巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2020.4.26


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        第十五回   帆浦女の手紙(一)

 芽蘭(ゲラン)夫人の一行が阿弗利加(アフリカ)に向けパリを出発したのは、実に千八百七十二年十月十四日であると、今もまだ様々な記録に存している。
 この日一同は馬耳塞(マルセーユ)行きの急行列車には乗ったが、停車場まで見送った人は、幾百と云う数を知らず。中でも名残を惜しむこと最も深く見えたのは、この一行に加わわろうとして加わる事が出来なかった、彼の鳥尾医学士である。

 医学士は一人の老母がある為、その母を残して他国に出ることは出来ないと云うことだったが、その老母の手を引き停車場にやって来た。一同の見送り人は改札所で踏み止まっていたが、鳥尾医学士だけは唯だ夢中の有様で、老いている母御を引きずり、引きずり、改札所を過ぎて汽車の窓際まで進んだ。

 老いた母御は、涙ながらに芽蘭夫人に向かい、
 「この子もお供をする筈でしたが、唯だ貴女様が母の許に留まるのが好いだろうと云って下さった為に、この通り踏み止まる事と為りました。お陰さまでこの母が助かります。この御恩は死んでも忘れません。」
と言って真に有り難くて仕方が無いと言う様に、夫人の手を取って泣いた。

 夫人は殆ど貰い泣きに、目一杯涙を湛(たた)えたけれど、返事する力も無く、又この母御と鳥尾医学士の萎(しお)れた顔を見る勇気も無く、唯だ色を青くして、胸に満ち満ちた一切の情緒を押し隠そうとして、静かに振り放して汽車の中に隠れ入った。

 夫人が汽車に入ると共に、一声の笛の音、合図を伝え、汽車は徐(おもむろ)に軋(きし)り始めた。鳥尾医学士は立ち去る事も出来ない有様で、唯だ汽車の行く手を見守るばかりであったが、汽車の形が見えなくなる頃、漸く母御に促され、茫然として立ち去ると、改札所の垣根に添い、ここにも未だ立ち残って、見えない汽車を見送っている一紳士があった。

 鳥尾医学士の姿を発見して、
 「オオ鳥尾君か。」
 鳥尾は初めて我に返り、
 「オオ本目君か」
 実にこの紳士は、一同の為に特に送別会まで開いた、彼の本目紳士である。

 本目は遠征の羨ましさに耐えきれないかのように、非常に深く嘆息し、
 「本統に残念だよ。一同と共に亜弗利加(アフリカ)へ行く事が出来ないのは。」
と云い、忽(たちま)ち医学士の心中を察した様に、
 「ナニ君も心配するには及ばないよ。一同から時々僕の許へ通信を寄越す筈だから、一緒にその通信を見て心を慰めよう。」

 鳥尾は熱心に、
 「アア何うか通信の来る度に僕にも見せて呉れ給え。」
と云い、僅かに絶望の一端を癒して居たが、先に引いた母の手に、今は引かれながら本目紳士と双方に分かれて去った。

 是から芽蘭夫人の一行は如何して居たのだろう。
 埃及(エジプト)に着き、用意を調え、愈々鬼域へ入り込むまでは、何の異常も有る筈は無い。一同はきっと無事であるに違いない。

 ここに一行中の異(かわ)り者、彼の帆浦女が埃及(エジプト)から、英国の親友某女に寄せた手紙がある。非常にしつこい文言ではあるが、一行の様子や、帆浦女の気質と人柄などを知るに足りるので、その本文を写した上で、記事を続けよう。

 「一筆申し上げ候、この手紙は埃及(エジプト)の都カイロ府から差し出だしたものですが、カイロ府の事は先年私がタイネ嬢に随行した時の手紙に、細々申し上げましたので、ここには記しません。兎に角亜弗利加(アフリカ)の旅はハルツーム府を経て真の蛮地に入るまで、旅行らしく遠征らしいことは少しも有りません。この度の旅行は誠に突然で、充分の暇も告げませんでしたが、私の日頃の気質と御許しください。

 世には情に引かされる人も有り、欲に引かされる人も有りますが、私はタイネ嬢から世界第一の健脚家と云われた丈けあって、情にも欲にも引かされません。唯だ足に引かされました。先年旅行が終わって以来、僅か百里の道すら歩んで居ない為、足の不平甚だしく、動(やや)ともすれば、足が身体を捨てて置いて、何れへか歩み去るかと窃(ひそか)に心配していたところです。

 過日本目紳士から、再び亜弗利加(アフリカ)旅行の随行を勧められましたが、篤(とく)《十分》と思案の定まららないうち、足だけは早や再び大砂漠を踏むことかと嬉しがり、武者震いしてこの身体を連れて行きました。この度の旅行は先年よりも深入りする様子ですので、きっと地質学者、本草学者などと云う専門家の一行だと思っておりましたところ、隊長は芽蘭夫人と言って、タイネ嬢にも勝る美人であります。

 同行者も若い顔の白い人三人で、その中の画学士は、私を見るや否や直ちに鉛筆を取り出して、姿を略画に写し取りました。鉛筆の略画は顔色の愛らしい所を写すことが出来ないので、私は大嫌いあります。とりわけ私の姿は形よりも画に描(か)けない所に、他人に勝って愛らしい所が有ることは、先年トーレツグ族に捕らわれた時も、既にその酋長がそう申して居ました。

 物云う時の口許や、笑う時の目付きなどは、最も私の綺倆を定める良い所ですのに、鉛筆画はその微妙な良い所を失ってしまいます。ですから苦情を云うところですが、画学士はこの旅行が終わり次第、顔色まで生き写しの油絵に描いて遣ると申され、私も漸く安心致しました。

 次の文学士は、以前から私の高名を聞いて居たと言って、私がトーレツグ族の酋長に捕らわれた時の事を、第一に聞いて来ました。素より酋長と私の間に在った事は、大事な秘密で、貴女より外に話した事は無い位ですので、他人に言うような事ではありません。私は貴婦人の様に威儀を正してキッと断り申しました。

 今一人の医学者も、アフリカ内地で病気にでも逢う節は、何分宜しく看病を頼むと申されました。総てこの様に学者らしからぬ学者達で、前の旅行に同行した専門家達とは、非常に異なりますので、実は少々失望致しましたが、懇意を結ぶに連れ、三人とも飛んだ面白い道連れと分かりました。

 唯だ少し許り心配なことは、この人達が途中で私に対し、愛の情を起こし、互いに嫉妬の争いなどを始めなければ好いがと、そればかりが心配になりました。既に画学士が私を見る目付きなどは、私の様な世故に長けた婦人には、直ちにそれと見て取られます。併し是も穏やかではない程の熱心と為った場合には、私は必ず貴婦人同様の威儀を以て窘(たしな)める積りですので、心配には及びません。

 最初私は三学士とも深く芽蘭夫人に心ある者かと思って居ましたが、夫人と三学士の交わりは全く男子同士も同様で、三人の目指す所は、その実私に在ることが分かりました。兎に角夫人は私の雇い主ですから、若し夫人と私とで、この三学士を競争する様に思われては、甚だ心苦しいことだと心配していますが、夫人と三学士の間が男女らしくないのには安心致しました。

 この手紙を認める間も三学士が私の姿が見えないと言って、宛(あたか)も喪心した様に茫(ぼん)やりとし、帆浦女は何処へ行ったなどと云う声が聞こえます。誠に憐れむべき人々と気の毒に存じます。」



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