巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

musume35

嬢一代   (明文館書店刊より)(転載禁止)

バアサ・エム・クレイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2013.8.6

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               三十五

 復讐の意を繰り返すイリーンの言葉付きは静かではあるが、争い難い決心の様子が有るので、春人は薄気味悪く、成るべく賺(すか)し宥(なだ)めるのに越したことは無いと思ったのか、媚びるような語調で、
 「ダッテ貴女は公爵夫人と言う、社会第一の地位を得たでは有りませんか。私がどれ程実意を尽くしても、貴女をこれ程出世させる事は到底出来ないところでした。是を思えば私と離れたのが、貴女の真の幸いと言うものです。この地位に満足せず、更に復讐などと言うのは余り執念が深過ぎましょう。もう大抵にして。」
と言い掛けるのを、イリーンは聞きも終わらず、

 「ナニ、貴方の意見を聞くには及びません。聞きたくも有りません。」
と嗜(たしな)めて、早や立ち去ろうとする様子なので、春人は更に悲しそうな声を粧(よそお)い、
 「それにしても貴女は、私を犬猫か何(なんぞ)の様に、慈悲も情けも無くお扱いなされますが。」
と言ったけれど、イリーンは唯眼の一転で制し停めたので、春人は最早情に訴えるのも無益と見てか、更に調子を改めて、

 「イヤ、公爵夫人、私の唯一つのお願いですから、どうぞ仕舞いまで聞いて下さい。ご覧のとおり当家と私の家とは浅くは無い間柄で、屡々(しばしば)往来もしなければ成りませんが、当家の夫人が私を恨みにしては、私の地位が何よりも困難です。来て好いか来て悪いか、入るのが好いか帰るのが好いか、自分で自分の位置が分りませんから。」

 「イエ、当家では、貴方が自分の地位などと言う程の地位を貴方に与えません。私に恨まれるのが辛くてお帰りなさろうと、それとも茲(ここ)にお在(い)で成(なさ)ろうと、当家は総てその様な事を度外に置きます。犬猫の出入り口に一々気を止める家柄では有りませんから。」
と真に犬猫同様に言い放たれ、是には春人も火と怒りの色を現したけれど、怒るにも怒れない場合なので、漸くに自から落ち着き、

 「イヤ、そう仰っては困ります。実は貴女が立ち去った後、貴女の身を気遣ぬ日とては無く、あの別荘なども其の後一年余りの間、今日にも貴女が帰る事かと、其の儘(まま)にして置いた程です。其の後五田公爵がパリで婚礼したことは聞きましたが、その夫人が貴女であろうとは実に夢にも思いません。少しでも貴女と疑えば、私は決してこの席へ来ない所でした。知らずにに来て貴女と分り、逃げ出そうかと思う程驚きましたが、兎に角貴女の口から聞くだけの事を聞かなければ逃げ出す事も出来ません。第一公爵が貴女と私の間に、深い秘密の有る事知って居るのか知らないのか、知っているなら一刻も私が、此の家に留まる事は出来ず、知らないならば何も逃げ出して疑いを招くと言う愚かな真似も出来ませんから。エ、夫人、公爵が知って居ますか。知らずに居ますか。唯是だけを聞かせて下さい。」

 「知っているも知って無いも、総て公爵の事です。貴方が聞くには及びません。」
 「イエ、及びます。知っているなら私は後と言わず、今この席から立ち去らなければ成りません。」
 イリーンは侵し難い色を示して、
 「貴方は自分の汚らわしい心を以って、私の夫、五田公爵を計るというものです。公爵がもし貴方の汚らわしい罪を知れば、初めから貴方を寄せ附けません。」

 「では何にも知りませんか。」
 「イエ、私は夫に物事を隠す心は有りません。何もかも打明けて有ります。」
 「エ、エ、何もかも打明けて」
と春人は顔色を失ったが、まだ合点の行かない所がある。
 「貴女は本当に私を苦しめるというものです。明らかに言い聞かせて下さい。公爵はどれ程知っています。それを聞かせてさえ下されば、私は唯貴女の言い付け次第、此の家へ来るなと言えば参りません。再び貴女の前へ出ないようにでもどの様にでも致します。エ、公爵はどれ程知っています。是を聞かせて下さるだけの親切が貴女に無いとは思われません。」

 「オオ親切、私と貴方の間に何で親切などと言う事が有りましょう。ハイ、少しも親切は有りません。併しこの秘密は、元が貴方と私の間に出来た秘密ですから、唯心得までに、今どうなっているかと言うだけ聞かせて上げましょう。」
 「ハイ、どうぞ、どうぞ。」
 「私は貴方の家を出て直ぐに父の許に帰り、何もかも打明けましたが、父は一方ならず立腹し、目付け次第貴方を殺すと言いましたが、唯私が貴方の名を知らさない為、仕方なく其の儘に止みました。間もなく父は五田公爵の頼みを受け、ローマの古宮を修復する事に成りましたから、私も父と共にその古宮へ行ったのです。」

 「分りました。分りました。」
 「そうするとその古宮へ公爵が来て、私に妻になれと言いましたが、公爵は貴方のような小賢しい知恵は無く、偽りの婚礼などは思い付かず、唯貴族として恥ずかしくない、昔からの仕来りの通り、私を表向き本当の公爵夫人に成らぬかと言いました。」
と初めて一種の嘲(あざけ)りを現すと、流石の春人も之には耐える事ができず、我知らずその顔を覆うと、イリーンは言葉継いで、

 「そう言われましたけれど、今までの我が履歴を隠し、夫たるべき人を欺いて婚礼しようとは思わず、返事する前に何もかも打明けました。」
 「エ、打明けましたか。それは非常な思い切った事です。」
 「何の思い切った事で有りましょう。唯人間の道を尽くすだけです。之を隠すことこそ人間以外の、左様、貴方のような鬼鬼しい心が要るのです。」
と急所に一々釘を打ったが、春人は何と言われても争うことが出来ない。

 「私は隠す力が有りませんから、悉く打明けて、公爵の判断に任せました。そうすると公爵は私の身に露ほども穢(けが)れは無く、穢れは総てその汚した男の身に着くのだと言い、早速私をを公爵夫人にしたのです。」
 「ですが私の名前まで話しましたか。」
 「イエ、公爵も私の父と同じく、その男を探し出し充分に罰してやると言いました。けれども、私は自分の仇は自分で打つのが道だろうと思いましたから、名前ばかりは知らせませんでした。自分で復讐の見込みが無ければ、せめて父にでも、夫にでも貴方の名を打明けて、仇を返えしてもらうかも知れませんが、私一身で打つ事が出来ますから。」
と少しも騒がず述べるのは、深く心に頼みとする所が有る為に違いないと、春人も密かに恐れを催した。



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