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kettounohate37

決闘の果(はて)(三友社 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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     決闘の果   ボア・ゴベイ 作  涙香小史 訳述
         

      第三十七回 敵が討てる

 アア森山嬢の美しい顔に、額から頬に掛け赤く筋を引いているのは何の所業(しわざ)だろう。是れ即ち春村夫人の馭者が、鞭を以て殴った痕(あと)である。驚くべし。恐るべし。夫人の馬車を襲った破落戸(ごろつき)風の曲者は、破落戸にあらずして森山嬢であったのだ。嬢は春村夫人を殺して、大谷長寿を我物にしようとして、本多満麿と謀り、自ら破落戸の姿に化け、夫人の馬車を襲ったものなのだ。

 小林は此の発見に仰天し、我を忘れて大谷の所に駆けて行き、言葉世話しくこの事を告げると、大谷も驚く事並大抵でなかった。
 「成るほど君の見破った通りだ。春村夫人を殺そうとした証拠はその傷で充分だから、此の次には桑柳を殺した証拠を得れば、もう言う所は無い。好し好し今行けば、嬢は未だ帰っては居ないだろうから、留守の間にその居間を探して見る。必ず本多と遣り取りした手紙でも出るだろう。」

 小「でもそれは極めて危い仕事だぜ。そう言う内に嬢が帰って来るかも知れない。」
 大「ナニ手間は取らないから大丈夫だ。嬢は吾々の来た方へ逃げただろう。」
 小「ウムそうだ。」
 大「それでは吾々より先へ帰り着く気遣いは無いから、サア急いで行こう。」
と是から速足でやがて嬢の宿に行き、その取り次ぎに聞くと、嬢は直ぐに帰ると言って出て行ったとの事なので、大谷は強引に、
 「それでは居間で待ち受けよう。」
と言って小林を外に待たせ、突々(ヅカヅカ)とその三階へ登って行くと、居間は先の日来た時の様子と同じだった。

 先ず中央に在るテーブルの引き出しを開けて調べると、別に書類とか手紙は無く、唯嬢が好んでいる細工の道具が有るだけ。
 大谷は失望して又引き出しを閉めようとする時、忽(たちま)ち目に留まった品があった。それは他でもない木で作った弾丸である。

 その数五、六個ある中のどれにも多少の難はあるが、唯二個(ふたつ}は真の弾丸と異ならない。特に鉛の紙をその表面に捲いたものは、その目的は問わなくても知られる。今は嬢が桑柳を殺した証拠も出て来た。此の弾丸は、嬢が作って本多に与えた者である事は疑い無い。だとすれば嬢は桑柳の死を願ったのみならず、その実手を下して彼を殺したのに異ならない。

 大谷は直ちにその弾丸を残らず衣嚢(ポケット)に入れ、下に降りて待たせてある小林を、人の居ない横道に連れて行きながら弾丸を示して、我が思惑を語ると、小林はそうで無くても嬢を疑っている事なので、
 「イヤ是でもう疑う所は無い。この様な女に夫人の言伝(ことづ)けを伝えても仕方が無いから直ぐに帰ろう。」

 大谷は深く心に謀(たくら)む所ありと見え、
 「イヤ此の後は僕が好い様にするから、黙って見て居たまえ。何しても桑柳の敵(かたき)を取って遣らなければ。その代わり君に頼むが、春村夫人は何の様な人にも逢せ無い様、又新聞紙は素より一切世間の事を知らさない様にして呉れたまえ。僕は復讐の目的を達するまで、夫人の所へは行かないから。」

 小「ヨシヨシ。君の事だから豈(よも)や仕損じも有るまい。心を動かしては容態に障ると言う口実で、一切世間の事を耳に入れないように仕よう。」
 この様に約束して、小林は分かれ去った。

