巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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      第百二十七回 軍神石の下に集結する美人軍

 敵が大軍を集めて、一行を待ている事は最早や疑う迄も無い。此の上進む事は全く死地に歩み入る者である。だからと言って引き返す事は出来ない。唯だその死地に進み入る事しか方法が無ないので、平洲、茂林、及び魔雲坐はこの事を部下に知らせて、徒(いたずら)に戦う気持ちを失わせる事よりは、秘密にする方が好いとして、黙然として分かれた。

 是から後は何時、何所に敵軍が現われるかも知れないので、最大限に偵察を厳重にして、充分地理を見定めた上で進む事としたが、此の翌々日の夕方には、既に最後の険わしい難所を越え、向こうの方、遙青山を眼前に仰ぎ見る所に達した。

 遙青山の直ぐ下には輪陀女王の都が有ると聞いたので、平洲は望遠鏡を取って見ると、更に二十哩(マイル)《約37Km》以上の距離は有りそうで、全く平地の様では有るが、小山又は森林などが幾重にも断ち隔てて、望み見る事が出来なかった。

 何であっても明日の夕か、明後日の朝と為れば、必ず敵と衝突するに違いない。その時には如何にしたら好いかなどと、心を悩ましつつ露営したが、過ぎて来た事、これから後の事などを思って、転(うた)た感激が胸に迫り、夢に屡々(しばしば)驚かされたので、東が僅かに白む頃、誰よりも先に独り起き出て、背後の小高い坂に上り、又望遠鏡を取って望み見ると、これは何としたしたことか、右も左も見渡す限りの山の峰に敵の兵があった。

 蠢(うごめき)ながら黒く動く様子は蟻の行列にも似ていた。何にしろ敵が此方の予想より早く、昨夜の中に遠巻きに囲んだ事は確かなので、平洲は急いで茂林を呼び起こし、更に魔雲坐にも知らせて、直に部下一同へ警戒する様に伝え、更に軍略を相談した。

 背後は既に昨夜越した山で、天然の囲(かこい)と成る上に、総体の地勢を見ると、敵が此方の背後に出る事は到底出来そうも無いので、唯左右の山から勢いを示して此方の主力を分割させ、実は正面から攻めて来る事は明らかである。

 此方の備えは前面に濠を掘り、その土を手前に積み上げ、塁と為して敵が越える事が出来ない様に備え、敵が寄せて来たら濠を隔てて、塁の上から射る事とし、成るべくは攻めるより防ぐ事を主と為して、唯だ敵に弛みが出来る事を待ち、弛みが出来た度に奇声を出して之を挫(くじ)き、充分敵の力を見定めた上で、猛然として突き出し、彼等を驚かせる工夫も有る。

 兎に角も多く味方を損せずに、長く持ちこたえる計略を為すのが肝腎であるとして、早速兵士人足総掛りで壕と塁とを作らせると、別に工兵の技は備えては居なかったが、何しろ必死の場合なので中々好く事が運んだ。

 その間に、平洲と茂林は又も望遠鏡を持って高い所に上り、敵の状況を見ると、先刻よりは夜も明け放たれ、更に多くの事が明白に見て取る事が出来た。遠く左右の山に居るのは、音に聞く美人軍では無い。弓矢を以て武器と為す通常の男子軍である。

 此の国の精兵は美人軍であることは兼ねて聞いている所なので、美人軍の在る所が即ち主力の在る所で、女王輪陀も必ず其所に出陣するに違いない。ここか彼所(あそこ)かと見る中に、此方の陣から僅かに五百ヤード《約456m》ばかりの東北の山蔭に集まって居る一隊があった。

 確かに是れは美人軍である。更にその備えを見ると、何うやら女王も其の背後に居る。遠い左右の山に在る兵をば、合図に依って意のままに使いつつ有ると覚しく、左右の山から此方へ来る者も有り、又此方から左右の山へ行く者も有るようだ。

 美人軍は仲々の大勢だとと聞いて居たのに、今見る所では五百人の上には出ない。意外に少ない事だなと怪しんで更に良く見ると、都の方から山麓に伝い、縦列と為ってゾロゾロと此の軍に加わる者がある。見る中に、八百人千人と増して行く状況であった。

 さては更に都から繰り出だして、ここに充分な本陣を形作りつつ有る者と思われる。今から一時間を経れば、美人軍は総てここに集まるのに違いない。戦いは先ず地形を知る事に在るので、平洲と茂林とは、次に全体の地形を観察すると、曾て亜利から聞いた様に、

 都から今しも美人軍が集まっている背後(うしろ)までの所は、真に神剣鬼斧(しんけんきふ)を以て削って作った様な絶壁で、巖々たる石を疊み、攀登(よじのぼ)れる様な所も無く、又山越えに来て襲う敵は存在出来そうも無い。

 全く壁を背後にして敵に向かう様な者である。成る程此の断崖絶壁が遙青山の此方の麓に違いなく、人も獣も之を攀登(よじのぼ)る事は到底思いも寄らない程なので、アフリカ人は全員が、之を以て地の尽きる端であると思うのも無理も無い。

 この様に観測する所へ、通訳亜利は医師寺森と共に登って来て、今迄に集まりつつある美人軍の背後(うしろ)に屏(そば)立つ絶大な巖石がある。双方から山が少し垂れて来る低い所を、戸の様に塞(ふさ)いで屹立(きつりつ)《聳(そび)え立つ》しているので、

 茂「成るほど人の姿に似た石だ。山の形を見ると、若しアノ石を何うにかして取退ければ、背後は谷間と為り、アルバート湖まで越えられるに違い無い。本当に邪魔な石だ。アレが無ければ吾々は芽蘭男爵を奪い、彼所(あすこ)から攀上(よじのぼ)って、南方へ逃げる見込みも附くけれど。」
と愚痴を翻(こぼ)すと、平洲は傍から、

 「そうサ、あの石の高さは数十丈《二、三百m》はあり、幅は外の石と重なって幾等有るとも測られないが、たとえその背後に谷間の道が有っても、到底アノ石を取り除ける見込みは無い。」
 亜利は語を添え、
 「此の国ではアノ石を軍の神の化身と称し、非常に尊敬し、アノ石へ願を掛ければ、決して軍(いくさ)に負ける事は無いと云う相です。それだから美人軍が彼所(あそこ)へ集うのでしょう。」

 茂林は嘲笑(あざわら)い、
 「幾等巨人の形に似ているからと云って、石などを神と崇(あが)める様では、充分な戦いは出来ない。それこそ我々の筒音を聞き、雷神(かみなり)を使うと妄信するよりもっと愚かだ。」

と蹶做(けな)すだけで、此の巨人石が如何ほど怪異を現して来たのかを、知らなかったのは無理も無い所では無いか。



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