巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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       第四十六回 同行を決めた二人

 当事(あてこと)は常に外れ易い者とは云え、平洲と茂林との身に取り、之ほど当ての外れた事は無い。二人は芽蘭(ゲラン)夫人を、自由の身と思うからこそ命掛けの此の旅に上り、少しでも余計に手柄を現して、夫人の愛を得たいと競争し、如何なる危険をも冒(おか)して来たのだ。

 それなのに一朝忽(たちま)ち夫人の夫が生き存(ながら)えて居る事が分かり、如何ほど手柄を現しても、最早や夫人を我物とする見込みは無い事と分かっては、何の張り合いも脱け果てて、此の上旅行する気も無くなる筈であるが、平洲も茂林も少しの暇に彼れ是れと考え廻して、たとえ男爵が生きて居ても、夫人の行く所までは、必ず従って行こうと同じように決心したのだ。

 茂林は先ず熱心に夫人に向かい、
 「此のハルツームは随分ヨーロッパ人が入り込む所で、ここまで来たのは何の手柄でも有りません。是より先は、即ちヨーロッパ人の四、五人しか入り込んだ事の無い蛮地で、我々はその蛮地へ入り込むのを目的として来ましたのに、何んでここから帰られましょう。貴女と云い帆浦女と云い、女の身で入り込むのに、我々男子が入り込まれない筈は有りません。」
と云うと平洲も叉、

 「ハイ私の方も同様です。是でヨーロッパへ引き返したら、真に社交界の物笑いです。何だ大げさに蛮地旅行などと触れ散らして、ハルツームまで行って逃げ帰ったのか。女連れがその奥へ進んだのに、男子が怯(おび)えて帰って来たとは、余り活恵(いくじ)が無さ過ぎると、こう云うに極まって居ます。私共の信用は是れ限りで、再び社会へ顔を出す事も出来ません。」

と、非常に悔しそうに陳述(のべたて)たけれど、夫人は容易に返事をしない。茂林は更に、
 「夫人、貴女は私共をば、褒美が無くては進む事が出来ない者とお思いですか。成るほど此の旅行は、愛と云う褒美に目が眩(くら)んで始めた事とは云え、最初から二人の中一人は、その褒美に漏れる事と決まって居ます。不幸にして愛の褒美には漏れても、互いに死生を共にした以上は、生涯又と無い親友として交わろうと、貴女が自ずから言渡したでは有りませんか。

 今迄は愛の為に旅行したとしても、是からは単に親友と云う心で同行します。パリからここまで幾千里、死生を共にする約束で艱難を分かち合って来た親友が、貴女が是から危険極まる地へ入るのを、後に見捨てて帰れましょうか。」
と言葉が終わるか終わらないうちに、平洲は又直ちに言い足し、

 「我々は最初芽蘭(ゲラン)男爵の墓へ参る積りで来ました。墓では無くて男爵御当人が無事に生きて居ると分かれば、何故ここから帰らなければ成らないのですか。外とは違い、人外境(にんがいきょう)とも云われる程の蛮地ですから、多分男爵は捕虜同様の身と為って、後へも先へも進む事が出来ない有様だろうと思われます。

 看(み)す看す同じ国の一人が、その様な悲しい場合に落ち入って居るのを、救おうともせずに帰られましょうか。曾(かつ)て李敏敦(リビングストン)翁が野蛮人の中に入り、後へも先へも進まれない様に成ったとの報が、ヨーロッパへ達するや、全世界の義人は、翁を救い出す為に、遠征隊を送らなければ成らないと主張し、遂に英国の地学協会から救助隊を出したでは有りませんか。

