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決闘の果(はて)(三友社 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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   決闘の果   ボアゴベ作  涙香小史 訳述

       第四回 嬢は君を愛して居る

 ここが勝負の決する所なり。二人は早や顔と顔と合わせた。僅かに二十歩を隔てて立つ。豈(あ)に怪我無くして済むこと有らんや。介添人の中の小林と古山は横手に当たる小高い土堤の上に登って見物し、大谷と藻岸は各々本人の両脇に立った。藻岸は時分を計って声を上げ、
 「サア、両君用意を成さい。是より合図を発しますよ。」
と呼ぶ。これは儀式通りの言葉である。言わなくても両人は充分に用意を定めて居るが、合図の前に此の言葉が無くては始まらない。

 引き続いて合図の声、
 「一ィ」
と聞こえ両人は狙いを定める。」
 「二ィ」
と聞こえ、両人は引き金に指を掛けた。
 「三アン」
の声と諸共に、後(おく)れもせず先だちもせず、両方ともに射(う)ち出す短銃(ピストル)の音は宛(あたか)も唯一発の響きかと疑われる。

 桑柳が勝ったか、本多が勝ったか、将(はた)また両方とも怪我は無いだろうか。
 敵の本人本多満麿は何の怪我も無しと見え、静かに短銃(ピストル)を下ろした。
 味方の本人桑柳守義は、
 「苦(あ)ッ」
と叫んで短銃(ピストル)を投げ出し、手を以って其の胸を抑えた。是は何の兆(しるし)だろうか。

 ああ痛まし、桑柳は胸板を打貫かれたのだ。蹌跟(よろよろ)として倒れ様とするところを大谷は駆け寄って両の手に抱き留め、
 「桑柳怪我したか。」
 桑「ウム、乳の所を射貫かれた。」
この様に言う所へ小林医学士も馳せ附けて、
 「何大した事も有るまい。兎に角土堤の下へ連れて行こう。」
と言って舁(かつ)ぎ上げながら、漸くに草が茂って平かになっている堤の木蔭に連れて行って、先ず横たえて寐(ね)かせた。

 傷はどれ程か分からないが、小林は手早く釦(ボタン)を解きに掛かった。
 大「何うだ、痛むか。」
 桑柳は苦しい息の下から、
 「ナニ痛みは左ほどでも無いが、もう息が留まり相だ。」
 小林はやっと外被(うわぎ)と寸胴(ちょっき)を解き終わると、シャツには少しばかり血の痕がある。シャツを破ってその身体を検(あらた)めると、右の乳から二寸足らず上にあがった所に細い弾丸の痕を見認めた。弾丸は肉の中に残って居るに違いない。大谷は苛(いら)立って、
 
 「何うだ、小林、此の傷は重いか軽いか。」
 小林は唯首を振るのみ。是れは助からないと言う身振りに違いない。この様な所へ非常に真面目に歩み来るのは、敵方の介添である古山、藻岸の両人である。
 古山は先ず言葉を開き、
 「傷は重い事は有りますまい。誠に何うも此の様な事が有っては成らないと私から仲裁を申し入れましたのに。」

 大谷は腹立たしさに我慢がならなかったが、怒る可(べ)き時では無いので、聞き流して、藻岸に向かい、
 「貴方お帰りの道筋で、何(どう)か人足を二人雇い、寝台を釣らせてお寄越しを願います。」

 決闘には自ずから決闘の礼儀がある。勝負の後にて見舞いに来たのも礼儀なれば、頼まれて其の用を達すのも礼儀である。藻岸は屡(しばし)ば此の様な場を踏んだことが有って、
 「心得ました。」
と引き受けて古山と共に立ち去ったが、後に大谷は怪我人を我が膝に抱き上げて、
 「君、コレ桑柳君、僕の顔が分かるか。僕だよ。君の第一の親友大谷長寿だよ。」

 桑柳は猶ほ死に切らず虫の音よりも細い声で、
 「君は嬢に知らせて呉れたまえ。約束、約束をーーーー。」
 大「好し好し安心したまえ。約束は覚えて居る。」
 桑「有難い。もう声が出ない。耳を、耳を。」
と言うのさえも喉の奥の方で、唯大谷に聞こえるのみ。小林には聞き取れず。

 大谷は、
 「君もう物を言わない方が好い。今に傷は直るから。」
と言っても未だ何事をか細語(ささやく)様子なので、其の口に耳を当てると、
 「もう助からない。何も彼も君に打ち明けて置くが、嬢、森山嬢は。」
 大「イヤもう二時間の中にパリへ帰るよ。帰れば嬢が介抱に来る。安心したまえ。」
 桑「イヤ、もう―――駄目―ーー僕は今ーーーまで君に言い度くてもーーー故(わざ)と黙って居たがーーー是は他人には言われない秘密、----君に是を知らせて置けば嬢もーーー助かる。」

 大「勿論さ。君が生きて居るから嬢も安心するのサ。」
 桑「イヤ、---爾(そう)で無い。---僕は死ぬ。君聞きたまえーーー嬢が愛するのはーーー僕で無い。君だよ。---嬢は君を愛して居るのだよ。」

 アア死に際は心の秘密を打ち明ける時とか聞く。桑柳守義は我愛する森山嬢が、我を愛する心無くして、密かに我が親友である大谷を愛する事を知り、生涯の望みは絶え果ててしまったが、今までは誰にも洩らさず、堅く心に秘して居たのである。死ぬ身の今と為り、漸(ようや)く思い切って打ち明けたのである。だから大谷長寿は素より自分が我が親友の許嫁である森山嬢に愛せられるとは、思いも寄らない事なので、愕然として打ち驚き、

 「君、何を言う。何だとェ。」
と問い返したけれど、後の祭りである。桑柳は早や目を閉じ、顔に死相が現れ来るのみ。今まで桑柳の手先を取り、脈を診(うかが)って居た小林医師も手を放し、
 「もう駄目だ。脈があがった。」
と絶望の語を発した。アア桑柳は死んでしまった。

 「嬢は君を愛して居る。」
との一語を此の世の余波(なごり)として、黄泉の人と成ってしまった。
 此の言は非常に大谷の胸を刺した。



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