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kettounohate38

決闘の果(はて)(三友社 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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     決闘の果   ボア・ゴベイ 作  涙香小史 訳述
         

      第三十八回 疑う春村夫人

 敵(かたき)を打つのは実に容易な事では無い。況(ま)してや大谷長寿が桑柳の仇を復(かえ)そうとすることは、実に困難中の最も困難な者である。敵は何者だ。本多満麿と森山嬢である。本多を殺すのは難かしくは無い。決闘の戦場で射殺せばそれまでである。

 しかしながら森山嬢ーーーアア嬢を如何にすべきか。女に向かって決闘を言い出し得る者では無い。決闘せずして殺そうか。是れは恐ろしい人殺しの犯罪である。我が身が死刑に処せられる。大谷は死刑を恐れるのでは無い。唯だ春村夫人に心が残るのだ。

 春村夫人と夫婦の約束をして、まだ其の婚礼を挙げていないのに、我が身を絞首台の露と消えさせるのは、如何なる勇士でも此の様な乱暴な事を為して好いものだろうか。それに森山嬢はーーー女ではあるが侮り難い。桑柳を殺しながら、今まで巧みに罪を隠して居る其の手際、尋常の人の及ぶ所では無い。

 それで大谷は、非常な謀り事をめぐらせて、嬢と婚礼の約を定めたのだ。実に千丈の堤も蟻の穴から崩れるの譬(たと)えも有り、大谷の謀り事は実に千丈の堤である。先ず初めから充分に手を尽くして置かなければ、如何なる所から崩れて来るかも知れないとして、翌日は小林康庵を呼んで、自分の工夫を打ち明けると、康庵も達ては止めず、且つ夫人のところにも永く顔を出ださなくては夫人が怪しむことは必然なので、毎日朝の間に八時から八時三十分まで夫人に逢う事とした。

 しかしながら万一にも大谷が森山嬢と婚礼して、夫人の耳に入る事があっては、由々しい大事なので、夫人には小林の言葉で一切来客に逢わない様、一切世間の人と手紙の遣り取りを廃する様に、又新聞紙を読まない様にと、此の三箇条を堅く守らせる事とした。

 この様に決めてから既に事も無く十余日を過ぎた。夫人は今まで我が傷の為を思い、堅く小林の言葉を守って居たが、此の頃大谷の素振りも常に変わる所があるのを見て、不安で仕方が無い様に、
 「ネエ小林さん、大谷は何か私に隠して居るに違いありませんよ。」

 小林は既に大谷が森山嬢と婚礼したのを知り、謀計(はかりごと)の為とは云え、其の事の極めて危いのを気遣う時だから、夫人の言葉に悸(ぎょ)っとしたけれど、
 「ナニ大谷が何うして貴方に隠し事などしますものか。」

 夫「でも此の頃の様子が変では有りませんか。ここへ来てもソワソワして落ち着かず、一昨日などは全然来ないのですもの。昨日だって十分間ばかり居て直ぐに帰りました。今日は又此の通り約束の時間を過ぎても参りません。若し私を愛して居るなら、何事を捨て置いても約束の時間には来る筈です。」

 小「イヤ貴女を愛して居ることは言う迄も有りません。この頃少し面倒な用事があると私に話しましたが、今日は多分公証人の所に居ましょう。」
 夫「用事が有るとは嘘ですよ。何も用事の有る人では有りません。財産の監督は公証人が引き受けて居るし、今まで永く交際(つきあ)っていますけれど、此の頃の様な事は有りませんでした。」

 小「ナニそれは貴女が其の様にお思いなさるのです、此の通り寝たきりで世間の事も耳に入れず、退屈が重なって終に人の素振りまで違うと思うのは、長い病人に有りがちのことですから。」
 夫「でも貴方、一昨日も今日も来ないのが何よりの証拠じゃ有りませんか。それにネ、先日から変な夢を見て仕方が有りませんの。大谷が外の女と婚礼をしたり何かして。」

 小林は又も悸(ぎょ)としたけれど、必死の力で其の色を押し隠し、
 「イヤ夢など、当に成りますものか。その様な夢がーーー。」
 夫「私もそう思いますけれど、それでも何だか気掛かりで、それにネ、時間通りに来さえすれば何とも思いませんけれど、日頃時間を違えた事が無い男がーーー。何をして居るのでしょう。私は逢って篤と問い度いと思います。貴方之から行って何所に居るか探して連れて来て下さいな。」

 小林は此の言葉に初めて安堵した。実は小林も非常に大谷の身を気遣い、今一度充分に忠告し、仮令(たとえ)復讐だからと言って、余り危い事はしない様に諫めようと思って居た時だったので、且つは一刻も早く夫人に顔を見せなければ、森山嬢と婚礼した事までも覚られる恐れがある。それや是やで今逢わなければ成らない時なので、

 「宜しう御座います。直ぐに公証人の所へ行き、私が連れて来ます。」
とこう言って夫人の屋敷を出て来たが、素より公証人の家には居る筈がなく、だからと言って何処にも目当てが無いので、先ず家に行って下僕(しもべ)に問うのが好いだろうと、馬車を雇って其の家の間近まで行った頃、兼ねて知る大谷の下僕も、買い物にでも行くのか、馬車と摺れ違って行き去らんとするので、

 「これこれ」
と呼び留めると、下僕も嬉しそうに近寄って来て、
 「貴方は主人の居る所を御存知ありませんか。」
とは問からして気がかりなので、
 小「イヤ知らないからお前に聞きに来たのだが何した。」

 下「今朝早く短銃を持って出ましたから、若しや決闘でもするのでは無いかと、内々心配して居ましたが、今お居間を掃除する時、机の上に貴方へ宛てた、此の様な手紙が有りましたから、唯今貴方のお宿へ上がった所です。」

 小林は手を差し延べ、
 「何れ見せろ。」
と受け取って読み下す文に曰く。
 「親友よ、小林よ、兼ねての本望を果たすのは今日である。昨日は既に本多から嬢に送った手紙をも手に入れた。今日十一時から十二時までには桑柳の仇を復(かえ)す。しかしながら当分の中は春村夫人に逢う事は出来ない。

 此の仇を復すれば警察へ拘引されることは必然だからだ。嬢と婚姻したのも全く復讐の為だから、其旨を君から程好く夫人に話して欲しい。夫人も必ず私の行いを許すに違いない。再び会う時は何時になるか分からないが、詳細は再会の時に譲る。」
と有り。

 殆ど死を決した手紙である。
 アア十一時から十二時の間、今正に闘いの最中に違い無い。場所は何所なのか分からないけれど、小林は追って行こうと決心した。

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