巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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       第百三十二回 輪陀女王の来臨

 二人の周囲を輪の様に取り巻いた美人軍は二重三重に立並んでいる。芽蘭(ゲラン)男爵と寺森医師とは、その中に在って進みも退きもする事が出来ない。寺森は聞きしに優る美人軍の早業に驚いて、徒(いたずら)に彼等の顔を見廻すばかり。

 夢中に寺森を引き摺りつつあった男爵の方も、如何(どう)する事も出来ない。立すくんで唯だ美人軍に殺されるのを待つのみの有様であるが、美人軍は此の二人を殺せとの命令は、未だ受けていないので、単に二人を逃がしては成らないとの任務に止まっていると見え、囲んで逃げ道を塞いでいるだけ。敢えて迫って来て捕えようともしない。

 この間に寺森は美人軍の有様を観察してみると、彼等は孰(いず)れも二十歳位と見える女にして、その年齢と体格が良く揃っているのは、厳重な検査を以て近衛の兵に選抜(えりぬ)いた者と知られる。彼等は唯だ身体が非常に強健にして、強そうに見えるだけでは無い。手足その他の関節毎に鋭い針の有る武具を着けて、以て敵を刺し殺すのに用いると、曾(かつ)て聞いた事に間違いは無い。
 
 彼等は若し二人を殺す心があれば、唯だその囲みを狭めて来て、二人に密接すれば足りる。
 二人は彼等の武具に在る針に刺されて自ら死んでしまう。何の手をも下すに及ばない。

 この様な有様なので、熱心に妻の許に走って行こうと藻掻いて居た芽蘭男爵は、唯だ悔しそうに扼腕(やくわん)《手を拱(こまね)いて》して美人軍の顔を睨(にら)むばかりで、如何(どう)する事も出来ない。しかしながら睨(にら)む事少時(しばらく)にして、又思い直した様に苦々しく嘆息して、寺森に向かい、

 「御覧なさい、此の通りです。私は最も厳重な囚(とら)われ人で、此女等が番人ですから、到底逃げる事は出来ません。」
と云う。此語の中には遥々(はるばる)尋ねて来た妻の許へさえ、行く事が出来ない無量の恨みが含まれて居るのに違いない。寺森は察して遣って、

 「実にお気の毒には存じますが、」
 「イヤその様な事を云って居る場合では有りません。今にここへ女王が来て、必ず私と貴方へ処分を施します。その前に一応打ち合わせて置きましょう。私は女王に向かい、決して此の国を逃げ去る心は無いと固く誓って、その怒りを宥(なだ)めるばかりです。そうして貴方の命乞いを致しましょう。

 総て黒人は一般に何となく白人を敬い恐れる心が有って、容易には殺しません。多分女王も私の請いを聞き、貴方を向こうの陣へ放ち返す気に成りましょう。此の場合に私の為し得る所は唯だ是だけです。此れ以上の事は到底私の力には及びません。その代わり女王から貴方の命だけは赦(ゆる)すと云う命令が出れば、貴方は無言のまま慎んでお帰り成さい。

 女王に平和休戦の事を一言でも云い込んでは成りません。女王は魔雲坐王からの同盟の言い込みを、此の上も無い無礼として怒って居ますから。若し貴方が平和等の語を発せば、女王は全く貴方をも魔雲坐王と同様に見做し、此の場で殺すかも知れません。何が何でも謹慎の色を見せて逃げ返るのが一番です。」

寺森は一々に此の指図を呑み込み、
 「心得ました。けれど私が立去れば、直ぐに戦争が始まりましょう。私は休戦の旗を樹(立)てて来て開戦の端緒(いとぐち)を作って還(かえ)る様な者です。」
 「ハイ止むを得ません。併し開戦と為れば、女王も兵士も真に戦いに夢中と為るのは此の国人の気質ですから。軍(いくさ)が進むに従って、大いに私を見張る事が忽緒(おろそか)に成るだろうと思います。

 その時には私は暇を見て貴方の陣へ逃げて行きます。成る丈何うぞ長く防ぎ戦う計略を取って下さい。長い間には必ずその隙が出来るでしょう。何事が有っても此の美人軍と接近しては無駄です。接戦は美人軍の大得意ですから、萬に一つも之に勝つ事は出来ません。私は隙を見て逃げ出す所を、たとえ見つかって殺されても構いません。一歩でも貴方がたや妻の居る所へ近寄って死ぬのが私の願いです。」
と云う。

 何とその覚悟の悲しいことか。
 「分かりました。貴方の御所存を詳しく平洲、茂林の両人にも伝え、成るべく戦いを長くして、貴方に逃げ出しの機会を与える様に謀ります。」
と返事が丁度終わった折しも、壁の様に取り囲んで居た美人軍の輪は、颯(さ)っとその一方を開くと見えたが、開いた所から輪陀女王は別に数百人の美人兵を供に引き連れ、悠然として入って来た。

 アア是が寺森が黒天女と名を附けて、見ない恋にあこがれた女護洲(にょごのしま)の女王である。此の女王の心一つに在る二人の運命は、どの様に決しようとするのだろうか。



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