巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou24

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2020.5. 5


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       第二十四回  茂林の救出

 彼方の山で発(はな)ったのは、唯だ一挺の銃であるが、谷に響いて凄(すさ)まじい音を立てたので、蛮族の驚きは並大抵ではなかった。さては彼方から援兵が来たのか、それとも前以て伏兵を設けて置いたかと恐れる様に、その大将までも顔色を変え、思わず知らず天幕《テント》の方へ幾間《5,6m》か退いた。

 その間に平洲文学士は、何うしたのだろうかと彼の鉄炮の鳴った方に行き、何事の合図なのかを見届けなければ成らないと、一同に令を伝え、直ちに山の切割を指して進むと、先刻その所へ廻して置いた水夫一人は、今打った鉄炮を持ったまま出て来て、平洲の問に応じ、

 「実は唯今、天幕の背後から六、七人の蛮人が出て、此の切割を指して来ようとしたので、命に従って合図の銃を発ったところ、その六、七人は驚いて又天幕の中へ引き退いたが、確かにその者等は一人の虜(とりこ)を舁(かか)えて居ました。

 虜の顔は見分け難たかったが、白いシャツだけは見えましたので、欧羅巴(ヨーロッパ)人であることは疑い有りませんと云う。平洲は聞き終わって非常に喜び、最早や蛮人の頭(かしら)がどれほど此の群れの中に、一人の虜も無いと言い張るとも、聞き入ることは出来ない。

 今まで実は半信半疑に迷っていたが、確かに見届けた上は、充分厳しく責め詰(なじ)ろう。少しも容赦するには及ばないと、其の意を一同に伝える折しも、先に退いた彼の大将は、山の切割には何の伏兵も無く、唯水夫の一人のみが廻って居たことを知り、何の是しきのことと安心した様子で、一騎で身を抜けだし、又も此方を指して来ようとする。

 その背後の少し離れた所には、相変わらず手下大勢が、囂々(ごうごう)と罵(ののし)りつつ控えて居るので、平洲は大事を決行するのは今この時である。猶予している間に、手下等が大将の加勢に来ては面倒だと思い、直ちに水夫三人と通訳二人に意を含め、自分と共に六人で馬を躍らせ、出し抜けに大将の許に進んで、四囲(まわり)から取り囲み、彼を馬の背に捩じ伏せて、虜にすることが出来た。

 実に咄嗟(とっさ)の間なので、大将自らも余りの意外な出来事に、充分には抵抗をすることが出来ず、たとえ多少の抵抗をしても、屈強な水夫の力に叶うはずも無かった。阿容阿容(おめおめ)と、此方の手の中の物とは成ったが、背後に群れ居る手下等も、初めは何事が起きたのかを理解する事が出来なかった。

 漸(ようや)くそれと理解して怒り出したが、早や大将が虜と為った後なので、平洲は通訳を以て一同に向かい、
 「我等は決して悪しき心を以て汝等の大将を捕らえたのでは無い。唯だ我等の友人が確かに汝等の天幕に虜(とりこ)と為って有るがため、引き替えの為捕らえたのだ。汝等、若し少しでも抵抗の意を示せば、吾等は直ちに此の大将を射殺する。」

と云わせて、同時に平洲自ら短銃を大将の胸に充て、イザと云ったら直ちに射殺する用意をすると、大将が既に人質と為っては、手下等何事をも為す事ができず。口々に相談を初めた様子なので、その間に一同は悠々とその前を通り、再び天幕の前の元の地に立ち返ると、蛮族等はそれを見て、大将を虜(とりこ)にしたまま、早や立ち去ろうとする様に見誤ったのか、非常に周章(あわて)て、天幕の中から、虜一人を引き出して来た。

 見れば是れは茂林画学士で、衣類一切を剝ぎ取られ、唯だ胴と足とに下着下ばきを着けたままで、厳重に縛られて居た。茂林は一同の顔を見て嬉しさに我慢が出来ないようで、途中から声を発し、
 「実に君等の厚意と勇気には感心した。僕は今射殺される許りと為って居たが、君等が大将を生け擒(捕)った為め、僕も此の通り助けられた。」
と云う。

