巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou26

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2020.5. 6


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      第二十六回  何所に消えたか與助

 與助は全く途中で窃(ひそ)かに縛(いまし)めの縄を解き、駱駝の背から離れる事が出来たとすれば、彼はそれから何所を指して行ったのだろうか。
 彼もきっと主人茂林が、己を救う為め、後から馬で追って来ることを知っているはずなので、大胆な男ならば、その身の逃れたことを喜び、却(かえ)って主人の身を気遣って直ぐに此方を指して尋ねて来る筈だが、彼れは素よりその様な大胆な男では無い。

 多分自分が縄から脱(ぬ)け出す事が出来たのを幸いに、元来たジッダの方を指し、夢中と為って逃げ去ったのに違いない。主人茂林の身の上などは気遣う遑(いとま)も無かったのに違いない。しかしながら満々たる砂漠の中を、徒歩(かち)でジッダまで帰られる筈は無いので、或いは今頃は途中で進みも退くことも出来ず、疲れ果てて途方に暮れて居るかも知れない。

 何にしても一同は是から直ちに引き返し、道々與助を捜しながら、ジッダに帰る外は無い。
 この様に相談はまとまったものの、一同は既に昨夜一宵、眠らずに、ここまで尋ねて来たので、殆ど疲労に耐える事が出来なかった。だからと言って休息をする場合では無いので、無理をして引き返す事としても、若し此の蛮族が復讐の為め、後から追って来る事も有るかも知れないが、そうなったらその時こそ、最早や防ぎ戦う力は無く、一同皆殺しにされるだけである。

 何とか蛮人の復讐を避ける工夫をしなければならないと、寺森、平洲、茂林の三人で相談し、遂に彼の虜(とりこ)としている蛮人の大将を、虜のままでジッダの入り口まで連れて行く事に決し、その事を手下等に言渡すと、手下の不平は並大抵では無かったが、又如何ともする術(すべ)が無いので、不承不承聴き従い、それならば大将の護衛として、手下の中の屈強な者十五人が従って行こうと言い出した。

 是れは許より当然の事であるし、且つ大将に護衛が附くのは、場合に由っては一同の護衛とも成る訳なので、その事を許し、直ちに種々の用意を為して、この所を出立した。

 双方合わせて二十四人の一行なので、成る丈け広く手を配って、若しや砂の中に與助の足跡と見えるような物は無いだろうかと、且つ捜し且つ進み、やがて今朝未明に茂林が捕われたと云う所まで来ると、成るほどこの辺り一面に、砂を踏み躙(にじ)った様な跡が有った。

 どれがどれとも見分ける事は出来ず、そこから又も幾里《数km》か歩んだ後、一同から一町《100m》ほど横手に離れて歩んで居た、オマアと云う通訳が、非常に喜ぶ様子で声を上げ、
 「ここにアノ人の足跡が有りますよ。」
と叫んだ。

 茂林は第一にその所へ馳せて行って見ると、成るほど欧羅巴(ヨーロッパ)人の靴で歩んだかと思われる足跡が、ジッダの方に向き、朧(おぼろ)ながらに残っているので、
 「アア有難い、是で與助が見つかった。」
と早や当人の姿を認める事が出来た程に喜び、続いて馳せ寄る平洲、寺森にも差し示すと、誰もがその言葉に相違無いと認めた。

 依って大事にその足跡を踪(つ)けて行くと、是れが真に與助ならば、彼れは余ほど疲れて居た者と見え、足と足との距離が極めて不揃いで、二尺《60cm》余り離れた所もあり、又一尺《30cm》に足らない所も有り、疲れて蹌々(しどろ)跟々(もどろ)に走り去った様子が、目に見える様に明らかで、今更気の毒な想いもさせられた。

 この様にして又少し行くと、躓(つまず)いたのか、手を杖(つ)いた跡も見え、又摚(どう)と腰を据えて暫(しば)らく息を継いだ様な所さえ見えた。確かに辛かっただろう事は相違無いだろうが、何にしてもこの様に足跡の明らかに残っている事は幸いであると、綿密に従って行くうち、彼與助は多少方角を取り違えたのか、自然自然に右の方へ曲がり、果てはジッダを指さずして、遥かに違う方を指して行った様に思われるので、茂林は誰よりも心配し、

 「ハテナ、彼れは誤ってメジナの方へ行ったかも知らん。」
と云い、更に通訳を呼び蛮人に聞合わすと、決してメジナの方まで曲がる気遣いは無い。その中に夜の明けた頃なので、矢張り海岸の方を指して行ったのに違いないと云う。

 またも幾哩(マイル)《約5km》を進んだ後、一個の緑島(オアシス)に達した。緑島とは広い砂地の中に、少し許り砂では無い所が有って、水が湧き草樹の生じた所である。その有様は広い海中に島があるのと同じく、大洋を航海する船舶が島に達して風を避け、又呑み水など得る様に、砂漠を旅行する人々は此の緑島《オアシス》に着いて憩(いこ)い、ここで昼寝もし、食事をも為し、天日の暑さを樹陰に避けて、馬、駱駝をも休めるところだ。

 與助の足跡は、この緑島《オアシス》に上陸した様に見えるので、彼れがここに来たのは、夜が明けての後になることは必定である。事に由れば今から僅かに数時間の以前だったかも知れない。夜中ならば砂漠の地理を知らない彼が、緑島《オアシス》を見出す事が出来る筈は無い。

 この様に語り合って、一同はやや見込みが着いた事に力を得たが、此の緑島から與助は更に何所に向けて立ったのだろうか。
 平洲、茂林の両人は何分にも疲労が甚だしく、ここで少し休まなければ、自ら緑島《オアシス》の周囲(ぐるり)を調べて見る事は出来ない。仕方無く馬を繋いで、樹の陰に身を横たえ、通訳を以て野蛮人に向かい、四方を良く調べて見よと命じたが、その間に寺森医師は額の汗を拭い、喘ぎ喘ぎ茂林の前に腰を卸し、
 「
 コレ茂林君、若しここで眠っては大変だよ。昨夜からの疲れが一時に出て、一歩も動けない様になる。眠るならジッダへ着き、楽々と身を延ばして十時間以上眠らなければ、サアそれまで我慢したまえ。僕も疲れては居るけれど、我慢するから。」

 茂林は殆ど頭を擡(もた)げる元気さえ無い程で、
 「イヤ眠りはしないから十五分間、このままに置いて呉れ給え。」
 「イヤ此のまま置けば、五分で眠って仕舞う。サア目を覚まして勝負勝負。コレサ僕は昨日一日歌牌《トランプ》を手に取らなかった為め、身体の肉が四五斤《2kgから3kg》も落ちた気がする。遥々(はるばる)君を救いに行ったのも、君を歌牌(かるた)《トランプ》の相手と思う柄だ。」

と云い、早や衣嚢(かくし)《ポケット》から歌牌《トランプ》一組を取り出したので、茂林は呆れ果て、
 「何だ君は、歌牌まで持って来たのか。」
 「そうサ、兵糧も飲み水も総て忘れたが、歌牌《トランプ》だけは持って来た。サア起き直って勝負しよう。」

 「馬鹿な事を言い給うな。この様な所で歌牌など。」
 「この様な所と言っても場所は構わない。契約書の第七条を読んで聞かそうか」
 茂林は仕方無く寺森の召喚に応じ、暫(しば)し勝負を争ったが、その中に與助の足跡を調べに遣(つか)わした蛮人は、非常に心配そうな様子で帰って来た。



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