、彼れ古山は何事かと怪しむ様に表封(うわふう)を眺めながら封を切ったが、中の一文は極めて短いと見え、唯一目で読み終わり忽(たちま)ち顔の色を替えた。

 古山が歌牌で人を欺くとは兼ねて評(噂)もあったけれど、今まではよもやと思って居たが、是ほどまでも顔色が変わって来るのは、全く我が身に覚えが在る為に違いない。しかしながら彼は中々の頑(しれもの)なので、見る内に顔色を取り消し、静かにその手紙を衣嚢(かくし)《ポケット》に納めて、再び金を賭ける事をせず、手を退(ひ)いて凡そ十回がほど空しく見物し居た末、徐々(そろそろ)と椅子を離れ、徐々(そろそろ)と歩み去った。

 アア彼は公に退会の言い渡しを受ける事が辛く、自分から退こうと決心したものである。大谷が其の後ろ姿を見送る所へ、引き違えに入って来た人がある。
 是れは小林洪庵である。

 小林は大怪我をした春村夫人を、その屋敷まで送り、充分な手当を尽くして、その上でここに来た者に違いない。

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