巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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        第百六回 以前に白人が一人来た

 既に耕地が有るからには、此の辺に必ず人家も有るに違いない。人家が有れば芽蘭(ゲラン)男爵が、果たして此の国内へ無事に入り込み、此の辺りを通ったか否かを確かめるのは難かしくは無い。

 黒人だけが住んでいる土地を、白人が通ることがあれば、黒人一同は非常に珍しい者と思い、寄り集って之を虐(しいた)げるか、或いは之を敬うか、孰れにしても長く一同の記憶に存する事は、今までの経験で明らかなので、兎に角人家が有る所まで行って尋ねる事にしようと、平洲は先ず望遠鏡を出して望み見ると、所々に樹木が林を為せるのは見えるが、人家らしきものは見えない。

 密集するが蛮人の住居なので非常に低く作ってある為め、木蔭に隠れて見えない者に違いない。耕地の間には人が踏み開いた径(こみち)の様な所もあるので、狂い惑うには及ばない。

 又も幾里《数Km》を進んで見ると、果たせるかな、林の蔭に低い人家が在って、住んで居る者どもは一行の有様を見、何事だろうと怪しんで出て来て、見る間に数十人群れ集まって、口々に何事をか語り始めたので、平洲は行を留めて、老兵名澤に彼等が何事を云っているのかを聞かせると、名澤は暫(しばら)く聞いた上で、此の邊の言葉は門鳩(モンパト)地方や土門陀(ドモンダ)地方と総ての言語は同一であると思われるが、調子が全く違う為、聞き慣れる迄は理解する事が出来ないと云う。

 是は何よりの困難である。如何にしようかと思案する中、土門陀(ドモンダ)で救った彼の老黒人が、故郷の人の顔を見て懐かしさに我慢が出来ないと云った様子で、背後の方から馬を躍らせて進み出たので、平洲は是幸いと、更に老黒人をば通訳の又通訳にして、彼をして原住民の言葉を名澤まで取り次がせ、更に名澤をして老黒人の言葉を翻訳させて見ると、原住民は此の一行が戦争の目的なのか平和の目的なのかを疑い、逃げようか襲おうかと相談しつつ有りとの事であった。

 更に其の中の一人は、
 「見て見ろ、先に来た様な白人が又来た事を。先の白人は甚だ穏やかで、争いなどはする気もなかった。此の白人等も同様なのに違いない。戦争の為では無いに違いない。」
と衆を制しつつ有りとの事である。

 さては芽蘭男爵が無事に此所を通ったと見える。先の白人とは芽蘭男爵である事は明らかである。男爵は病後の身であるが為に、非常に穏やかに此の原住民等の憐れみを受けて通った者と見える。

 それで平洲は更に、此の一行が少しも戦争の意が無い事から、単に麻列峨(マレツガ)の国王と、昔の交わりを温める為に来た事を説明させると、原住民は大いに安心した様子で鎮まったので、更に先の白人とは如何なる人で、何時頃如何にして通ったのかを問はせると、彼等の記憶は非常にはっきりしていた。

 其の言に由れば、先の白人は宛(あたか)も天から降って来た様に、或朝耕地の芋畑に倒れて居たのを、田を作る人に見え出され、此の村へ連れ来られたが、非常に飢え疲れた様子だったので、食を与えて介抱し、其の力が附くのを待ち、様々に問い糺(ただ)すと、

 「遠い国から土門陀(ドモンダ)まで来て、土門陀(ドモンダ)で捕虜と為り病に罹り、千辛万苦の末、深林を潜(くぐ)って此の国まで来て、飢えを癒そうとして芋畑に倒れた事を手真似や片語(片言)で話たので、十五日ほど此の地で介抱した末、当人の望みに由り、村から村に送って、此の国の都へ向けて出発させた。

 白人が此の土地に入り込んだのは後にも先にも是だけだと云う。其れは芽蘭男爵である事は益々以て明らかである。アア何と其の有様の憐れにして、其の志の堅固なことか。一歩でも南に行って斃れようと記した男爵の言葉は、空言では無かった。

 真に男爵は、古今の遠征家中で第一の人であると、平洲も、茂林も、深く感激の余り、暫しは涙の催すのを制す事が出来なかった。唯だ幸いに芽蘭夫人は、帆浦女と共に寺森医師を初め、下僕與助やその他の通訳等に護られて、此の問答の聞こえないほど背後の方に離れて居たので、平洲も茂林も夫人の心を傷めまいと、漸く涙を隠して、更に芽蘭男爵がここを過ぎたのは何時頃なのかを尋ねると、新月の数で十回以前であると云う。

 そうだとすれば、今から十月以前である。十月の月日は世界を一周するにも足る程であるが、道も無いアフリカの内地で、而も武器も無く、案内者も無い単身孤独な男爵の身として、何程をか好く歩き続ける事が出来ただろう。

 男爵は今もまだ生きて居るので、今の居所と此の一行との間は、多分今まで思って居たよりも近いのに違いない。急いで進んで行けば、追い付いて対面することも難かしくは無いと、平洲も、茂林も、忽(たちま)ち胸に浪打つのを覚えた。



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