巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou121

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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       第百二十一回 救出は無理だ

 事情が此の通りだとすれば、男爵が再び逃げ出す事は叶わないと、全く断念して、その地の土となる決心を起こしたのも無理は無い。平洲は読み掛けて、
 「アア実に気の毒だ。」
 茂林も
 「そう決心する外は無いから、成る程決心はしたで有ろうが、何れ程か心細い事であろう。」

 寺森は、
 「しかしそう決心したのは、外から助けて呉れる人が無いからの事。吾々が愈々(いよいよ)救い出すとすれば、不幸の境遇もそれ切りで終わるのサ。」
 平洲は更に下文を読む、
 「逃げ出す望みは全く絶え、この様な絶域の土と為る事に決したのも、是れは余が家を捨て妻を捨て、義理人情に外れた行いをした罰なので、自ら招いた禍いである。今更誰をか恨もうか。

 心細くもこの様に決心した余をば、故々(わざわざ)救い出す為め、萬里の遠征が企てられたとは、余に取って身に余る大幸である。余は諸君の厚意を想い、有難さに手が舞い足を踏みだしたのも知らない。又謝する言葉をも知ら無い。アア余は最早や死すとも残念には思わない。

 余は満腔の誠意を以て諸君に謝し、且つ切に諸君が、余の救い出しを想い止(とど)まる事を、請わない訳には行かない。余を救い出すことは、到底人間の力では出来無い事だからだ。

 遠征隊にはきっと兵も有るだろう。武器も有るだろう。しかしながら兵も武器も此の残酷な国に向かっては何の功も無い。余を救おうとして此の国に入り込めば、ただ余を救う事が出来ないばかりか、諸君も共に鏖(皆殺し)にせられるに違いない。

 若し萬に一つも、助かるべき見込みが有れば、余は懇願しても、諸君の助けを請うところでは有るが、悲しい事にはその見込みが全く無い。助かる見込みが全く無いのに、余はどうして諸君の様な恩人に、犬死させることが出来様か。諸君が此の国に入り込む事は犬死の地に入り込む事なのだ。そうして余も同じく殺されるのだ。

 諸君自らも死し、余をも殺すより、余自ずから断念(あきら)めた様に、
 「芽蘭男爵は到底救(たす)ける道の無い者」
と断念(あきら)め、此の国へは入り込まずに帰国せられよ。
 帰国して諸君も助かり、余をも此の国で運命に従って、天然に死なせる事が最善だ。」

 芽蘭夫人が此の書を読んで泣き崩れたのも多分は是等の文句で、夫の境遇を思い遣り、その果敢無(はかな)さを察しての事に違いない。
 「余は更に諸君を断念させる為に、此の国の有様一般を記そうと思う。に此の国は全アフリカ中で、他に類を見ないほど残酷無惨な習慣が有り、又その残酷無惨を、充分に行う事が出来るほど強猛な国である。

 国人唯人を殺す事を喜んで、日々の務めは殺人の手段を講ずるに在る。
特に最も恐ろしいのは女子を以て組織した美人軍である。何時の時から始まった習慣かは知らないが、女子十二歳に達すれば兵に徴せられ、最も厳重なる操練を受けて、その身体と筋力とに非常な発達を現し、十七、八歳に及んでは、身を労して疲れ事を知らない。

 危うきに臨んでも怯(ひる)む事を知らない。傷を受けても痛みを訴へず。鉄石の様な身体と為り、しかもその挙動の敏捷(びんしょう)にして自在な事は譬える物も無い。足は鳥が飛ぶ様に軽く動き、手は左右とも剣を振って稲妻のようだ。この様にして美人軍に組み入れられた者は、今は八千人ある。

 その武器は孰(いず)れも毒汁に浸した物で、之に触れた者で死なな者は無く、鎧には鋭い針があり、如何なる敵も近づく事が出来ない。近づけば必ず殺される。しかもその訓練と規律との正しい事は驚くばかりだ。少し怠惰の色のある者は、容赦も無く死刑に処せらる。そうして又、一方には賞を以て奨励する道が有る。

 賞とは婚礼を許す事だ。是等の女子は戦いに臨み、敵を幾人か屠(ほふ)れば、初めて夫を授けられる者にして、夫は即ち女子の勲章である。
 美人軍は皆此の勲章を熱望して現役の苦しさを知らない。

 不幸にして敵を殺す事が無い者は、何時までも独身として老いる事になるので、戦いに臨む事は美人軍の何よりも望む所とし、一旦許しを得て夫を持てば、現役を免ぜられて、宛(あたか)も平和を取り締まる行政警察官の様に、国内の所地方へ配付せられる。
 此の許しを得ない者は厳重に監督され、殆ど男子と言葉をも交える事が出来ない。

 此の美人軍は今から数代以前に組織せられ、今の女王の代に至って最も完成した者だと云う。此の国は古来から強国では有ったが、美人軍が現れてからは、一層その強さを増し、殆ど無敵の有様なので、自然に女の威も振い、終に男子を凌駕して、女子を国王と為すに至った物である。

 今の国王輪陀(リンダ)と云うのも、美人軍の現役を最も見事に勤め果たした者だとの事で、国中の尊敬は非常に深い。男子は唯だ朝廷の下役と、地方の一部の長官に用いられるに過ぎない。

 この様にして美人軍の勢いは、年々に進む者なので、たとえヨーロッパの精兵を以てしても、之を破る事は出来ない。
 之に敵する事は死神に敵する事だ。



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