 アア大谷は如何なる工夫で、この仇を復(かえ)そうとするのだろう。是から凡そ三十分ほどを経て、最早や好い時刻だろうと、大谷は再び森山嬢の家を訪れると、嬢は既に帰って来ているとの事なれば、早速居間へと通ると、何故か先程開いてあった窓を残らず閉じ、昼とは雖ど薄暗い。

 さては他人に逢う時、顔の傷を覚られない様にする用意であるかと、先ず腰を下ろし凡そ三十分ほど経った頃、嬢は巧みにその傷を塗り隠して出て来た。窓が薄暗い部屋の中なので、知らない人には分からないが、それと察して見る時は、その痕(きず)は明(あ)り明りとして、蔽(おお)い隠す事は出来なかった。

 大谷は先ず自分の顔に登り来る憤怒の念を押し鎮め、
 「先刻伺いましたが、今暫くの中にお帰りとお聞きしたので、引き返して又上りました。是非ともお目に掛かり度い事が有りますので。」
 嬢は半ば恋しそうな、半ば恨めしそうな様子を見せて、
 「是非逢い度いとのお言葉だけでも嬉しう御座います。シテその御用は。」

 大「実は唯今春村夫人の所から直ぐに来ましたが、夫人が昨夜大怪我を致しまして。」
 嬢「オヤ先ア何うしたら好う御座いましょう。」
と偽って驚くのは面憎い。
 嬢「それでは貴方との婚礼は延びましたか。」

 大「イヤ婚姻の約束を解きました。実は互いに愛して居ると思ったのは間違いで、怪我をして醜い様を現わせば、私も愛想が尽きますし、先でも私を愛して居ない事が分かりました。依って婚礼の約束を解き、唯今までの通り友達だけの交際をする事に決めました。二人とも愛情と思ったのは、その実友情だけの事でした。」

 嬢「オヤそれは奇妙な間違いですこと。私などは自分の愛する人を間違いは致しません。」
と様子ありそうに大谷の顔を眺める。

 大「それは世間で彼是と言われないからです。私と夫人とは世間の人が似合わしい夫婦だの、婚姻するのが好いだろうのと、色々な事を言いますので、一時煙に巻かれて夫婦約束をしたのです。
 嬢「でも又何故にその様な事を私へお知らせに成りますか。」

 大「何故だか私の心が分かりませんか。既に此の前桑柳の死んだ知らせに参りました時も、我が心が顔色に現れるのを知らせまいと、顔を背けて私が逃げ帰ったのをお忘れには成りますまい。」
 嬢は唯口の中で、
 「ハイ」

 大「実は親友の許嫁で有った貴女を、彼れ是れ想っては済まない事と、我が心に意見をしても、桑柳の死に際の言葉が耳に残りーーー。」
 嬢「死に際に何と言いましたか。」
 大「ハイ、嬢は君を愛して居ると言いました。」
 嬢は恥ずかしそうにその顔を垂れながらも、
 「その言葉の通りです。」

 大谷は嬉しそうに、
 「では全くその通りですか。今までは我慢して居ましたが、先日貴女が桑柳の遺産は受けない仰った時、こうまでも清い心かと、貴女の足許に身を投げたいほどに成りました。今日上がったのも、実はそれが為です。貴女を我が妻よと呼ぶだけの許しを受けに参りました。」

 嬢は又も首を垂れ、
 「早くそうと仰って下されば、今まで苦労も致しまんのに。」
と言う声が口の中でかすかに消えて行ったようであった。
 大「それでは婚礼の事をご承知ですね。」
 嬢「ハイ何うか宜しい様に。」

 アア是で夫婦の約束が調った。そもそも大谷は如何なる計略が有って、この様な危うい約束を結んだのだろうか。
 嬢は心の中で、
 「とうとう大願も成就した。是で巴里で第一と言われる大谷の財産は手に入れた。」
と呟(つぶ)やき、

 大谷は又、
 「是でとうとう桑柳の敵が討てるぞ。」
と呟やいた。

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