巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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     第百四十六回 蛇に巻き付かれた與助

 「道々芽蘭夫人に我を介抱させよ。」
と云う魔雲坐王の言葉は、到底拒む方法が無く、之を拒んでは彼を此方(こちら)の言葉に従わせる方法が無くなるので、茂林は早くも思い定め、

 「好し、白女にその父を看病すると共に、御身をも看病させよう。御身が良く道理ある吾々の言葉さえ聞き分けるならば、白女も吾々も御身を父の様に接しよう。」
と云うと魔雲坐王は満面に喜びの色を浮かべ、

 「アア今から白女は余の看病人である。余は御身等の如何なる言葉にも従がおう。」
と言って殆ど笑み頽(くず)れる許りになったので、茂林は此の機会を外さず、

 「然らば是から山に入り、更に北へ向かって引き返す旅に就いては、道筋の選定など総て余に一任せられよ。」
 魔雲坐は嬉しさに深く思案もせず、
 「勿論だ。」
と答え掛けたが、忽(たちま)ち又その用心深い本来の性質に立ち返り、
 若し道筋の選定を一任しては、如何なる所へ連れ去られるかも計り難いと気付いた様に、

 「但し如何なる道を取るとも、御身が只今云った様に、キバライ川へ出る事はならん。」
と念を押した。茂林は仕方が無く、
 「その通りにする。」
と答え、更に後刻もっと詳細な相談をすることを告げ、分かれて平洲外一同の許に戻って来て、魔雲坐の要求の様子を語ると、平洲も之に従う外無い事を見て取った。

 又芽蘭夫人も慈悲深い心で、魔雲坐の負傷を気の毒に思う折柄だったので、夫芽蘭男爵を看病する傍(かたわ)ら、彼をも介抱しましょうと、非常に心好く引き受けた。この様に何事も決定したので、直ぐにも此処を引き上げることとし、部下の人足などを呼び集めると、矢に当たって死んだ者も、傷附いた者も有った。しかしながら本目紳士と鳥尾医師とが連れて来た人足を合わせると、その欠員を補って余り有った。

 次に名澤の率いる左翼の兵と平洲の指揮した兵士は、軍規紊(乱)れないで居て散乱もせず、一号令の中(もと)に集まって来たが、唯だ二十人程不足していた。是だけは討ち死にした者だ。又次には魔雲坐の本体を呼び集めると、これは総数の五分の一を余すだけだった。

 五分の四は行方も知れない有様なので、是れも討ち死にした者かと云うとそうでは無い。彼等は軍神石の破裂で敵が忽(たちま)ち逃げ散るのを見、一時は驚いたが忽(たちま)ち勝に乗じて、逃げるのを追い、輪陀女王の王宮の在る所迄攻めて行った者で、今もまだ王宮の方で、凄まじい叫び声が聞こえるのは、彼等が手当たり次第に人を殺し、物を奪い、人肉を喰いなどして乱暴を極めつつ有る為に違いない。

 之を呼び返す事は容易ならない業と云い、且つは魔雲坐の部下の兵が減ずるのは、彼の力を殺ぐのに好都合なので、そのままに打ち捨てて置くと、その中に彼等は奪う丈の物を奪い尽くして、王宮を初め近傍幾多の村落へ火を放ったと見え、所々に火が燃え上がり、炎々として広がるのを見た。

 平洲はこの事を知って、彼等の暴行が限り無いのを想い、眉を顰(ひそ)めて茂林に打ち向かい、
 「この様な残酷な事をする野蛮兵だから、吾々が憐れみを掛ける値打ちは無い。吾々は彼等を捨てて置いて、此の所を出立しても好いが、併し何とかして彼等の暴行を止めなければ、此の国の住民が憐れむべしだ。」
と云うと茂林は、

 「ナニ勝に乗じて私民を殺し、私財を奪うなどは野蛮の風だから、別に今更憐れむ事では無い。勿論吾々が魔雲坐王の部下までも引き纏(まと)める事は出来ない。部下を捨てようと連れて帰ろうと、それは彼等の勝手に任せよう。」
と云い、更に念の為、名澤をして魔雲坐王にその意を問わせると、彼の答えは、

 「此のままに捨てて置けば、余の部下の勇士中に或いは此の国を滅ぼして、自ら王と為る者が有るかも知れない。その時には此の国は自ずから余が属国に帰すことになるので、余は彼等を捨てて置いて立去ろう。捨てて置いても余が立去ると知って、帰って来る者も必ず多いに違いない。少しも心配するには及ばない。」
と云うに在った。平洲、茂林も其の無造作なのに驚いた。

 この様な事の間に早や日も暮れたので、最早や一夜をここに明かし、明朝を以て出発する外は無いと決したが、唯だ愈々(いよいよ)怪しいのは、下僕與助の行方である。今まではその中に現れて来るだろうと、軽く見て捨てて置いたが、日が暮れ掛っても、一向に現れないのは唯事とは思われない。

 しかしながら戦場に立ち出でて、討ち死にすると云う様な気質では無い。又死骸も見当たらないので、茂林自ら声を限りに、
 「與助、與助」
と呼んで捜したが現われて来ない。

 人夫の一人は戦争の初まる時、與助が一頭の牛を引き連れ、飢えた時は之を食糧にすることも出来るなどと云い、己が智慧を誇りつつその牛と共に背後に隠れるのを見たと云うので、さては彼れ未だ戦争が終わらないと思って、潜んで居るのでは無いかと思い、その者をしてその所を調べさせると、牛は無事であったが、與助は見えないとの復命である。

 彼れは真に戦いの恐ろしさに、何所かに隠れた者ならば、此処で勝利休戦の喇叭(ラッパ)を吹き、戦いの止んだことを知らせるのも一策に違いない。彼れは或いは安心して現れて来るかも知れ無いト、茂林自ら喇叭(ラッパ)を取って稍(や)や久しく吹き鳴らすと、怪しいことに、茂林の背後十間(約18m)ほど離れた崖の邊から、直径八寸《24cm》も有るに違いないと思われる大蛇が幾匹か、グルグルと蜷局(とぐろ)を巻いた形のまま、踠々(のた)くり出て来た。

 見ると蜷局(とぐろ)の中に與助が巻き込まれた者と見え、彼の頭だけ渦巻の様に外に出て、蛇の進むに従って蜷局(とぐろ)と共にグルグルと廻りつつ有った。アア彼れは戦いを恐れるが為めに、戦いよりももっと恐ろしい毒蛇の窟に隠れたため、この様な目に遭っているのか。



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