巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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嬢一代   (明文館書店刊より)(転載禁止)

バアサ・エム・クレイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2013.7.16

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               十四

 見れば見るほど立派なのは、我が夫春人(はるんど)で、見れば見るほど美しいのは、その傍らにいる李羅嬢である。イリーンは二人の親しそうに語らう様子を見、胸も燃え立つ思いだったが、唯二人の心と心に恋人同士の相愛する様な深い情愛が隠れて居るのか、それとも唯紳士として、令嬢として日頃から親しい友達であるため、兄妹の様に睦み合うだけなのか、それを見抜こうとだけ思い、二人の目配せからその互いの仕向け方に目を注ぐと、春人の様子には、充分な熱心が現れ、唯友達というだけとは見受け難き所もあるが、これは或いは嫉妬と言う我が胸にある悪魔の仕業であるかも知れないと、強いて自ら疑いを掻き消しながら、更に嬢の様を見ると、語りもし、笑いもするが、春人ほどの熱心な様子は見えない。

 先ず純粋に気の合った友達であるのに似ている。男同士の気の合うのとは違い、男と女の気の合うのは唯気の合うと言うだけには止まり難く、得てして気の合うより猶上にまで登り易いものとは知っているが、幾分かは先ず安心の方なので、漸く胸を撫で、猶終わるまで見ていると、イリーンの隣に座す男女幾人かの一群れは、芝居を見るより唯見物中の紳士婦人を多く知っているのを誇り合う様に、初めから眼鏡などを遣り取りして、彼は何、是は誰など隈なく評して居たが、やがて芝居が終わろうとする頃になって、その一人は李羅嬢に目を注ぎ、

 「併し、あそこに居る満場第一の美人は、諸君皆知っているだろう。」
と言うと、二、三人異口同音に、
 「是羅(ゼランド)伯爵の令嬢李羅子を、知らない奴があるものか。」
と答える。前の一人、
 「併し、李羅子と一緒に居る、今夕第一の幸せ者の名は知らないだろう。」

 負けじと競う又一人、
 「西富郷の子爵西富春人と言えば、四年以前に相続して、今では貴族社会で最も裕福に数えられる一人サ。君等はアノ子爵と同席をした事はないだろう。僕は斯(こ)う見えても、汽車で同じ室へ乗り合わせた事が有る。」
 「これは可笑しい。同じ汽車へ乗り合わせたのが同席か。僕などもその様な事は幾度も有るだろうが、気に留めないから、覚えて居ない。併し先では僕の顔を覚えて居るかも知れないな。」

 「巾着切りのような男だと用心の為か。アハハハハ、併し君はアノ子爵と李羅子に就いて、最新の事件を未だ知ら無いだろう。」
 「知っているとも。今夜一緒に芝居に来たと言うのが、最新の報道では無いか。」
 「詰まらぬ事を言うな。そうでは無い。来春には二人が結婚するという噂があるぜ。」
 「成程その様な事を、何処かで聞いた。」

 結婚の噂と聞き、イリーンは一入(ひとしお)耳を澄ましたけれど、このとき宛(あたか)も芝居は終りとなり、満場の雑踏となったので、その後を聞くことが出来なかった。唯春人が非常に丁寧に、嬢の肩へ外套を着せて遣って、その手を引きながら出て行くのを見ただけ。
 かくて群集と共に此処を出て、夜更けて我が住居へ帰り着いたが、是よりして唯、「来春結婚」という語だけ気に掛かったけれど、又思えば、既に我が身という妻の有る春人が、外の女と婚礼など出来る筈はなく、出来たとしてもする筈も無く、結局彼が李羅嬢と共に居たのを見て、口から出任せに言っているものに違いない。

 人の噂などというものは、総てこの類の他愛も無いものなので、そを気に掛けるのは愚の至りだ。是というのも自分の疑う心から、夫の振る舞いを探ろうとした、その過ちから出て来たものなので、この後にも疑えば疑うほど、益々根の無い事柄に欺かれ、愈々我が身に心配の数を増やすばかりなので、再びこの様なハシタナイ振る舞いをしないようにしよう。

 李羅子と春人は唯貴族同士の交際に留まるだろうと、一旦痛く疑った反動に、今は自ら我が身を嗜(たしな)め我が心を𠮟り鎮めて、是までと異(かわ)ることなく春人に仕えて居たが、唯一つの怪しい事は、春人がイリーンのロンドンに出るのを禁止する事が益々しばしばで、果は新聞紙なども、なるべくは読まない様にせよなど、事に託して言い付ける事も有る。さてはロンドンに行ったりして、自然根も無い噂を聞き、我と我が心を苦しめる様な事があるのを慮(おもんぱか)り、殊更に戒めるのだろうと言うが儘に従って居たが、何しろ妻として夫と世界を別にする事は、心苦しい限りなので、一旦燃えた心の火は、又再び燃え始め、せめては新聞紙だけでも読めば、夫の大事は自ずから分かる事も有るだろうと、殊更に貴紳上流社会の事を多く記せる、新聞紙一種を毎日配達させ、夫の帰り来る頃には、その読殻を仕舞い置く事とにして居たが、この年の末方になって、或る朝の新聞に、
 「上流の結婚」
と題し、左の一項あり。

 曰く、
 「兼ねてひそひそとと噂に聞いて居た、是蘭(ゼランド)伯爵の令嬢李羅子姫の結婚は愈々事実となった。」
 その多幸多福なる婿君は、誰あろう西富郷の子爵として、ロンドンにも広大なる控え邸を構える西富春人である。ロンドンにある氏の邸は既にその用意として、一切の飾り付けを、ヘンデン室内粧飾会社に命じた。結婚の式を挙げるのは来春二月だと言う。」
云々(しかじか)。

 イリーンは幾度もこの一項を繰り返して読み直した。アア憐れむべき彼女の心の中はどんなだろう。


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