巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

musume25

嬢一代   (明文館書店刊より)(転載禁止)

バアサ・エム・クレイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2013.7.27

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               二十五

 イリーンは猶(なお)も我が身の復讐は唯自分一人で何人の力も借りず、又何人にも知らさずに果すとの決心を父に告げ、漸(ようや)く承知させることが出来たので、わが指に今もまだ嵌(は)めて有る、彼の偽婚礼の指環を脱(ぬ)いて父に渡し、最早身に付けるのも汚らわしい品であるが、復讐の一念を忘れない為保存しておいてくださいと言い、その代わり復讐の事が終わったならば、直ちにこの指環を捨てるので、私が再びこの指環を父の手から受け取る時は、即ち復讐を遂げ果たして、この指環を相手に返す時であると思ってくださいと言うと、父は恨めしそうにその指環を持って歯軋(ぎし)りしたが、イリーンの言葉とあれば唯の一度も聞き入れない事の無い父なので、やがてその意に従い、指環は堅く紙に包み、表に、「悪人の記念(かたみ)と書き記し、どこかに仕舞い納めた。

 アア、イリーンは如何(どのよう)にして仇を復するかんがえなのだろうか。復讐とは口に言うのは容易(たやす)いことだが、行うのは非常に難しい。往古(いにしえ)より生涯復讐に身を委ねてその目的を達することができなくて死んだ者幾人いるか知らない。
 イリーンは実に復讐の難しさを知っており、自分が生涯復讐の手段(てだて)を求め、終にその手立て得ることが出来ずにずに死するとも、この決心を動かしはしないと密かに誓った。今は是と言う工夫は無いが、求めて止まなければ、終にはその工夫はあるだろうと、堅く信じて疑わない。

 是から父の家に留まって、唯復讐の時がくるのだけを待つうちに、その時は来ずに春も秋も空しく過ぎ、終には春人の婚礼さえ聞くことと為ったので、罪を犯したその人が栄て行き、罪を犯された自分は益々日陰に埋もれて行くかと、悔しさは又一層加わって来るばかりなので、せめてもの憂(う)さ晴らしに、「血を見る敵」の短剣を李羅嬢に贈ったけれど、その後は夜もおちおち眠られず、火宅《火事で燃える家》に座した思いで、この世の楽しみと言うものは何も無く、内に入るのも外に出るのも、見るもの総て昔春人と岸添えに座した様(さま)などを思い出す種ばかりで、我が身はそれが為日々に衰え、鏡に向かう度毎に、我が顔のいやがうえにも悲しそうなのに打ち驚く程なので、この上一年もここに居ては我が命が続かないと思い、或る時父に向かい、どこかに転居しようと言い出したところ、父はもとよりイリーンの悲しそうな様を見て、一人この後を心配していたところなので、喜んで承知しながら、

 「イヤ、イリーン、それには何より好い事がある。実は父の画を殊(こと)のほか贔屓(ひいき)にする当国一の貴族五田(いつた)公爵が数年前から父に迫り、伊国(イタリア)ローマ府に在る別荘の部屋部屋を彩色してくれと言われているが、別荘とは言え、実はスペロル宮と人に知られる、王宮と同じ程の城郭だ。室内の彩色をし直すには一月や二月では中々出来ず、一年ほどもローマへ出張しなければ成らないから、父は今迄断っていたけれども、和女(そなた)がそう言う願いなら、直ぐに公へ兼ねてのお頼み承知したという手紙を送り、万端の打ち合わせを済ませた上で、和女(そなた)と共に出張しよう。」

と言い、その日の中に公爵家に手紙を出し、娘をも連れて行きたいとの事まで書き添えたが、日を置かずに公爵から非常に満足しているとの返事が来た。数多の旅費まで送りって寄越したので、イリーンは父に連れられて直ちに伊国(イタリア)へ向け出発した。

 五田(いつた)公爵とは人も知る、英国では、皇族にも続く程の家筋で、その当主公爵は既に四十の上に近いけれど、十余年前に美徳璃(みどり)という最愛の妻を失い、その後は唯この世をもの憂しとして、再び妻を迎えず、その非常なる資産で唯慈善と美術とに心を寄せて、我が憂さを紛らわせて世を送っていた。
 
 そのローマ府の別荘スペロル宮と言うのは、伊国(イタリア)第一とも言われる古宮城で、実は公爵の妻だった美徳璃(ミドリ)夫人の生まれた家である。ローマ府には殆ど用も無い公爵ではあるが、その古宮を立派にし、大金を擲(なげう)ちて修復しようと言うのは、美術を愛するとの口実ではあるが、実は死んだ妻を思う心がまだ止まず、夫人美徳璃(ミドリ)の記念にするためと知られる。

 そもそも夫人美徳璃(ミドリ)は、伊国(イタリア)第一の貴族パラツゾ公が老年に及び初めて儲けた一女にして、五田(いつた)公爵が昔同国に遊んだ時に、思い思われて夫婦となり、英国に来たのだが、風土がその身に合わなかった為、二十三歳を一期として、故郷であるスペロ宮の事を言い暮らして死し、その家筋も又夫人美徳璃(ミドリ)と共に絶え、後を継ぐ者が無い事となったので、その古宮は妻の財産として五田公爵の手に帰したものである。

 公爵は夫人美徳璃(ミドリ)が死んでから二十年の今日までまだその愛を忘れず、美徳璃(ミドリ)が死に際まで古宮の事を言い続けた事などを思い出し、その魂はきっと彼の古宮に帰ったのであろうと思い、自分も古宮に行って暮らそうかと言い出す事も度々だが、死んだ妻の事を何時までも慕っていては、徒(いたずら)に心を悩ますばかりなので、面影を思い出させる彼の古宮は、妻の事と共に忘れるの一番だなどと諌める者が何人かあり、スペロル宮に住むという意は果たす事が出来ないでいたが、まだ未練が消え尽さず、しばしばイリーンの父ダントンにその彩色を頼んで居たが、この度初めてその思いを達したのである。

 画工ダントンが行ってから半年ほどの間に、何度も手紙で何処の壁は如何にするか。あの室には何を描いたら好いかなどと聞いて来た。一々その指図を送って居たが、追々彩色も捗(はかど)ったとの知らせを得て、公爵は古宮の懐かしさに我慢が出来ず、仕上げの前に是非親しく検分しようとの口実で、伊国(イタリア)へ旅行する事と為り、二、三の心利いた共を連れ、愈々(いよいよ)英国を出立したが、心は古宮に在らずして唯一種の妄想に在り、

 古宮の美しき景色の中に、亡き妻美徳璃(ミドリ)がきっと我を待って入るに違いないなどと思い、夢の様な心地で伊国(イタリア)へは着いたが、馬車を古宮の門に停め、歩してその庭に進み入ると、不思議や、短い生垣の疎らな彼方に佇み、かって我が初めてその所に美徳璃(ミドリ)を見初めた時と殆ど同じ姿で、同じ美徳璃(ミドリ)と思われる一婦人、彼方を向いて立っている。

 後ろ姿の事なので、その顔は分からないが、肩から腰に至るまで美徳璃(ミドリ)でなければ誰か、又これほどまでに優(しとや)かであることが出来ようかと、公爵は唯恍惚とし、是が夢か現実であるか分らなくなってしまい、我を忘れて口を開き、
 「オオ美徳璃(ミドリ)、美徳璃(ミドリ)」
と呼んだ。


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