巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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       第百三回 黒天女国の確信

 平洲、茂林は夫人に向かい、老黒人より聞いた通り、男爵が確かに麻列峨(マレツガ)国へ向け下弦の月の夜に出発した事、再び土門陀(ドモンダ)人に捕らわれた等の不幸は無かった事、又死骸などが見出された様子が無かったので、無事に麻列峨(マレツガ)へ入り込んだ者と認とめる外無い事等を語ると、夫人は、

 「全くそれ丈ですか。」
と、念を押し、平洲が、
 「ハイ全く是丈です。」
と言い切るのを聞き、
 「では早速麻列峨(マレツガ)国とやらを目指し、進む事に致しましょう。」
と云って退いた。

 夫人の心の中が、嬉しいのか悲しいのか。
唯だ打ち沈んで引き立たないのは、心配が身に余る為に違いない。
 後で平洲は茂林に向かい、

 「それ見給え、男爵が生きて居るらしい様子を夫人に告げることは、我々の言葉も極めて出易いが、若し男爵が死んだとか、捕らわれたとかと云う事柄ならば何だろう。僕は到底夫人に向かい有のままに告げ知らせる勇気は無いよ。」

 「それは僕だって同じ事だ。男爵が更に此の上の不幸に陥ったと云う事柄なら、自分の口から云う事は出来ない。必ず寺森医師か帆浦女かへ頼んで云って貰う。」
 「シテ見れば全く君も僕も深く夫人の気質に感じ、自分の身は何う成っても、夫人さえ幸福で有れば好いと云う心に、知らず識らずに成って居るのだ。芽蘭男爵が生きて居れば好いがと心の底で祈って居るのだ。」

 「如何にもそうだ。男爵が生きて居れば、君、僕、共に絶望する譯だけれど、それでも夫人の悲しみを察し、何うか生きて居れば好いがと、此の旅行の目的に違反する様な事を思うのは不思議だよ。」
と互いに心を語り会う所へ、

 「アア今日は実に疲れた。」
と云い、来て加わったのは寺森医師である。
 茂「オオ寺森君か。君は今まで何所に居た。我々は自分の身が忙しかったので、君の事を殆ど忘れて居た。」
と云うと、寺森は心地悪そうに、

 「アア幾等外科医でも、今夜の様に沢山怪我人を見ては、ホトホト厭になる。魔雲坐王の軍へ捕虜と為った敵兵が、五百人から有る。その中に二百人が怪我人だが、槍の傷よりも歯に噛まれた傷が多い位だ。

 魔雲坐王の兵の中にも、敵に噛まれた怪我人が沢山ある。実に喰人種の恐ろしい習慣には驚いた。
 此の外に食い殺されて臓腑などを引き出され、又は骨際まで肉を喰われた死骸が、戦場に四、五十は有るだろう。」

 平洲も茂林も此の報告には気分を損し、
 「君は今までその様な無惨な光景を見て居たのか。」
 「見度くは無いが、治療して居れば自然と目に留まるよ。お負けに魔雲坐王の部下が、無傷の捕虜を片端から歯を附けて、早く傷物に仕て置かなければ、何の様な謀反を企てるか知れないと云うから、僕は漸(ようやよ)くそれを制止し、

 捕虜が謀反など企てる事が出来ない様に、厳しく縄を掛けさせ、一々番人を附けて来た。
 医者の役目の外に、この様な事までしなければ成らないとは、実に厭々(あきあき)してしまう。」
と愚痴を溢(こぼ)したが、早や夜は十二時を過ぎたので、万事は明朝の相談に譲り、間も無く一同、宿営の中に退いた。

 翌朝三人は夜来の疲れにも似ず、日の出ないうちに起き出したが、第一の勤めは負傷者の手当である。だから寺森医師を先に立て、麻雲坐王の許に行こうとすると、寺森は威儀を正して、
 「医者の目から見れば、王の命も兵卒の命も大切に差(かわ)りは無い。先ず兵卒の手当を先に仕よう。」

 茂「成る程、王も兵卒も怪我人と云う点は一様だろうが、少しは貴賤の別を立て、王から先に診て遣るのが順当だろう。」
 「イヤ貴賤の別を立てれば、猶更兵卒を先にする。パリの医者は誰でも貧しい患者を先に診察するよ。

