巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou3

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2020.4.14


下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

        第三回 芽蘭(ゲラン)夫人の素性

 此の芽蘭(ゲラン)夫人が、明夜九時から来会せよと云う、三通の手紙を送ったその三紳士は、何(いず)れも、当時相当の職業を以て世に売り出していて、将来大いに望み有りと評判されている人々で、即ち下に挙げた面々だ。
 ▲画学士茂林 ▲医学士鳥尾 ▲文学士平洲

 此の三人三色の紳士を、招き集めようとする夫人の心中は分からない。夫人は一度夫を持った身だが、直ちにその夫に死に分かれ、今は数多の財産と絶世の美貌とを残し、その心一つで、如何なる人へでも再縁することが出来る自由の身なので、年若いパリの紳士であれば、ほとんどすべてが、幾分か夫人に望みを持っていない者は無く、夫人は実に引く手数多の有様で、当世の名高い紳士とは大抵知り合いであるのに、何故特に此の三紳士を選んだのか、それも知る由は無いけれども、此の三人は此のほど既に夫人に対して、結婚を申し込んだとの事である。

 茂林画学士は、自分の親戚である何某(なにがし)夫人を使いとして、平洲文学士は、細々の手紙を以て、鳥尾医学士は直接に夫人に逢い熱心な自分の言葉を以て、各々切に我が妻になることを請うたと云えば、明夜の招きは、或いは三人を集めて置いて、夫人自ら明らかに返答をする為ででも有るだろうか。

 それはさて置き、翌夜は九時を合図に、三学士とも一刻も後れずに夫人の家に集って来た。
 夫人は此の日、朝の頃から唯深く、何事にか考え込んで居るばかりであったが、三学士を静かな奥の一室に請じ、笑顔を以て陰日向なく待遇(もてな)していたので、三人ともに夫人の底意を計り兼ね、一座白け掛けて来ようとして居たが、夫人は茶菓の一順が終わるのを待ち、静かに立ち上がって、

 「今夜お出でを願いましたのは、実に私の生涯に関(かか)わる大切なお話が有る為です。」
と云い、益々不審に思う三学士を等分に眺めて、
 「実はお三人共に此の度私へ結婚をお申込みになりました。誠に私の身に過ぎた幸いで、私はお三人を真の親友と思い、お三人には如何なる事を相談しても差し使いは無い事と存じます。」

 此の前置きだけを聞き、三人は早や既に「無論です。」と叫ぼうとする気合を示すのを、夫人は目配せで之を制し、
 「然るにお三人とも未だ私の素性をご存じ無いのです。(ノーの声が起ころうとするのを又も夫人は目で制し。)

 イイエ、成る程私が誰にでも縁附かれる自由の身分で、今まで何の醜聞(スキャンダル)にも関係した事の無いと云う丈はご存じでしょうが、真の身の上は御存じが有りません。依って大事な御相談を初めます前に、身の上を申し上げて置きます。」
と言って一層真面目になり、

 「私は一頃は英国で大探険家の一人に数えられた、ランダーと云う者の一女(むすめ)です。御存じで有りましょうが、父は取る年の為、旅行や探険を止めましたけれど、父の家は名高い探険家の相談場所と云う有様で、私が子供の頃は、有名なスピーク氏、オバウエグ氏や今李敏敦(リビングストン)などと云う人達を初め、探険を試みる人は、常に父の許へ参り、熱心に遠征の目論見を相談するその議論やその話を、私は毎(いつ)も父の膝許で聞いて居ました。

 それが為か、物心を覚えるに従い、唯だ旅行や探険と云う事に心が傾き、徒(つれづ)れに読む書物も、成る丈けその方に縁の有るものを選ぶ有様と為り、「アア此の身が男に生まれたなら、人食い人種の住むと聞く、蛮地の果てまでも入り込むのに」と此の様に思った事も度々ありました。

 そのうちに十九の年と為り、当仏国の探検家、男爵芽蘭(ゲラン)の妻と為りました。男爵芽蘭(ゲラン)も二十歳以下の頃から、アフリカの内地調査に種々の手柄を現した人で、特に李敏敦(リビングストン)翁には最も愛せられ、私の父なども、芽蘭ばかりは将来、何れ程地学の為に手柄を現すか分からないなどと褒めて居ました。

 併し父は私を芽蘭の妻にすることは好まず、探険家と云う者は、生涯探険の味を忘れる事が出来ず、たとえ妻子が有ったとしても、一旦その思い立ちが心に浮かべば、自分で自分を制する事が出来ず、妻子を捨てて危険極まる地へ踏み込む事になる故、夫に持てば生涯心配をしなければ成らないと云いました。

 それでも私は思い止まらず、夫が探検に出れば女ながらも矢張り付添って共に探険に行き、死ぬ時も殺される時も、総て共々にすると云う了見で終に芽蘭と夫婦になり、此の国へ移りました。その後二年の間は芽蘭も遠征の事を忘れた様で有りましたが、三年目の初め頃に、アフリカ内地の探険はとても李敏敦(リビングストン)翁のみに任せては置かれない。翁の外に翁ほど熱心な人が無ければ、何時成功するか分からないと云い、再び探険の心を起こしました。

 素より私は一緒に行く積りで、その決心を告げましたが、夫は私の同行を危険だと云い、夫れ切り自分も思い止まった様に見えました。その後私は父の病気で一月ほど英国へ行きましたところ、夫芽蘭はその留守の間に、誰にも告げず、アフリカへ出発しました。私へは唯だ一通の置き手紙を残し、幾等夫婦とは云え、男すら十中八九は生きて帰えられないと極まって居る危うい場所へ、妻を連れて行くのは、余りに妻に対して邪険に当たり、且つは結婚の前に、後々を誡(いまし)めた和女(そなた)の父にも済まないので、和女の留守を幸いに独りで出発する。
 その代わり永くは掛からず、数か月の中に帰って来るので、心配せずに留守をせよ。」
と此の様な意味を認めて有りました。

 私は英国から帰り、此の手紙を見て直ぐにも夫の後を追い度いと迄に思いましたが、唯だアフリカと許りで、いずれを指して行ったのか、行く地も分からないので、仕方無しに断念(あきら)めて、今日帰るか、明日戻るかと待ち暮らすうち一年が経ち、埃及(エジプト)海路(カイロ)府に在る此の国の領事館から、夫芽蘭が名も知れない蛮地で、死去したと云う事を知らせて来ました。その時から私は今日同様の寡婦暮らしです。」

と非常に異様な履歴を語るのは、如何なる深意が有っての事なのか図り難いが、兎に角この美しい夫人が、彼のアフリカのナイル河と名を等しくするニガーの水上を探求して、雷名を一世に轟かせたリチャード、ランダーの一女(むすめ)にして、而も地学社会に非常に惜しまれた遠征家芽蘭(ゲラン)男爵の妻であったかと思うと、三人は今更の様に尊敬の念を深くし、夫人の返事を、唯だ吾れにのみ色好くあれと、三人一様に祈っているに違いない。



次(第四回)へ

a:240 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花