巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou30

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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       第三十回 姿を消した帆浦女

 ジッダを出発した芽蘭(ゲラン)夫人の一行は、紅海の最も広い所を横切って、無事にアフリカの東岸であるスアキンに着いた。
 スアキンはエジプトの東南端に在り、昔はトルコの領地にして、政治が行き届かなかった為め、文明の何たるかを知らなかったが、その後エジプトの領に帰し、文明国人も多少は入り込んだため、文物やや改まり、煉瓦家屋も有り、電信も有り、取り分け此の土地の一大進歩として知られるのは、水道の敷設である。

 本来飲み水に乏しい地にして、昔から女を水汲み人足と為し、焼く様な炎天下に、女の頭上に水桶を戴(いただ)かせて、遠く沙漠の外から、清水を汲んで来らせる其の痛わしい有様は、世界を通じて女子虐待の一例に数えられたが、ヨーロッパの人々が見るに見兼ね、エジプト政府に干渉して、水道を作らせ、女の苦役を免れさせる事とした。

 幸い此の土地には、不正な鋳鉄会社も無かったと見え、差し障り無く工事も運び、間も無く其の工事が完成したので、市民はその恩恵に浴すること一方ならずと云う。

 それはさて置き、一行がここに到着するや、既にエジプト政府から通知が有ったものと見え、地方長官マンタス伯と云う者が、数多の属僚を随行させて出迎え、旅館も用意して有ると言って、市内最良の宿屋に案内した。

 総てこの地に上陸する探検者は、ここで人足を雇入れ、或は駱駝、天幕、その外必要な物を調達するなどして、金銭を落として去ることが、他の旅客より多いので、土地の人々も探険隊と聞いて、福の神が来た様に喜ぶのが常であると言う。

 その為、一同も思って居たより萬事に良い都合を得、内地に分け入る用意が総て調ったけれど、何故か芽蘭夫人は急いで出発しようとはしなかった。

 一日一日と送る様は、何人をか待ち合わせているのではないかと疑われる許りなので、茂林は悶(もど)かしく思って仔細を問うと、ジッダから與助の生死を知らせて来るかも知れないので、十日間は待たなければならないと云う。茂林は愈々(いよいよ)迫立(せきた)て、

 「與助はは死んだに極まって居ます。何時までここに待ったとしても、何の甲斐も有りません。」
と云うと夫人は非常に静かに、

 「イイエ、死んだのに極まった者としても、その場所が分からなければ、何時までも疑いが残って気に成ります。是から先へ進めば、ジッダの領事から手紙を出しても、簡単には届きませんので、せめて十日だけはここに待つ事と致しましょう。」

と云い、聞き入れる様子が無いのは、流石に女の優しい天性から出る憐れみの心であるに違いないが、一つは又この夫人、沙漠の中で夫を失い、その場所が分からない為め、今も未だ胸に一種の疑いが存し、自ら心を苦しめる場合も多いため、その事につまされて、與助の生死も明らかに聞き糺(ただ)し度く思う為なのだ。

 その中に定めの十日は経ったけれど、ジッダの領事からは何の知らせも無かったので、夫人は最早や仕方が無いと、漸くこの地を立ったが、指して行く方は、ナイル河の東岸に在る漠漠村(バーバーソン)である。
 山を越え沙漠を踏んで、漠々村(バーバーソン)まで行き、同所から河船に乗り、ナイル河を遡ってハルツームに至り、それから真の鬼域に分け入る目的である。

 スアキンから漠々村(バーバーソン)までの路程(みちのり)は如何ほどであるのだろうか。この辺一体は未だ実際の測量を行って居ず、地図も之を記して居ない。地誌も之を云って居ないが、千八百六十年に此の道を通った独逸人「パーマン」氏は、一百十三時間の歩程であると記し。同じ六十四年に旅行した、仏国(フランス)人ユーリン氏は、急げば一百零八時間に達する事が出来ると記し、

 同じ六十六年に通行した独逸人シュウエインハ-ス氏は、路程計で凡そ一百七十五哩(マイル)《324km》と計(はか)ったが、この路程計は海上で用いる者であるので、その哩(マイル)と云うのは海里のことに違いない。(一海里は日本の十七町余《1852m》と考えられる。)

 寺森、茂林、平洲の三人は馬に乗り、芽蘭夫人は驢馬に乗り、その他の雇い人達は荷物と共に駱駝に、馭者は槍、又は戟(ほこ)などを持ち警護の様に従って出発したが、独り帆浦女は、今こそ日頃の健脚を試みる時が来たと徒歩で一同の先に立ち、

 「この辺りの馬や駱駝は、私の足から見れば亀の子が歩む様です。」
と云い、枯れ枝の様な優しい足を運び始めると、その達者なことは真に比類無く、行く手に遊ぶ鳥なども大抵は驚いて飛び去る許りなので、寺森と茂林は馬の上で顔を見合わせ、

 「折角僕は博物の研究を初めようと思うのに、帆浦女がアノ通り先に立って鳥など追い逃がしては仕様が無い。」
 「本当に、癖の悪い狩り犬を小鳥猟に連れて行く様な者だ。僕も途中の鳥獣を大抵は書留る積りだけれど仕方が無い。」
と互いに愚痴を滴(こぼ)すのも可笑(おか)しい。

 最初の日は熱さが余り甚だしい為め、沙漠の入り口であるシンゲートと云う所に一泊した。シンゲートはエジプト領の尽きる所に在る堡塞で、之を守る長官も一同を良く遇做(もてな)し、従者の中に下働きの女を加えなければこの先、万事に不便であると言って、この土地に来て居る夷尼亜(アビシユア)の女三人を雇って呉れた。

 その皮膚の黒くして光沢のあることと言ったら、殆ど譬え様の無い程であったので、翌朝又もシンゲートを出発するに及び、寺森医師は医学上からその皮膚を研究すると云い、一同から後(おく)れて其の女中に付き添って馬を進めると、そうと見た帆浦女は、この程から専ら心を寺森に移して居た事から、その身が黒人の婦人に見替えられたと思ったのか、非常に腹を立てた様子で歩みが益々早くなった。

 芽蘭夫人が気遣(きづか)って、何度か人を走らせて呼び留めた為に、漸くその姿を見失わないで済んだものの、この夜一同がケグラブと称する緑島(オアシス)に着き、天幕を張り野宿を為し、翌日起き出でて出発しようととする時になり、帆浦女一人が何所に行ったのか、全く分からなくなって、影さえも留めて居ないことに気が附いた。



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