巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou113

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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        第百十三回 スパイは亜利(アリ)

 若し帆浦女の身体に油墨を塗り、黒人の女に扮装(ふんそう)させたならば、如何なる有様となるだろうか。真に一場の見ものとなるだろう。
 それで平洲は、茂林が保浦女を選ぼうと云うのを聞くや。可笑しさに噴出し、暫(しば)らくは返事もすることが出来なっかったが、漸(ようや)くにして真面目と為り、

 「それは実に面白い、フム面白い考えだよ。併しまさかその様な事は出来ないぢゃ無いか。」
 茂林は少しも不思議は無いと云う様な面持ちで、
 「エエ、何で其の様な事は出来ないと云うのか、少しも実行できない事は無いよ。」

 「何でと云って、吾々男子で有ってすら顔を油墨に染め、人の物笑いに成るのは嫌だと決議したぢゃ無いか。況(ま)してや少しの事をも恥ずかしがる女の常だもの、幾等帆浦女が男の様な気質だとて、此の相談には応じ無いよ。」

 「イヤ君は帆浦女の心を知らない。あの女は兼ねて黒人の王に愛せられ度いと云う心願で、既に魔運坐王に対し一方ならない失策を仕出来した程ぢゃ無いか。若し顔に油墨を塗り、黒人の女に扮装すれば黒人王に愛せられる事が出来るのではないかと此の様に思って居るに違い無い。

 吾々は白人に愛せられようと思うから黒く塗るのが嫌だけれど、帆浦女は黒人に愛せられる積りだから、吾々とは境遇が反対だ、君が同意さえすれば僕は一言で以て保浦女に承知させる。

 彼女に向かい巖如郎(がんじょろう)王が、若し貴女の色が黒ければ何れほどの美人だろうと、貴女の色の白いのを酷く残念がっていましたと云えば、彼女は吾々が勧める迄も無く、自分で顔へ墨を塗るよ。そうして又王宮へ押し掛けて行く位の者だ。

 平洲は更に考えて、
 「成る程帆浦女の心は爾かも知れぬ。併し吾々が一行中の婦人に其の様な事を目論むなら好いけれど、真面目の評議なら、僕は決して賛成せぬ。僕よりも芽蘭夫人が許さないだろう。」

 成るほど芽蘭夫人が此の様な事を許すはずも無い。茂林は非常に失望した様子で、
 「アア僕は何うか帆浦女を黒人の女の様に塗り黒め、此の邊の女は総て裸同様で、唯だ腰の邊(あたり)は獣皮などを纏(まと)って居る許りだから、彼女をも裸体にし、そうして女護の国へ旅させて見度いと熱心に望んで居た。此の様な残念な事は無い。」
と云い自分も可笑しくなったのか声を放って笑い出した。

 「その様な笑い事では無い。誰かきちんとした人を選ばなければ。」
 「では」誰にしよう。老兵名澤は何うだ。」
 「イヤ彼れは兵士の取り締まりだから使いとして出す譯には行かない。取り分け吾々は何時黒天女国の美人軍と戦わなければなら無いかも知れないから、間者《スパイ》が帰って来る迄の間、此の土地に逗留して大いに兵を練るには、最も彼が必要だ。」

 「では誰にしよう。下僕與助では役に立たない。その外には通訳阿馬か亜利の両人だが。」
 「そうだ亜利にしよう。彼れなら充分胆力が有って。」
 「そうそう彼れの胆力は曾て僕がベトイン人に捕らわれた時、君と共々僕を救いに来た。その時の有様でも分かって居る。その後も種々の働きを現わして、充分機転の利く事も知れて居るから。」

 「それのみならずサ。彼れは門鳩(モンパト)地方から此方(コッチ)への言語には深く通ぜず、難しい通訳は名澤が当たり、その身は用事が少ないから、何かここ等で一廉の手柄を立てようと、油断無く目を附けて居る様子だから、この間者《スパイ》には喜んで当たるだろう。」

 「唯併し充分言葉を使う事こそ不充分でも、先の言う事を聞き取って合点する位の事は出来るから、大丈夫だよ。それに間者は成るべく無口な方が好い。多舌(しゃべ)り過ぎて疑われては、事は破れるよ。愈々黒天女国の都へ行き、輪陀女王の朝廷で、若し芽蘭男爵に逢ったなら、自由に仏蘭語を使って、男爵と問答する事も出来るから、寧(むし)ろ名澤よりも適任だろう。」

 「では亜利と極めて仕舞おう。」
 この様にして相談も一決したので、翌朝二人は芽蘭夫人に逢い、その旨を打ち明けると、夫人は之に依存が無かったので、唯だ剽悍(ひょうかん)無比と聞く美人軍と、無理に闘いを求めるような事は不得策とし、その使いに魔運坐の部下をも数名加え、之をして輪陀女王へ魔運坐が永久の同盟を結び度いとの意を云い込ませるのが好いだろうと言い出した。

 成る程徒に魔運坐を美人軍と闘わせることは得策ではない。若し輪陀の国と魔雲坐の国とが仲好く同盟する事が出来る者ならば、同盟を計り、彼れに於いて若し同盟を拒む事があれば、その時こそは断然兵力を以て入り込む事とすると説くと、夫人の言葉添えも有る事なので、彼れは一言をも返す事が出来ず、然らば先ず同盟申し込みの使いとして、部下数名を送り出そうと承諾した。

 平洲、茂林は是れにも夫人の智を感じ、更に巖如郎の朝廷に出て、黒天女の住む遊林台の国へ貢物を送るのは何時でしょうと問うのに、昨夜茂林の推量した事に違わず、既に貢物とする牛羊を取集めて有って、数日の中に特使を出そうと言う。

 実に此の上無い好都合である。その特使の一行に魔雲坐王の部下と此方の間者である通訳亜利を加えれば、万事或いは安全に運ぶに違いない。
至急の支度に取り掛かった。



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