巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

musume21

嬢一代   (明文館書店刊より)(転載禁止)

バアサ・エム・クレイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2013.7.23

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               二十一

 この夜李羅嬢が招かれて行った夜会と言うのは、当時英国第一の社交家と知られていたダンパ夫人が、大陸の旅行を終わって帰ったその披露として、久々に開いたもので、英国の上流と目される紳士、貴夫人は、洩れなく之に臨んだ。

 宵の中より集(つど)い来る人々が、早や大広間に満ちようとする頃、その一方の隅に立ち、満場を見渡して彼れ是れと評し合っている三人の紳士がいた。
 その一人は彼の西富春人(はるんど)である。甲紳士は今しも入って来た李羅嬢に目を注いで、春人の袖を引き、

 「サア来たぜ、僕が今迄最近八十年来に二人と無い美人と評した、是蘭(ゼランド)伯爵令嬢李羅子が。」
と言うと、春人は彼より先に目に留めていたが、まだ気付かない振りをして、
 「何処に、何処に」
と言って、甲紳士の指し示す所を見、初めてそれと知ったように、
 「成るほど来たな。美しいネエ。」
と言う。

 乙紳士が進み出て、
 「本当にあの様な美人は罪作りだ。今夜のこの席にも、俺ならば充分に嬢の夫に成れるだろうと、内々望みを持っている紳士が、少なくとも五十人はあるだろうが、その中の一人が望みを達すれば、残る四十九人は失望する。唯一人に最大幸福を与えて、残る四十九人に最大不幸を与えるのは、アノ様な美人だよ。」

 「何も不幸を与えるという訳では無い。先は与えも何もしないのに、こっちで不孝を招くと言うものサ。」
 声がまだ切れないうちに甲紳士は打ち叫び、
 「ヤ、ヤ、最大幸福、最大幸福、見給え、李羅子が人懐かしそうに部屋中を見回している事を、アレは必ず最大幸福を与える積りで、その人を探して居るのだゼ。」

 「成るほどそうだ。右の隅を眺めているが、アノ辺には、最大不孝の人種が殖民していると見える。ソレ、視線が段々我々の方へ転じて来るワ。」
 言ううちに李羅子は、この一群に目を注ぎ、初めて見認得しと言う如く、ニッと笑み、黙礼の意を示したのは、是が父伯爵の言い含めた素振りと言うべきか。
 春人(はるんど)は唯是だけで、早や腹の中に頷いたが、甲紳士は躍起となり、

 「最大幸福のその人は僕だよ。拙者だよ。誰あろうこう言う某(それがし)だよ。見たまえ、嬢が僕を見留めて、愛嬌の溢れるほどに目配せした。」
 「ソレは僕と並んでいるから、僕に注いだ愛嬌が君の方へ溢(こぼ)れたのだ。兎に角嬢の傍に進み出て、決戦投票を受けようじゃないか。」
とどよめきながら三人で、李羅子の方に進んで行ったが、近寄るに従って、嬢の愛嬌が唯春人にばかり注がれるのを見て、

 「何だ、馬鹿馬鹿しい、僕じゃ無い、西富子爵だ。」
 「成程そうだ。結局僕が最大不幸の第四十九番目に当たるのか。」
 「僕が第四十八番目だ。」
と言い、人知れず両方より春人の脇の下をくすぐって分かれ去った。
 春人は二人に分かれ、唯独り李羅嬢の前に行き、兼ねて懇意の間柄なので笑いながらに、

 「今夜は何番、私と踊って下されます。」
と言う。嬢も非常に心安そうに、
 「何番でも貴方のお望み次第です。外にまだこれと言う約束が有りません。」
 「望み次第と有れば、私とばかり踊って、外の人と踊りなさるなト斯(こ)う願い度くなりますが、早や方々に貴方を熱心に見て居る人が有りますから、それでは私が憎まれます。我慢に我慢して、双舞(ワルツ)を二組お願いしましょう。二組踊って下されば、今夜の出来るだけの仕合わせです。」

 嬢は寧ろその少ないのを恨むかの様に、
 「オヤ、たった二組、貴方のお望みはそれだけで満足なさるのですか。大層満足しやすいものですネ。」
 「イヤ、この上の望みは大変な望みです。貴方が言うなと仰っても、機会を見て申さずには済まされません。」
と言い、更に低い声で、
 「外の人の聞かない所で。」
と継ぎ足して、ここの所は分かれたが、これだけの言葉に双方とも言外の意味をやり取りしたのだ。

 是より幾時も経ないうちに、満場入り乱れた踊りとなり、踊りの間には場所を求めて休み、休んでは又踊るなど、我も人も夢中になって興ずる頃、同気相引き、求めずして自ずと茲に至ったものか、春人と李羅嬢は舞踏室からやや離れた、盆栽室の非常に静かな所に落ち合った。
 「オヤ、李羅子さん、貴女もここに。」
 「ハイ、西富さん、貴方も。」
と怪しみ合うのは上辺だけで、実は心に茲(ここ)ならば会えることも有るだろうと、互いに思い合った為に違いない。春人は先ず傍(かた)わらの腰掛台を引いて李羅子に与え、己もその前に座し、膝と膝との突き合うまで薄寄(せりよ)って、

 「到頭大望の口を切る時が来ました。李羅子さん、もう私の心が分かったでしょう。貴方のお許しを待っていますが。」
 「許しとは。」
 「イヤ、以前から親と親とで取り結んだ約束とかがあるからこう言うのでは有りません。真実に貴方を愛し、生涯を共にしたいと思うから言うのですが、貴方は今までこの事を何とも考えた事は有りませんか。」
と問ううちにも春人の胸の中には、自ずから先年小川の岸にイリーンとこの様に並び座し、この様な事を語り合た時の様を思い出さない訳けにはいかなかった。

 その時と今の様とは実に一方ならない相違がある。その時は燃え立つ様な愛の為に、胸も騒ぎ言葉さえ、思うように出て来なかったが、今は我が心にこの女に向かう愛はあるのか無いのかすら、充分には知ることが出来ない。唯出世の道と思えば半ば勉めの心で、愛の言葉を語るだけ、李羅嬢の様子も彼の時のイリーンの様子とは、又何という違いだろう。

 イリーンは愛の外には何も考えず、我が言葉の為に泣き、我が言葉の為に喜び、我が一言は深く心の底から出て、彼の心に入り、彼と我と唯一身胴体の様に、少しの間も離れられな無いように思われたが、李羅嬢は我が言葉に喜ばず、我が思いに動かされない。親しいうちにも、我と全く別々なるところが有る。我が妻になるのを待つのに似ているが、一身同体に融化(ゆうげ)しない。唯親しみと言うだけで、愛と言うものの有る無しさえ分からないのに、この様な冷ややかな婚礼で、真に生涯が幸福に送られるのだろうかとは、春人の心のどこかに有って、払うにも払う事が出来ない感じがする。

 真に愛したイリーンには分かれ、それほど迄に愛さない李羅子と生涯を結び合わす。
 是も我が日頃からの心がけから起こった事で、何と無く穏やかではなかった。


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