巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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決闘の果(はて)(三友社 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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   決闘の果   ボア・ゴベイ 作  涙香小史 訳述
         

    第四十回 天罰

 医師小林はきっと大谷が殺されたのに違いないと見て取り、二階へと上って行くと、孰(いず)れの窓もすべて閉めてあったので、昼とは言え薄暗かったけれど、暗さに慣れて暗いとも思わなかった。やがて梯子段の上に上ると、上からり下に向かって倒れた死骸があった。好く見ると森山嬢である。さてはと驚いて、傷口を調べると、鋭い短剣を用いて首から筋違(すじか)いに切ったものである。

 又一足を登って行くと、アア驚いたことに又一個(ひとり)の死骸があった。女では無い。男だ。大谷かーーーー否、否、本多満麿である。その傷は総て短剣の痕であるが、本多は暫らく組合った者と見え、何カ所にも傷口がある。

 アア何者の仕業だろうか。大谷が殺したのだろうか。小林は熟々(つくづく)考えて見るに、大谷は初めから短銃(ピストル)を持って仇討ちをする考えであったので、短剣を用いる筈はない。更に本多の傷の様子は、一人で付けた者では無くて、大勢で前後左右から切り附けたものである。

 更に四辺(あたり)を見廻すと、押し入れ引き出しなどの類は悉(ことごと)く開(あ)いて、其の中を掻きまぜた証拠を残していた。是で見ると確かに盗坊(どろぼう)の仕業である。盗坊は此の頃此の家へ、身姿(みなり)の立派な男女の出入りするのを見て、獲物があるだろうと押し入って、先ず本多満麿を殺した所へ、そうとも知らず、森山嬢が本多に忍び逢おうとして上って来たので、出し抜けに嬢を殺したものに違いない。

 嬢がまだ帽子の紐さえも解かずに倒れて居るのは、其の証拠である。(訳者曰く、絵の様に嬢が帽子を戴かずに死んでいるのは、下絵の誤りである。)

 大谷は充分に姦夫姦婦の落ち着いた時分を待とうと、今まだここへは足を踏み入れて居ないに違いない。是れは大谷の身に取っては此の上も無い幸いである。自ら手を下して殺す所を、盗坊(どろぼう)に魁(先駆)けられて、知らない間に敵打(あだう)ちの念を晴らす事が出来たことは、是に益す幸福はない。

 小林はこう思って独り呟きながら、更に其処此処(そこここ)と眺めるうち、フト気が附くと、今若し此の所へ警察官に踏み込まれては、自ら盗坊(どろぼう)の身代わりに拘引せられる事は必然である。

 永居をしている所では無いと気が附き、一刻の猶予も出来ないと考え、其の儘(まま)飛び立つ様に逃げ出し、凡そ一町(108m)ばかり去った頃、向こうから来るのは大谷の馬車で、中には大谷が短銃(ピストル)を手で押さえながら、顔色を変えてじっとしているので、直ちに之を呼び止めて、今見た事の次第を話すと、大谷は気が抜けたように口を開き、暫くは塞がらなかった。

 やがて半信半疑で、
 「それでは其の場を見届けて来る。」
と言ったが、小林は固く之れを推し留め、今にも警官が踏み込んで来る恐れがあるので、その様な所には近づくべきではないと言って、更に我が手に附いた血の痕を示して証拠とし、この様な次第なので、此の事は是れ切りにして捨て置くのが好い。

 悪を罰して善を助ける、是れが世に言う冥罰(てんばつ)なので、知らない顔で警官の始末に任せて置き、直ちに春村夫人の所まで一緒に行こうと只管(ひたす)ら勧めて止めるので、大谷も終にその意に従い、春村夫人の家を指して小林をも馬車に乗せ、今来た道を取って返した。

 夫人は言うまでも無く、この様な事が有ったとは知らないので、唯だ小林の奔走で早速大谷を連れて来てくれたのを喜ぶだけ。
 その後夫人の傷も全く癒えた。森山嬢と本多満麿の殺された事は夫人の耳にも入ったので、大谷は事の次第を打ち明けると、夫人は驚きの余り身震いしたけれど、大谷に罪があると言う事ではないので、唯過ぎ去った物語として別に心にも留めず。

 今は此の事件があってから既に一年が経った。夫人と大谷は来月を以て漫遊の旅程に上り、伊太利(イタリア)に於いて婚姻の禮を挙げる筈である。小林は夫人の療治を終って後、直ちに保養の為め瑞曲西(スイス)に赴き、今まだその地に在る。

 来月は伊国(イタリア)に移って此の婚姻に立ち会う筈である。森山嬢が殺されてから三月を経た頃、其の筋によって捕らえた強盗の中に、嬢と本多を殺したと白状した者があって、一時は巴里社会を騒がせたけれど、巴里の一月は百年と同じ。

 今は人々はその事を忘れたか、古めかしい話と見做してか、口端に掛ける人も無い。又彼の古山禮造は倶楽部で歌牌(トランプ)の詐欺を見破られて以来、何所に行ったのか影さえ見えなくなった。或人の噂に由れば米国へ渡ったと云う。

 倉場嬢は今まだ女俳優であるが、左程名高いと言うほどではない。中以下の女俳優で生涯を終わるのに違いない。其の他の人々にも多少の波風が無い訳では無いが、此の話の枝葉であるため、一々記すには及ば無い。まだ話の筋道に不審と思う所が有れば、幾度も初めから読み返したまえ。読書百遍意自ずから通ず。不審の事は独り消えるだろう。

 評に曰く、今日あるを知って明日あるを知らず。浮々(うかうか)と世を送るのは巴里府の少女の常なれど、その中に時に又異様な夫人あり。恐るべき太望を抱き、恐るべき陰謀を逞しくし、或いは大政治家を手に入れんとし、或いは大金満家に嫁せんとする森山嬢の如きはその一人にして、唯巴里にのみあって他国には顔を見ない兇婦人である。外面を淑女にして内心の夜叉を包む。

 今日毒婦の事を説く者は、先ず例をマリエン嬢に仮りない者は無い。(マリエン嬢即ち訳す所の森山嬢なり。)嬢の謀計(はかりごと)の奸譎(かんきつ)《よこしまな偽り》なることは尋常毒婦の夢にも及ぶ所では無い。然れども人を呪わば穴二つ。本多をして桑柳を殺させた弾丸は嬢の写真の胸を貫き、小林の言った様に此の事は讖(しん)(未来を知らせる言葉、予言)を為し、嬢は非業の死を遂げるに至る。著者筆を投じて凄然(せいぜん)(ぞっとするような、いたましい)たり。訳者も亦訳し終わって、凄然たること《ぞっとしたこと》之を久しゅうす。

   大尾(完)



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