 今芽蘭(ゲラン)男爵の有様は、必ず当時の李敏敦(リビングストン)翁より辛かろうとも、安楽な筈は有りません。
 その報を聞きながら、我々がここから引き返しては、世界の義人に合わす顔が有りません。貴女が同行を許さないと仰(おっしゃ)るなら、仕方が有りませんから、私は茂林と両人で、ここから別に遠征隊を組み立て、義人の心を代表して同胞の一人を救いに行きます。死んだ人の墓を見届けるより、生きたその人を救うのが一層重い同胞の勤めです。」

と言って、飽くまで堅い決心を顔と言葉に示したので、夫人も此の上に拒む事は出来ず、二人が真に私を夫ある人と敬い、同胞を助ける目的で進むのであれば、今まで通りに同行することにしましようと言い出し、深さ限り無い両人の親切と義侠の心とに、非常に感心した様子だったので、二人も初めて安心し、後は此の後の旅行の準備から道筋などの相談に移り、更なる委細は明日又相談しましょうと云う事に決し、両人は芽蘭夫人に分かれを告げ、此の家を立ち出でたのは、夜の十一時過ぎだった。

 二人は是からナイルの土堤を、市(まち)の方へ歩み去ると、僅か数時間以前は、互いに決闘も仕兼ねないほど恨み合っていたのとは事替り、此の上も無く打ち解けた友達に戻り、一人が、
 「僕は全く夫人の心が君に傾いたものと思い込み、死に物狂いに為って居たよ。」
と白状すれば、
 「僕も其の通りサ。」
と答え、次第に心の奥底を語り会うに連れ、
 「併し君は今の事を何う思う。僕の考えでは、芽蘭男爵が今も生きて居ると云う証拠は、少しも無い様に思うが。」
 「そうサ、成程千八百七十一年に死んだと云う、その筋の報告の過ちは良く分かり、その翌年まで男爵が生きて居たことは確かだけれど、その後死んだのか生きて居るのか、それは少しも分からない。そればかりか、それ限りで何の便りも無い所を見れば、先ず死んだと見做すのが確かだろう。」

 「僕も勿論その説だけれど、唯だ芽蘭夫人は、男爵が七十一年に死ななかったと云う証拠に驚いて、直ちに今もまだ生きて居るだろうと思い詰めて居るから、僕は敢えてその点を争わなかった。」
 「果たして男爵がその後に死んだとすれば、吾々と夫人との関係は今までと別に変った事は無い。」

 「そうサ、夫人は依然として未亡人で、即ち誰と婚礼しようと自由の身だから、吾々はどちらにしても、引き続いて夫人と一緒に此の旅をしなければならない。」
 「そうだ。僕もその様な気がしたから、今まで通りにこの先の同行を主張したのだ。」
と云う折しも、二人は土堤と河原の四辻まで来かかると、茂林は「オヤ」と云い、地上に散らかっている一物を拾い上げ、

 「是は変だ。この辺に落ちて居る筈は無いが。見給え、是れは、我国(フランス)製の歌牌《トランプ》だゼ。」
 成程この土地に在るとも思われない歌牌《トランプ》なので、
 「若しや寺森医師がこの辺を散歩して落としたのでは無いか。」

 「サア、彼より外に之を持って居る者は有るまいと思われるけれど、彼れはパリを出る時、十組の歌牌《トランプ》を用意して、既に半分ほど使い破ったと云い、今では残りを命より大事にして居るから、非常な間違いでも無ければ、たとえ財布は落としても、歌牌《トランプ》は落とさないはずだ。実に不思議だよ。」

と云う中、又二、三間《4,5m》隔てて幾枚か落ち散っているのを見たので、両人は何と無く不安の思いがせられ、一様に四方を見廻すと、此の時密雲を破って照り輝く月の光に、一町《100m》足らず離れた河原の彼方に、四、五人の人が一人の虜(とりこ)と覚しき者を舁(かつ)ぎ、淵の方を指して運んで行く様を見る。

 両人は一様に、
 「ヤ、ヤ、若しや寺森が何かの間違いで、捕らわれて居るのでは無いか。」
と叫んだ。



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