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決闘の果(はて)(三友社 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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     決闘の果   ボアゴベ作  涙香小史 訳述
         

       第五回 不幸の前兆

 「嬢は君を愛して居る。」
 此の一言に大谷長寿は非常に心の底までも刺し徹(とお)された心地がした。正気の言葉とも思われないが、此の一言は生涯大谷の心に残って消えないに違いない。しかしながら目の前に親友桑柳守義が死んだのを見ては、彼れ是れと空しい事を考えるべきでは無い。一念唯悲しみの情と為り、
 「アア惜しい事をした。小林君、君は医学士で有りながら何故僕の親友を見殺しにする。」

 小「見殺しとは余り言葉が酷(ひど)過ぎる。僕は初めて傷を見た時に、もう直ぐに死ぬと思ったよ。肺の上の部分を射られて居るもの。何して助かるものか。今まで暫(しば)しの間生存(いきながら)えて、君と何事をか話して居たのが実に不思議と云っても好い位だ。」

 大「ナニ話して居る者か。全く戯言(たわごと)を云ったのだ。アノ様な心の確かな男でも、短銃(ピストル)の弾丸を受けては仕方の無い者だ。全く前後夢中により詰まらない事ばかり云って居た。」
 小「イヤ夢中には成って居ない。感心に心は確かで有った。」
 大「ナニしろ本多満麿と云う奴は憎い奴だ。僕は他日此の敵を打討って遣る。今度は僕が相手に成って必ず彼奴(きゃつ)と決闘する。」

 小「桑柳はアレほど心が確かで有ったから、復讐の事でも君に話したで有ろう。」
 大「ナニ其の様な事を話はせぬ。戯言(たわごと)ばかり云って居たよ。」
と口には堅く言い切ったけれども、現在医師とも言われる者が立派に言い切るからは、桑柳の心は或いは確かに存して居たのか。

 左すれば彼の一語には彼の怪しい力がある。一語も或いは戯言では無く、全くの事実であったのか。否々(いやいや)戯言(たわごと)に相違は無い。既に桑柳を愛すればこそ夫婦約束まで結んだ森山嬢が、我を愛する筈は無い。

 嬢は財産が無いが故に、通例の女なら財産に目が呉暮(く)れて愛しても居ない男を愛すると言い、婚姻の約束を為す事も無い事は無いが、嬢の清き心は我れが好く知って居る。嬢が如何して財産に目など暗むだろうか。宝の為に愛情を曲げたりするだろうか。アア戯言(ざれごと)なり。戯言なり。

 我を愛する筈は無い。しかしながら医学士が戯言(たわごと)では無いと言うのは何故だろう。小林は未だ病人に慣れないが為に、見損なった者に違いない。我は何度か嬢に逢ったと雖も、親友桑柳の許嫁と思えば笑談(冗談)をも言った事は無い。嬢は成る可(べ)く我と話などしない様に勉(つとめ)る振りが充分に見えて居たので、我を愛する筈は万々無しと、心を様々に苦しめたけれども、傍に在る小林はそうとも知らず、

 「君は親友を失ったから悲しむのは尤もだ。併し其の様に自失して居る時では無い。藻岸は人足と釣り台を寄越すと受け合って行ったけれど、彼奴の言った事は当てに成らない。吾々が自分でで行って然る可(べ)き人を雇って来よう。」

 此の注意を得て大谷は夢の醒めた様に、
 「オオ爾(そう)だ。サア直ぐに行って雇って来よう。」
 小「と言って二人一緒には行かれ無い。一人は死骸の番をしなければ。是でも衣嚢(かくし)《ポケット》の中には書類なども入って居るだろうし。」
と言いながら外被(うわぎ)の一方を持ち上げると、衣嚢(かくし)から抜け出たのは一冊の手帳である。

 「それ此の通り。」
と言いながら拾い上げて検(あらた)めると、厚い皮の表紙のある帳面であるが、恐ろしや短銃に打貫かれた者と見え、其の片隅に弾丸だけの丸い穴がある。

 小「何(ど)うだ。君、非常な者では無いか。紙を沢山重ねれば鉄砲の弾丸も通らないと言うけれど、此の通りだ。外被(うわぎ)を打貫き、その上に更に手帳まで貫通して、身体へ這入るとは実に驚く可(べ)き力の者だ。」
と言って、右見左見(ともこうみ)する中に、其の手帳の間から又も抜け落ちる品が有った。

 何かと見れば写真である。森山嬢の姿を写した者である。小林は怪しんで拾い上げ、
  「アア、桑柳君は近々に婚礼をする噂で有ったが。」
  「アア此の美人だな。可愛相、アア是は驚いた。見ても慄(ゾッ)とする。コレ大谷君、何うだ。此の写真は、エ、是れは丁度桑柳君が撃たれた通り胸の所を打貫かれて居る。」

 大谷は、
 「何れ寄越せ」
と言って、手に取って見るに、如何にも此の写真は森山嬢の写真で、それには桑柳の傷と同じく、乳の上に当たる所が弾丸に貫かれて圓(まる)い穴がある。
 「成るほど、是は気味が悪い。アノ弾丸で此の写真まで。」

 小「爾(そう)だ。是は事に由ると不吉の前兆かも知れない。其の様な事は無い筈だけれど、此の女が桑山の死んだ事を聞けば、事に由ると悲しみに心が乱れて、終には死ぬ様な事になるかも知れない。」

 大谷は心の中で、アア忌(いま)わしい前兆であるかな。森山嬢は不運の身に違いない。嬢を愛する男を初めとし、嬢に愛せられる者は総て不運になるか。桑柳は既に嬢の為に死んだ。我若し桑柳の言葉の様に、嬢に愛せられる事があるとすれば、此の上如何なる不運に至るかも知れない。

 再び又この様な決闘を引き起こす事が無いとも言い難い。幸いにして、桑柳の言葉は全くの戯言であるが、若し戯言で無いとすればーーーと半分考えて身震いした。アア写真の胸を射られた此の一事は、果たして如何なる事の前兆であるのだろうか。追々に解き入るを読んで知る可(べ)し。



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