巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

musume17

嬢一代   (明文館書店刊より)(転載禁止)

バアサ・エム・クレイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2013.7.19

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               十七

 凡そ人の罪の中で、清き少女を欺いて其の愛を奪うことより深いものはあるだろうか。金銭を奪う罪は、金銭を以って償うことが出来る。唯、愛のみは償うことが出来ない。女の真の清き愛は、唯其の初めての愛の外に無いからだ。人の命を奪うことは、唯其の殺すという一時の苦痛である。愛を奪うのは生涯を苦しめ、生涯を誤らすことになる。

 心を殺して体のみ生かして置き、事に付け、物に触れ、一刻も忘れる暇のない無常の苦痛を耐え忍ばせることになる。唯風儀の乱れた社会に住み、乱れた家庭に育った者は、愛の如何ほど神聖なものかを知らない。これを盗む罪、盗まれる苦痛、如何ほど深いかを知らないのは、嘆かわしい次第ではないか。

 イリーンは我が身の生涯茲(ここ)に尽きた様に思い、唯悲しみに沈み込むだけだったが、暫(しばら)くして、又燃え上がる怒りとなり、春人(はるんど)の前に立ち上がったが、思えば今迄愛しもし愛されもした春人がこれほど邪険、これほど賎しいことをして顧みない無恥の馬鹿者だったとは、まさかに思われない所がある。

 「本当ですか。本当に彼の婚礼が、その様な偽りですか。」
と推(お)して聞いた。春人は今迄自分が言った言葉を取り消し、イリーンに謝りたい程に思うが、今は消すにも消されない場合、彼は唯厳しい判事に問詰められる罪人の様な顔色で、
 「何と言われても仕方がない。」
と答えるばかり。
 イリーンは唯春人の罪深いのにあきれ果て、この立派な容貌にどうしてこれ程までも汚らわしさを包めるのだろうと怪しんで、彼の顔を不思議そうに見るだけだったが、ややあって又怒りに燃える声を放ち、

 「エエ貴方はマア、初めて会ったその時から、私を妻にする心は無いのに、唯口先で妻になれ、妻になれと言って、様々の優しい言葉を掛けたのですか。その時から唯私を欺いて、世間の女に類の無い程の辱めを加え、生涯世間に出られない様、社会の底へ埋めて仕舞う様な恐ろしい考えで有りながら、愛するの妻になれの、又は社交界の達者(たてもの)にしてやるのと、良くまあその様な優しい言葉が口に出ました。何と私に恨まれても一言の言い訳もないでしょう。

 生まれ立ての赤子よりも、まだ世間の事を知らない罪の無い少女を弄(もてあそ)び、外にその少女を保護する人の無いのを幸いに、騙(だま)して親まで捨てさせたのですか。この様な賎しい振る舞いをする人が、男だと言われましょうか。人間だと言われましょうか。貴方は実の世の中の最も邪険な人よりも、もっと邪険に、最も賎(いや)しい人よりも、もっと賎しい心です。そうして私に会い、私を欺き果し、今日が日まで私を辱めて、暮らしているのが楽しみだと思いましたか。

 これまでの間に唯の一度も、アア済まない事をして良くない事だと思った事は有りませんか。貴方の仕業で私が生涯を誤まるのをの見て、どうか救ってやりたいと唯の一度も思いませんでしたか。実に貴方は恐ろしい心です。何にも知らない清い小児が、井の中へ這い落ちるのを見て救う心の起こらない人です。そればかりでは無く清い小児を様々に欺いて、生涯出られない井戸の中に落ち入らせ、そうしてその小児が水に溺れて苦しむのを見て、楽しんでいる様なものです。
 この様な鬼の心に神はどうして人間のような体を与え、人が人間だと見誤まる様にしたのでしょう。あんまり恐ろしいでは有りませんか。」

と非常の苦痛は、非常な言葉となり、春人の身を責めると、春人は恥じ入ってかその顔を上げることが出来ない。
 「イヤ、その様に言って呉れるな。今迄だって、後悔したことは幾度もあるが、唯愛のためお前と分かれるのが辛いので。」
 「イイエ、罪無き者に生涯を誤まらせる、その恐ろしい心を愛などとは聞きたくも有りません。真実の愛ならば何故真の妻としません。」
 「イヤ、それには色々仔細(わけ)のある事だ。」
 「仔細(わけ)とは、仔細とは、」

 「外でも無い。一通り聞いて呉れ。私と李羅嬢とは幼い頃に、親と親とで約束をした許婚だ、李羅嬢の父是蘭(ゼランド)伯爵は、アノ通り英国第一と言われる大政治家。李羅嬢は又成長するに従い益々美人になる、それや是やでその約束を破談にするという気も出ず、その儘(まま)にして置くうち、先年私がオクスフォードの大学を卒業した時、嬢の父是蘭伯爵がわざわざ私の元を尋ねて来て、コレ、春人や、俺は天下の政治家として、今後五十年の中には欧州全国の平和の基礎を固める程の大政略を計画し、数年以来其のことのみに一身を委ねて居るが、今の年齢で考えれば、自分一代でその政略を成就する事は出来ない。

 誰か俺の死んだ後に其の後を継ぎ、計画してくれる人が無ければならない。所が俺には息子は無し、唯李羅という娘一人、娘では成長しても政略の役には立たない。幸いお前は李羅と許婚であり、何もその許婚の約束を廉(かど)に取る訳ではないが、李羅も十人並み優れた女と言われるように育てたから、お前はあれの夫となり、俺の息子となった積りで、今から大いに奮発し、俺の政略の後を継ぐ大政治家となってくれ。お前にその奮発さえあれば、俺が充分に良く仕込み、総て政治家になるだけの術を教え、俺の死ぬまでお前の心とお前の体を練り固めてやる。どうだ、そうして大政治家と為る気はないか、」

とこう言われた。勿論其の頃私は学校を出たばかり、唯立身出世して功名富貴を得たいとのみ思って居る折だったので、これほど有り難いことは無いと、充分呑み込んで承知したが、今思えばそれがお前の身を誤まらせる本であった。私の返事に伯爵は喜んで、

 「好し好しそれではお前は大政治家と成る為め、未だ十四、五年は俺に従い、最も苦しい実際の修行というものをしなければならないが、ヤッと学校を出たばかりで、又十四、五年の修行と有っては余り辛くて辛抱が仕切れないだろう。依って今から満三年の暇をやる。其の三年を楽しみの時と心得、思う存分に遊び楽しみ、もうこれに堪能して再び遊びたく無いと言うほどに成って来い、」

とこう言って暇を呉れたが、私はここ三年より外に生涯遊ぶ時は無いと思い、したい放題に遊んでいた。遊びながら後々の事を思えば、この身ほど幸いな者は無く、英国一の美人という李羅嬢を妻にして、自分は世界中の大偉人に成れると、それが唯一つの目的であった。」
と言いにくそうに言い来るのを聞き、イリーンは唯一声に叱り付け、

 「貴方が世界中の大偉人に成れます者か。貴方は小人中の小人です。どれ程の小人でも憚(はばか)るほどの、賎(いや)しい振る舞いを、貴方は憚(はばか)らずにしているでは有りませんか。」
と罵(ののし)り懲(こ)らしめる。
 このおさまりはまだ長い。

※注 邪険・・・人の心を思いやらず、手荒く扱うこと



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