巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou23

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2020.5. 4


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    第二十三回 頭を問い詰める平洲

 ややあって天幕の外へ、蛮人の頭とおぼしき四十恰好の男一人、馬に乗って現れ出て、護衛の用心からか屈強の若者八名を馬の両側に、四人づつ歩ませて進んで来て、孰(いず)れも投槍、山刀などの危険な武器を抜き身のままで押し立てて持っているのは、中々に侮り難い備え方である。

 特にその背後にある天幕の入り口には、二十名ほどの蛮人が出て来て立ち並び、思い思いの凶器を振り閃(ひらめ)かすのは、此方(こちら)の肝を奪おうとする考えに違いない。

 平洲文学士は油断は出来ない場合と思ったので、馬の上から味方一同に令を伝え、私が号令を発する迄は、一人たりとも勝手な振舞をしてはならないと云うと、斯かる場合には知らず知らず、勇気の秀でたる人に従ふが人間の常なれば、誰一人此の令に背かんとせず、厳粛に控へたり。其の中に蛮人の首(かしら)は平洲の眼前僅かに一間許かりなる所に来たりて馬を留め、頑丈なる声にて、

 「人々は何用ありて我等の天幕近く来たりしぞ、喧嘩の為か、将た相談の為なるか。」
との意を述述べる。平洲は通訳の口から此の訳を聞き、傲然(ごうぜん)《偉そうに威張っている様子》として、
 「喧嘩である。相談である。汝の望み次第である。」
と答えた。
 蛮人の頭は此の強い返事を聞き、さては是だけの非常に少ない同勢だけでは無く、どこかから援兵が来るのかも知れないと、怪しむ様に此方彼方を見廻した末、

 「何か我が天幕(テント)の内に、欲(ほし)い品物でも有るのか。」
と問う。
 「勿論である。そなたの天幕に我等の友人二人、擒(とりこ)と為って在る筈である。素直に引き渡せば我等も又穏やかに受け取ろう。」
 蛮「イヤその様な者は決して居ない。」
 「居ないとは云わさ無い。昨日夕方、ジッダの町尽(はず)れで、一人は駱駝の背なに縛られて汝等の隊に奪い去られ、一人はそれを救う為め、直ちに足跡を追い、ここまで踪(つ)けて来たことは、絶対に間違い無い。」

 「廣い砂漠に足跡は数多ある。我隊の足跡とは限らないだろう。」
 「否、限る。駱駝五、六頭に馬一頭、歴々(ありあり)とその足跡を残している。この様な同じ足跡が、この隊の外に有る筈は無い。ここから六七間《約17、8m》我に従って来たならば、その跡を示して遣ろう。是れでもまだ此の隊で無いと云うか。」

 頭はこの時までも、まだ遠近に目を配って居たるが、遮る者が無い廣い砂漠に、絶えて何物も見えないからは、何所からも援兵が来る恐れは無いと見て取ったと見え、何と無く敵対の意をその顔に現した。大将の此のような有様を見る手下の者共も、急に勢いを得た様に、長い武器を振り廻し振り廻し、女子供まで共々に囂々(ごうごう)と声を発したのは、きっと此方を罵(ののし)っている者に違いない。

 平洲は容易ならないと見て一同に向かい、
 「俺が手を挙げたらば、それを合図に銃を取り上げ、彼の野蛮人総体に向かって狙いを附けよ。」
と命じて置き、更に野蛮人の頭に向かい、
 「喧嘩するにも女子供を傷付けるのは気の毒なので、彼等を天幕《テント》の中に入れよ。」

 頭は応ずる様子無し。平洲はここに於いて合図の手を挙げると、水夫両人通訳二人之に医師寺森を合わせ、五人筒口を揃えて彼方を狙うと、女子供は驚き恐れ、叫び立てながら天幕の中に入った。蛮人の中にも幾人か古形の銃器を持っている者があるとは云え、此の五人の持っているものには及び難いと思ったのか。頭は又少し挫(くじ)け、

 「虜(とりこ)は一人も無いと云うのに、それを引き渡せとは無理では無いか。」
 「それならば昨夜の両人をどうした。」
  「両人などとは知らない事である。但し馬に乗っていた一人はある。此の隊を襲ったので、仕方無く殺した。」

 馬に乗った一人とは、茂林の事に違いない。此の言葉を真実としたならば下僕與助は如何したのだろうか。彼が捕らわれたのは全く此の隊では無いのか。茂林も吾々と同じく此の隊と思って追って来た。それが為、独り此の隊に殺されたのかなど、一同の心に異様な危(あやぶ)みの念が兆したけれど、平洲は更に落ち着いたまま、

 「然らば其の死骸を見せよ。」
 「死骸は其のまま途中に捨てた。貴方がたは必ず此の傍を通って来たのではないか。」
 「否、その様な死骸は見受けなかった。」

 「それは夜が暗かった為に違いない、今から引き返せば、ここから七、八哩(マイル)《約15km》の所に必ず其の死骸がある。此処で長く問答するのは無益だ。」
 「そなた等が人を殺せば、その露見を防ぐため、深く死骸を押し隠す習慣なので、道端に捨てて置く筈は無い。汝の言葉は全くの偽りだ。」

 「偽りでは無い。」
 「然らば一々天幕の中を検(あらた)めて見よう。」
 「それは許さない。我等の天幕には、昔から一人でさえも他人を入れた事は無い。」
 「許す許さないはそなたの云う事では無い。検(あらた)めさせなければ吾が方で許さない。」
と云い、更に味方を顧みて、

 「サア何しても戦いは避け難い。命懸けの覚悟をせよ。」
と言うと、如何にも戦って、天幕の中を調べるより外に仕方が無い場合なので、一同は彼と我との強弱を思い比べる暇も無く、再び銃の筒口を揃え、
 「発(はな)て」
と今一声の号令を待つばかりであったが、此の時天幕の横手に当たる山の彼方に当たり、我等より先に鉄炮を発(はな)つ声があった。

 一発遠く木魂(こだま)に響き、凄まじい程に聞こえたのは、或いは敵の一部が我に先んずる者なるか。否、是れは先刻、彼の切割の陰へ廻して置いた水夫の一人が、命を守って何事をか合図する者に違いない。
 それにしても其の合図は何事だろう。



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