巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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      第百四十回 救い主は誰

 軍神石の割落ちたその崖の上に、現われた二人の旅人は、唯だ芽蘭(ゲラン)夫人の一行に対するその働きが、救世主に似て居るのみならず、その姿も真の神かと疑われる。雲の上から天降った神でなければ、彼等は如何(いか)にしてあの崖の上に居たのだろう。古往から今まで恐らくは彼の崖に立った者は唯だ彼等両人だけに違いない。

 時は今春にして、ヨーロッパならばまだ寒い頃であるが、熱帯の国と言う事で、年中寒い事を知らないので、彼等二人も白い夏服に身を堅めていた。汚れた平洲、茂林等の服装に比べれば、雪と墨ほどの相違があって、その清く見える所ろは又愈々(いよいよ)彼等を神かと疑わせる。

 此の旅人の恩に浴した平洲等の目に、この様に見えるだけでは無く、此の旅人の祟(たた)りを受けた、此の国の原住民人にもこの様に見えると見え、重傷(おもで)の為に身を動かす事が出来ずに、所々に倒れ散る怪我人等も、急に蠢々(しゅんしゅん)と動き初め、恐れて異様な声を発する者も有り、敬って礼拝しようと藻掻く者も有る。

 彼等の心は全く之を以て軍神石よりも、更に豪(えら)い神体と為し、此の神は即ち白人の守護神にして、白人が此の国の兵に打ち勝った様に、此の神も又軍神石に打ち勝ち、その石を破壊して此の国の兵を圧殺したと思って居る事は明らかである。彼等はこの様に思って居るので、此の後はたとえ彼等の軍が再び編成せられることが有っても、到底白人に刃向かうことは出来ない。

 長く白人を神としてその前に鰭伏(ひれふ)す事に成るに違いない。既に怪我人の中には、平洲、茂林等を崖の上の人と見較(みくら)べ、同じく神体ひれふであると思う様に、起きて拝む者すら有る。

 それにしてもこれ程までの霊験を現した、此の生き神は何者だろう。平洲が推量した様に、南の方、残日坡(ザンジバル)から北に向かって、アフリカの内地を探検しながら進んで来た、遠征隊の一つであることは争う迄も無い。
 此の頃は北から南からアフリカ内地を探検する者が非常に多い時代なので、この様な遠征隊が偶然に此の所に現われ出たのも、必ずしも偶然とのみは言い難いかも知れない。

 地学協会の報告に拠って調べてみると、芽蘭夫人の一行が、北から遙青山に向かって近づいて居た頃と略ぼ同じ頃に、南から同じ遙青山に向かい、女王(ビクトリア)湖の岸を跋渉(ばっしょう)《歩き回り》し、次いでアルバート湖を渡ろうとの目的で、残日坡(ザンジバル)を出発した者が無いでは無い。

 その中で最も日付の好く合うのは、李敏敦(リビングストン)翁が探り残した所を、探検しようとの目的を兼ねて出発した、英国陸軍大尉カメロン氏の一行である。此の一行には博士ヂロン氏モルヒー氏及び李敏敦(リビングストン)翁の甥モツヘー氏等が従がって行ったと、当時世界各国の新聞紙にも記された所で、

 その一部は途中から翁の死骸と共に引き返したが、カメロン大尉は非常な熱心さを以て進み、宛も芽蘭夫人の一行が麻列峨(マレツガ)国から此の遊林台に入り込もうとしていた頃、太子(アルバート)湖を去ることそれ程遠くない地に在った。双方の日取りを数え合わせてみると、此の日此の所に落合っても不思議は無い。

 さては軍神石を破壊した者は、此のカメロン大尉であるか。
此の問に答える前に、先づ芽蘭夫人の一行に洩れた、鳥尾医学士の事を説いて置こう。

 読む人はまだ記憶して居るだろう。芽蘭夫人がパリを出発する前に、鳥尾医学士と云う者が在った事を。鳥尾医師は此の一行に加わる筈だったが、老い先短かい一人の老母が有る為め、パリを立ち去ることが出来なかった。それが為此の人の代わりとして、今の寺森医師が従って来るに至った事を。

 その後ち最初から此の一行の為に浅からぬ同情を表して居た、本目紳士と云う人が、パリの平穏な住居に飽き、閑居して不善を為す事を恐れ、非常に一行の冒険を羨んで、身に夤(まつ)わる一種の繋累(きづな)が切れたのを幸いに、断然此の一行を追って来る心を起こし、暇乞の意を以て鳥尾医学士を訪問すると、医学士も丁度その老母を失い、憂いに沈む際だったので、我に従って旅行をしないかと誘った事を、読む人はまだ忘れて居ないに違いない。

 鳥尾医学士は何で否やを言う事があるだろう。芽蘭夫人に従う事が出来なかった事が、此の上無く残念に思って居たので、夫人の後を追おうとする心は、本目紳士よりも切なる身であったので、早速に話しが調(ととの)い、万端の用意を運んで、幾日をも経ないうちにパリを出発したが、

 芽蘭夫人等が行った通りの道を取っては、到底追付く見込みが無いので、船で南の方残日坡(ザンジバル)に直航し、その所から上陸し、北を指して探行(さぐりゆ)けば、孰(いずれ)れの所でか出逢う時があるに違いないと相談し、馬耳塞(マルセイユ)から紅海に入り、アデンで更に印度洋に出る汽船に乗り替え、無事に残日坡に着いたのは、千八百七十三年四月の末であった。(芽蘭夫人の一行が門鳩国に入り、魔雲坐王に引き留められて居た頃に当たる。)

 残日坡《ザンジバル》は多く探険家の往来の時、共に立ち寄る所で、北から来る人の消息なども、北に聞こえるよりも此処へ聞こえるのが早い例しが多いので、両人は先ずフランス領事官に行き、芽蘭夫人一行の便りは無いかとと問い合わせた。

 此の頃は丁度フランスの芽蘭夫人と、英国の李敏敦翁と、米国の士丹霊(スタンレー)氏と三人鼎立して三大冒険と称せられ、三ケ国の人気を集めて、世界一般から注目されている最中だったので、領事自らも最早や誰かが芽蘭夫人の消息を伝えて来る頃だと思い、日夜心に掛けて待って居るところだと云った。

 既に此の一月前(千八百七十三年一月)カメロン大尉が北に向かって出発した時も、呉々も芽蘭夫人の事を頼み、申す迄も無く途中で相逢ったならば、共に助け合う様にして欲しいと請うた程であるなどと云うので、両人は芽蘭夫人が未だ遙青山の麓へまでも、来ては居ない事を想い、又一方には若しや夫人が遙青山以北で、病気或いは残忍な現地人の為に、命を損ねたのでは無いだろうかなどと気遣った。

 更に又、領事に向かって、カメロン大尉が芽蘭夫人の事を如何に云ったのかを問うと、大尉は既に死んだ人(リビングストン)翁に尽くすよりも、未だ死んで居ない人を救うのが大事なので、芽蘭夫人の消息を充分力を尽くして探ろうと誓って出発したと言った。

 そうと聞いて鳥尾と本目は自分たちが、若し一月早く此の所に来て居たならば、その様な親切な人の一行に加わる事が出来た者をと、時が聊(いささ)か遅かったことを悔いたが、勿論この様な事に力を落とさず、更に領事から内地旅行に就いて、様々な心得を聞き取り、必要な品物をも買い入れ、又人足などをも雇い込んで、早速内地を指して、カメロン大尉の後を追って出立した。



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