巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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      第二十七回 行方不明に終わった與助

 與助の足跡を捜しに行った彼の蛮人が、心配そうな様子で帰って来たのは、気になる事なので、茂林は歌牌《トランプ》の手を止め、通訳亜利をして何事かあったのかと問わせると、與助が此の緑島(オアシス)から出発した足跡は有ったが、十町《1km》と行かない中に、その足跡が全く消え失せて、分からなくなったとの事である。

 僅か数時間前に歩るいた足跡がそう簡単に消える筈は無いと云うと、亜利は傍らからその訳を説き、否、この砂漠には時々異様な疾風が吹き過ぎる事あり、恐ろしい勢いを以て砂を波の様に捲き、或いは山の様に積み上げ、瞬く間に人馬を生き埋めにする事があります。
 年々この風の為に砂に埋められて死ぬ者、幾人になるか分からないと云います。

 この言葉には傍らで聞く平洲も驚き、
 「では與助の行った所で、その様な疾風が吹いたと云うのか。」
 「ハイ、本当に吹いたのです。所々に砂が畝の様に高くなり、又低くなり、一切の跡が皆消えて居ます。」

 茂林は更に驚き、
 「でも昨夜からその様な風は吹かなかったが。」
 「イヤそれは分かりません。疾風は砂漠一面に吹く事は稀で、大概は一ケ所を吹き捲って過ぎるのです。遠く離れた所では唯だ微風が吹く位で、分からない事も度々あります。」
 「では與助も砂の中へ生き埋めに成ったのだろうか。」

 「それは何うとも分かりませんが、兎に角是れで足跡が絶えたから、もう捜す事も出来ません。ハイ少しの目当ても無いのです。」
 是には流石の寺森医師まで、勝負半ばの歌牌《トランプ》を納めて、
 「それは大変だ。兎に角我々はここで食事を済ませ、充分腹を拵(こしら)えた上で、その足跡の消えて居る所へ行き、更に先を調べて見よう。」

 平「そうしよう。」
 茂「そうしよう。」
 是で一同大急ぎに食事を済ませたが、與助が砂の中に生きながら埋められたかと思うと、疲れを嫌う心も無く、早速立って又十町《1km》ほど行って見ると、野蛮人の知らせに違わず、疾風の吹き過ぎた跡があって、足跡は全く消えて居た。

 是から先はどちらに向かって尋ねて行ったら好いだろう。少しも当て度の無い事柄なので、一行は空しく額を合わせて相談すると、この時蛮人一同は又非常に驚いた様に、口々に何事をか言い立てるので、平洲は亜利に向かい、
 「彼等は何を言って居る。」

 「大変ですよ。ズッと先の方をご覧なさい。又疾風が起こったと見え、砂を捲いて空の色まで変わって居ます。」
 見れば成るほど彼方の空に、煙よりは濃く、雲よりは赤く、漠々として立ち昇る者があった。疾風が砂を捲いて居るのに相違は無く、しかもその区域は次第に広がる様子である。

 「アノ風は、何うやらこの方角に向いて広がって来る様ですから、吾々は最早やここには居られません。大急ぎでジッダへ逃げ帰るしか有りません。」
 大胆な平洲も茂林も天災には敵する心は無い。
 「アア運の尽きだ。」
 「與助の生死を突き留めずに帰らなければならないのか。」

 寺森は考えつつ、
 「そうだ。與助は到底助からない。先刻(さっき)この辺を吹き過ぎたと云う疾風を逃れることが出来たとしても、丁度今起こったアノ疾風に襲われて居る時分だ。」
 「全くそうです。」
 云う中にも、人類より畜類は天然に身の危険を感じ知る力がある。馬も駱駝も益々広がり来る赤黑い色を眺めて逃げ足と為り、ガタガタと騒ぎ立てる様は、悲鳴を上げるよりも更に物凄く、到底制するにも制し切れない程となった。

 その中に早や常と変った異様な風が、一同の顔を払うようになったので、最早や是までと断念(あきら)めて、ジッダの方を指して一散に逃げ出したのは、誠に仕方が無い事と云える。

 逃げるに従い、風足は益々早く一同を追って来たが、馬も駱駝も必死で、鞭打たなくても自ずから走り、漸く逃げ抜けて日の暮れの頃になって、ジッダの入り口に着いたが、若し一同の逃げ初めるのが、三十分ほど遅かったならば、恐らく砂漠の底に沈み、未来永劫(えいごう)堀り出だされる事の無い身と成ったことだろう。」

 この様にしてジッダの町に入る事が出来たので、一同は蘇生の思いがして、従って来た野蛮人には大将を引き渡して、更に幾等かの品物を與え、又前夜一同を案内した一人のベドイン人には、平洲が約束した様に、精良の銃器弾薬と馬とを與えると、この者だけは一同の徳に懐(なつ)き、一つは又更に此の上にも褒美に有り附く場合は無いかとの欲心で、一同に従って来た。

 一同は先ず芽蘭夫人と帆浦女とを預けてある領事館に行くと、領事も夫人も帆浦女も無事な顔を見て涙を流さない許りに喜んだが、與助の行方が終に分からなくなったことを聞いて、又心を痛めることと言ったら並大抵では無かった。だからと言って、この上に何とする方法も無かったので、唯だ手を拱(こまね)く《腕を組んでいる》ばかりであった。



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