 貧しい者は数が多いから、その病気が良くなれば直ぐに、評判が広がって、上等の患者からも迎えに来る事と為る、たとえ沙漠の中迄もパリの風を吹かせて通ると云うのが、此の旅行の最初からの約束だから、僕はパリ風を捨てる事は出来ない。矢張り貴人を後へ廻す。」

と詰まらないパリ風を吹かせて動かないので、平洲も茂林も苦笑いしながらその意に従い、第一に最も下級とする捕虜から検診すると、成程、怪我人の多くは歯の創(きず)で、一応の手当は済んだけれど、まだ血が流れる者、肉の膨れ揚がる者、皮膚を噛み破られた者が、

 「オーアイ」
の声を発し、泣いて苦痛を訴えつつ有り、医師一人で数十百人を、一々診察する事が出来る筈が無いので、その中の危うい者を選んで手当を施こし、他は老兵名澤に、その創所を一々洗って遣るようにと言附けた。

 野蛮人の体格は文明人よりも遥かに良く、怪我に耐える能力があって、唯だ水で洗う位にしても、かなりに治療の功を奏すこととなった。捕虜の中には敵の村に進み入って捕えて来た女も子供も有る。これ等は魔雲坐王に話し、早速放ち還(か)えさせようと三人で相談を極めた。

 次に兵卒の怪我を検診し、最後に王の許に行くと、王は昨日受けた矢創の痛みも早や大方は忘れ尽くしたと見え、平気で立って来て、
 「白人の療治は神の様だ。毒矢に射られた者は、到底その矢を抜く事は出来ずに、一日一日に其の毒の痛みを受け、遂に苦しみ死する事が即ち毒矢の持ち前なのに、我はその毒にも感ぜず、今朝は日頃の通りである。

 全く白人が巧みに矢を抜き、毒を消して呉れた恩の為である。」
と云う。平洲はす透(すか)さず、
 「王よ、その恩に感ずるならば、恩返しとして吾等の言葉に従い、差し当たり捕虜の女と子供を放ち還(かへ)したまえ。」

 王は迷惑気に考えた末、
 「捕虜は吾れ自ら捕らえたのでは無い。各々我が部下の中に捕らえ主がある。その者が己れの食糧に充てる為、捕えて来た者なので、殆ど我が一存にも計り難い。吾れ自ら捕えた分だけは、御身等の言葉に対して、放して遣ろう。」
と云い自ら背後の物影を差し示した。

 ここには男女取り雑ぜ、十余人の捕虜が居た。察するに是れはすべて王自らが捕らえた者では無く、捕虜の中から最も肉肥えて旨味の有り相なる者を選り抜いた者に違いない。寺森医師はその者共の体格を熟々(つらつら)見て、平洲と茂林とに向かい、

 「見給え、彼等の体格の立派な事を、殆ど白人に似て居るぢゃ無いか。今までの研究に由ると、アフリカは東西南北ともに海の際には極めて体格の劣等な人類が棲んで居て、それより内地へ入るほど体格が立派に成る。北から進んでも南から進んでも、その事実が明らかだ。

 是で推して見ると、麻列峨(マレツガ)国は此の土門陀(ドモンダ)よりも、更に体格が良い人種に違い無い、真にアフリカの真ん中と云う遙青山の麓まで行けば、何れほど立派な体格の人が有るか知れない。僕は此の理に由って、黒天女の国が有る事を確信する。

 黒天女は即ち女の体格が最も完全に発達した者で、それが為め美人国などと云う綽名を得た者で有ろう。僕が黒天女の国の事を云うと君方は、ソレ又女護洲(にょごのしま)の妄想を持ち出したなどと、何か僕に野心でも有るかの様に笑うけれど、決して僕は妄想でも野心でも無い。

 今までの実験から推理してアフリカの中央には、色こそ黒いけれど、完全なる体の人種、従つて完全に発達を遂げた美人が住んで居るに違い無い。」
と云って頻りに捕虜の体格に感心して、例の黒天女説を非常に真面目に言い張るのは、成程全くの妄想では無いと見えた。



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