巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou48

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

since 2020.5.30

a:177 t:1 y:0

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

      第四十八回 ハルツームから川船で

 是から蛮地へ進むには何人の供人を引き連れて行くべきか。今までの探険家はなるべく供の人数を少なくしたけれど、此の一行は行く先を急ぐので、或時は野蛮人とも戦い、力づくで邪魔者を払い退けて進まなければならない。今までの探険家は、途中で道を遮ぎる人種などが有る時は、悠々その土地に踏み留り、その酋長の機嫌を取りながら、傍らでその風俗や生植物などを研究したりした。是れはその目的が、全く学問研究に在ったのを以て、逗留するのを厭(いと)わなかったことに由るのだ。

 この様な研究を目的とせず、唯だ芽蘭(ゲラン)男爵を、蛮地から救い出すことをのみ目的とする此の一行は、途中で無益に逗留する事は出来ないので、真に行軍の覚悟で行かなければならない。依ってこの土地で退役の兵士五十名を雇い入れ、之を老兵名澤に引き連れさせる事とはしたが、五十名の兵士を連れるのは容易な事では無い。

 その食物、その荷物だけでも一通りの手段では運ばれず、陸を行くには人夫を合わせ、確かに二百人の一行と成る計算なので、先ず河で行かれる丈は河に依り、愈々(いよい)よ河が尽きて陸に上った時に、その土地の蛮民を人足として雇とうと云うことに決した。

 それで、先ず小舟四艘を借り入れて、之に荷物を積んだが、幸いにしてエジプト政庁から発した奴隷取り締まりの河蒸気船が、ナイルの河を遥かに上手まで視察の為に遡るとの事なので、その船長を勤める士官に、四艘の小舟を引き舟として、引き連れて行っては呉れないだろうかと乞うた。

 すると幸いに、この士官はフランス人である上に、エジプトを発する時、フランス国の領事その他の人々から、若し途中で牙蘭(ゲラン)夫人等の一行に逢う事が有ったら、成るべく便利を與えて遣れと言い渡されて有ったとの事で、早速一行の請いを承知して、小舟四艘を河蒸気の後に結び、更に小舟は不便なので、芽蘭夫人外数名は、蒸気船の方に乗られよと言って招待してくれたた。

 是れは何よりの幸いなので、夫人は平洲、茂林、寺森の外に帆浦女、與助及び通訳二人、都合八人だけを汽船の方に乗り移つらせたが、河蒸気とは云え軍艦の形を備えた物なので、室なども美しく、今までの旅行に比べては殆ど仙境に遊ぶ思いがした、特にナイル河の景色は、遡るに連れて益々美しくなったので、一同は甲板に集まって、殆ど日の暮れ夜の明けるのをも知らなかった。

 中でも與助は、先にアラビアでベドイン人に捕らえられ、奴隷商人の群れに入って以来の苦労と失策とを説きながら、この上は最早や安心なので、一刻も早く象牙が落ち散っている森林へ入り込み度いと、そればかりを楽しみにしていた。

 寺森医師は又、早く女人国に入り、「黒い天女」の皮膚を研究し度いと説き、互いに様々な想像を闘わせたが、ハルツームを出発した翌日の夜は満月で、天に一点の雲も無く、殆ど昼かとも疑われる程なので、両岸の景色は何とも言えないほど素晴らしく、一同は恍惚として甲板に並び、既に十一時を過ぎたけれど、誰れ一人寝室に退こうとはしない。

 恐らく世界に又と無く絶賞に値する気色だなどと語り合う折しも、忽(たちま)ち河の上から、何とも譬(たと)え様の無い悪臭がして来て、一同の鼻を突く許りなので、皆が顔に半拭(ハンカチ)を当てて避けようとすると、寺森医師は職業がらだけに、直ちに打ち向かい、

 「この川上に激烈な伝染病が流行して居るのだらうと思われます。これは確かに人類の皮膚から発する腐敗の臭気です。」
と云う。この一語に、一同は今までの爽やかだった心持ちを打ち忘れ、眉を顰(しか)めて船長の顔ばかりを見守ると、船長は千軍万馬の間に往来している士官だけに、少しも驚かず、

 「ナニこの臭気は私の鼻には良く慣れて居ます。伝染病などと云うその様な恐ろしい者では有りません。」
 寺森はなおも熱心に、
 「では何の臭気ですか。」
 船長は平気で打ち笑い、

 「ハハハ、私の職務を貴方方へお目に掛ける時が来ました。」
とのみ云って、船首の方に歩み去り、月に透かして行く手を遥かに打ち見遣っているので、一同も船長の落ち着いた有様に、大いに心強くしたが、まだ怪しくて我慢ができないので、臭気を耐(こら)えて同じく船首に行き、先の方を望むと、上手より非常に静かに下り来る一艘の河船があった。

 蒸気船では無いが、通例この河を上下する船よりは、較(や)や大きく、二張の帆に風を孕ませ、流れに順(したが)って下る様は、仲々の速力である。見る間に間近まで押し寄せて来たので、船長は声を限りにその舟に向かい、
 「進みを止めよ。」
と二度まで命令すると、舟の人は聞こえない振りで、まだ下りって来ようととする。

 素より寂然と静かな夜半なので、船長の声が聞こえない筈は無い。船長は更に独語(ひとりごと)の様に、
 「フム聞こえない振りで通り過ごす気ならば、毎(いつ)もの通りこの船を、彼(あ)の船の前へ横たえて、遮って遣らうかな。イヤ那(あ)れほど速力が強くてはこの船を傷つける恐れが有る。好し。」
と決然たる一語を発し、早速砲手を呼び出して、

 「アノ船を打ち沈めよ。」
と命ず。砲手はその命を畏(かしこ)んで、直ちに砲門を開き、船が然る可き所まで来るのを待つと、彼方もそれと知って驚いたと見え、直ぐに帆を畳んでこの船から一町《約100m》ばかり離れた横手に、静かに錨を降ろした。



次(第四十九回)へ

a:177 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花