巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou4

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2020.4.15


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        第四回 紳士を招集した理由

 芽蘭(ゲラン)夫人は此の様に自分の素性を説き終わり、再び三人の前に手ずから茶を注(つ)ぎ替えて供(そな)えて置き、語を継いで説き出すには、
 「私は此の通りの身の上で、再婚するのは自分の随意で有りますが、だからと言って、お三人から一緒に結婚を申し込まれて、何方(どちら)を断り何方を承知致すことが出来ましょう。

 若し私の心がお三人中の一人に傾いて居れば、無論その方を夫と定める訳で、何の試案にも及びませんが、悲しいことには、只今のところ、私の心はお三人を唯一様に尊敬していますので、悲しいことに只今のところは、私の心はお三人を唯だ一様に尊敬する許りで、少しも陰日向が有りません。

 詳しく申せば、お三人を又と得られない親友と思い、親しむ事は致しますが、夫に持とうと云う愛情は心に毛ほども有りません。それですからお三人の中で、一番先に私へ愛情を起こさせた方が私の夫に成れるのです。」

と包みも隠さず、心を有りのままに打ち明けて置き、更に又語を進め、
 「私は自分で如何ほど考えても、お三人の中へ少しも区別を附ける事が出来ません。尤(もっと)も之は無理も無いでしょう。お三人とも御自分の力を以て社会に売り出し、立派に身をお立て成さった方々で、位置も身分も唯今の名誉も皆同じです。又後々の出世する見込みも優劣は附けられません。

 それは又先年此の国と蔓国(ゲルマン)《ドイツ》と戦争の時は、お三人とも義勇軍に加わり、一方ならぬ手柄を挙げ、本職の軍人にも感服せられたと承わりました。又容貌の方も各々十人並みか或は十人並みを少し優れたと云う所で、思慮ある女が夫を待つには丁度お三人ぐらいのところを選びます。若しお三人を一緒に並べれば誰でも選ぶのに迷いましょう。

 サアこの様な訳で有りますから、何方(どなた)か一人、特別に私に感心せられ、私の心へ愛の情を引き起こさせる丈の事柄をなさらなければ、私の心には愛の情は起こりません。愛の情の起こらないのに、夫と為り妻と為る事は到底私には出来ません。それゆえ今夜のお願いは、飽くまで私を妻に支度いと思い成さるならば、何うか私が惚れ惚れする程の働きを、実地に私へお見せ下さいと申すのです。」

と殆ど噛んで哺(ふく)める様に説かれて、三人はそれぞれ合点した様子で、唯だ如何にして他の二人に秀で、此の夫人に感心せられる働きを現わそうかと、そればかりを考えているかのようだった。
 夫人は此の有様を見て又語を継ぎ、

 「しかし、ここで良く良くお断り申して置かなければ成りませんのは、私の気質です。先刻申し上げました通り、外の婦人達とは異なる環境で育て上げられました身ですので、私は世間の婦人が愛する様な、生優しい事柄は愛しません。男は何所までも男らしく、女には迚(とて)も真似の出来ない様な、極めて大胆に命掛けで事柄に当たり、そうして社会の手本とも為り、世の人の感心する様な働きで無ければ決して私の愛は動きません。是だけは良く御承知を願って置きます。」

と云うと熱心な三人も、今此の平和な世の中で、如何にしてそのような命掛けの手柄を実現して見せる事が出来るだろうと、是には少し考えあぐんだ様子だった。夫人はその様子を篤(とく)と見て、ここだと思った様子で、初めて自分の真の目的を語り出した。

 「今は素より太平の世の中で、別に手柄の現し様が無いでしょうが、それに付き一つの御相談は、私が是から良人(おっと)を持つ者とすれば、その結婚の前に是非とも死んだ良人(おっと)、芽蘭(ゲラン)男爵の墓参りを致し度いと思います。

 墓参りと申した所で、アフリカの蛮地で倒れた事ですから、素より墓と言っても墓は無く、唯だその倒れた場所を見届け、死骸を埋めた土の上へ、心ばかりの石碑を建て、一片の香華(こうげ)《仏前にそなえる香と花》を上げ、そうして私が再び良人(おっと)を持つことの余所(よそ)ながらの言い訳も仕て置き度いと、ハイいつも私はこの様に思って居ます。

 幾等アフリカの内地が遠いにもせよ、尋ねて行って石碑を建てる丈の事をさえせずに、二度目の夫を持つと云う事は到底私には出来ません。」
 明らかに言い切る中にも、何となく打ち萎(しお)れて、眼の底に涙の光さえ見えるかと疑われるのは、流石婦人の真情の現れに違いなく、三人は寧ろ強く思いやって奮い立つばかり。

 夫人は暫し胸の騒ぎを推し鎮めて、
 「私が実は今までお三人に御懇意を結んだのも、此の目的が有ればこそです。男さえ無事には行かれないアフリカの内地に、何うして女一人で行かれましょう。だからと言って、迂闊に供人を雇い入れるのも安心できません。誰か信頼できるしっかりした人は居ないかと、心の中で探すうち丁度お三人と親しくなり、貴方がたが独仏の戦争中に、人に優れて命掛けに働いたその勇気の程も聞き及びました。

 素よりアフリカへ行きますのは、死ぬ覚悟も同様の旅行ですから、どうしても一緒にお出で下さいと願う訳には行きませんが、唯だお三人から私と生涯の苦労を共に支度いとのお申込みですので、云はば図に乗って申し上げるのです。どちらにしても私し丈は亡き良人(おっと)の墓参りですので、お三人が否だと仰(おっしゃ)れば、外にしっかりした同行者を雇い入れてでも行かなければ成りません。

 若しお三人が御同行下されば、何よりも幸いです。殊にお三人ともこの様な旅行には無くてはならない性質の職業柄で、先ず平洲さんは文学士ですから途中で見聞きする事を記録し、茂林さんは画(え)の専門ですから、一切の景色風俗など写せば、帰った後に一方ならず学術社会の利益にも成りましょう。亡き良人(おっと)芽蘭(ゲラン)が、前からアフリカ内地に付いて、大著述を計画し、過半は既に出来上がって居りますが、唯だその終わりの部分に至って、私しと結婚してその事を擲(なげう)ちましたので、最後の旅行は実にその著述を、書き終わる材料を集める積りで出立したのです。

 この様な訳ですから平洲さんと茂林さんが、御同行下されば帰国の後に、その著述も大成し、男爵芽蘭の亡き魂を慰める事も出来ます。そうして鳥尾さんは医学士ですから、気候の悪い蛮国へ入り込むには、一同の為にも無くてはなりません。殊に人を食う蛮族でも、傷を直し病を治す人を見たら、神様の使いだなどと敬(うやま)うとやら聞きますから、お三人とも私の此の旅行には、いずれ劣らぬ必要です。如何がでしょう。御同行下されましょうか。」
と事細かに説明(ときあか)して問い掛けた。



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