 茂林を取り囲んでいる蛮人等は、茂林が口を聞くのを見、その言葉を聞こうとして耳を傾けたが、素より欧羅巴(ヨーロッパ)の語を解し得る筈が無いので、その一人は、
 「無言(だま)れ」
と云う様に強く茂林の頭を打った。

 平洲は直ちに水兵に命じ、同様に大将の頭を打たせると、蛮族も己等が茂林を扱う通りに、己等の大将も亦此の一同から扱われるとの事を悟ったか、再び茂林を打とうとはせず、尋常に一同の傍まで連れて来て、直ちに大将と引き替えようと乞うた。

 しかしながら此方(こちら)は、茂林一人では満足することは出来ない。更に與助をも救わなければならないことは勿論なので、今一人の虜(とりこ)をも連れて来いと命じると、彼等は此の外に虜は無いと言い張って聞かなかった。

 そのような筈は無い、最初ジッダの町尽(まちはず」)れで駱駝の背なに縛り附けた一人が有るだろうと言い返したが、その者は途中で縄を切り、紛失したと云う。何と責めても同様なので、或いは偽りでは無いのかと、一同は半信半疑で迷って居ると、茂林は又口を開き、

 「僕は今朝三時頃に此の一隊に追い付いたが、何うも合点の行かないのは、其の時に與助の姿が見えなかったことだ。」
 此の時までも無言であった蛮族の大将は、茂林が平洲とこの様に言葉を交えるのを見、己等の不利になると見てか、手下に、
 「その者の口を塞(ふさ)げ」
と命じた。

 手下は此の命に応じて、直ちに茂林に猿轡(さるぐつわ)を食まそうとするので、平洲は又同じく敵の大将に猿轡を食めようとすると、大将は自分が口を塞がれては、手下に何の命を伝える事も出来なくなるので、周章(あわただ)しく取り消して、
 「イヤ仕方が無い、物を言わせて置け。」
と伝えた。

 是で双方の虜とも、自由に言葉を発し得る事とはなったが、此方(こちら)には通訳がある。敵の大将が指図する事は良く分かるが、彼方(あなた)には茂林の言う言葉は少しも理解出来ない。それだけは彼方の弱味にして此方の強味である。茂林は語を継いで、

 「僕は三時に追い付いて、何発も鉄炮を射ったけれど、その甲斐無く、後で見れば彼等はこの様な事に慣れて居て、駱駝を盾にし、其の陰に隠れて居たので、そうして僕の弾丸(たま)が尽きたと見るや、一斉に飛び掛かって僕を縛り、天幕の中へ連れて来て、此の通り着物など奪い取った。

 多勢に無勢で何とする事も出来ず、実に実に非道(ひど)い目に逢ったけれど、そんな中でも僕は、與助が何所に居るかと天幕の中でも気を付けて、幾度と無く大声で、與助與助と呼び立ったけれど返事が無かった。何うも天幕の中には與助は居ない様だ。且つ又僕が途中で、此の群れに捕われた時も。駱駝の背(せな)に気を附けたけれど、彼の姿は見えなかった。」
と云う。

 元は與助から起こった事であるが、彼れの姿を見出さずに、此の所を引き挙げる訳にも行かず、平洲も殆ど当惑し、
 「では何うしたら好いだろう。」
 「何うも仕方が無い。彼れが見附かるまでは、此のまま僕を蛮族の手に置き、そうして大将を縛ったままで調査をし給え。大将を引き渡しては、決して與助を見出す事は出来ず、其の上に大将の復讐が恐ろしい。」

 如何にもその通りでは有るが、だからと言って、看(み)す看す茂林を縛られたまま蛮族の手に委ねて置き、窮苦の思いを為さしめるのは、たとえ一時間であっても、将(はた)また五分間であっても、可哀そうなので、
 「好し好し、大将を虜にしたのと同一の手段で、不意に君をも奪い取る。そうすれば大将を引き渡すには及ばないから、其の上で君と共に此の大将を利用して與助を捜そう。」
と云うのは、非常に大胆な決心である。

 如何なる策を以て、此の決心を行なおうとするのかは分からない。



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