巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou49

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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        第四十九回  奴隷を積む船

 異様な臭気を発(はな)っている怪しい船が碇(錨)を下ろすと、此方の船長は芽蘭(ゲラン)夫人等に向かい、
 「私は役目としてアノ舟へ乗り移り検査しますが、貴方がたも同行したければ御随意です。」
と云った。

 検査とは如何なる事を行うのだろうか。是も話の種なので一同は共に行く事を答えると、船長は直ちに二艘の艇(ボート)を下ろさせ、一艘には戦いの用意を為した水兵十人を載せ、一艘には自分と共に芽蘭夫人外数名を載せ、直ちに怪しい船に漕ぎ附け、乗り移って船の統領を呼び出すと、統領はこの様な手数を掛けられてきっと不機嫌なのに違いないと思いの外、此方の軍服に恐れてか、非常に機嫌良く打ち笑み、恭(うやうや)しく首を垂れて、

 「イヤ御命令ですので直ちに此の通り船を止めました。御用の程はーーアア分かりました。ハルツームにお出での奥方に、お言伝(ことづけ)が有るのですね。それとも手紙ですか。品物ですか。私どもは明後日同地へ着く日取りですから、何なりとお届け申します。」
と、此方の言葉を聞かない先に、只管(ひたすら)心を迎えようとするのは、媚諂(こびへつ)らい、検査を免れようとする心である。此方の士官は皆まで聞かず、

 「黙れ、吾々は此の舟の積荷を検査に来たのだ。」
 統領は驚きつつも手を揉(も)んで、
 「何(ど)う致しまして、私共は検査を煩わす様な、不正の商人では有りません。御覧の通り綿や小麦を積んで居ますから。」
と云う。

 成るほど甲板の面は綿や小麦の俵が堆(うずたか)く、少しも怪しい所は見えなかったが、彼の異様な臭気は益々募のるばかりなので、
 「綿や小麦が此の様な臭気を発すると思うか。確かに此の船は奴隷を積んで居るのは確かだ。」

 士官は熱心に目を配ったが、蒸気船とは違い船の底は極めて浅く、別に臭気を発するほど大勢の奴隷を隠すことが出来るとは思われないので、孰れの所を検めんかと殆ど途方に暮れるに、水兵の中最も年長けた一人は、兼ねて経験の有る事と見え、忽(たちま)ち甲板の一部に在る小麦の俵に目を注ぎ、

 「此の俵を取り除(退)けて下の方を検めなければ。」
と云い同役と共にその俵を除のけ始めると、今まで揉み手で笑って居た統領は、忽(たちま)ち喧嘩面と為り、
 「その俵を動かされては、積み直すのが大変な手数です。」
と叫び、走って行って水兵を妨げようとする。

 さてはと水兵数名が之を遮り、残る数名で容赦も無く俵を跳ね除(退)け尽くすと、俵の下の甲板に、穴を蓋(ふた)したような厚い戸があった。怪しいのは此の戸だと、力を込めて引き開けると、恐ろしいことに、その中から、彼の異様な臭気は、男女幾人の呻唸(うめ)く声と共に立ち登り、黒い手や頭なども、今まで無理に押し付けられて居た様に突き出た。

 一同は之はと驚く中に、気短かな茂林は直ぐに馳せて行って、其の手、其の首などを捉(とら)えて甲板の上に引き出すと、果たして是れは奴隷の女子供達で、後からも後からもと出て来て、瞬く間に十余人を引き出した。更に引き続いて水兵に角灯を照らさせ、振り照らして穴の中を覗くと、甲板と船底である床との間は、僅かに四尺《1.2m》許りの高さで、人の立つには頭の閊(つか)える所なのに、此の中に更に百人以上もいるのでは無いだろうか。

 ぎゅうぎゅうに詰め込まれ、呼吸の苦しさに喘(あえ)ぎ合う声は、真に凄まじく聞こえて来るので、茂林は、
 「サア早く出て来い。」
と命じた。

 後で聞くと、この奴隷等は常に甲板の上に置かれているが、検査の船が来ると見ると、直ちに甲板の下へ詰め込まれ、検査の船の過ぎ去るまで卅分か一時間もその中に置かれるので、中には空気が通らないので、船の横手の水際の上に、所々穴を開けて、空気を呼ぶ道とはして有るが、空気が入るのとは反対に、大勢の呼吸の臭気が其の穴から湧き出でて、時を経るに従い益々臭気を洩らすのだと云う。

 それにその穴とても多分の空気を通はせるのに足らないので、中なる奴隷の息は次第に塞がり、一時間より後には、一分間毎に二十人の割合を以て死亡し、殊に其の死亡は最も健康なる者ほど、多量に空気の呼吸を要する訳なので、即ち健康な者が先に死し、二時間も生き残るのは、到底物の役に立たない非常に柔弱(かよわ)い奴輩(やつばら)ばかりだと言う。

 又た統領が一同を此のところへ入れるには、非常な脅しを用い、中で声を発し或いは外に出ようとする者は、後で直ちに切り殺すべしと言い渡して有るとの事で、女や子供の奴隷なので、その言渡しに怖恐(おじおそ)れ、今も茂林が外に引き出だそうとするが容易には出て来ない。

 既に甲板の蓋(ふた)が開いて、空気が幾分か多量に入り込む事と為り、且つは十数人抜き取られたので、聊(いささ)かながら融通(ゆとり)が出来たので、奴隷等はそれに満足し、甲板に出て殺されるには勝(ま)しだと思ってか、縮み込みて動こうともしない。
 止むを得ず水兵等は腕力を出して引き出だすと、同勢総て百二十八人で、その内の八人は、既に息絶え事切れと為った後であった。

 此の船の統領初め、その手下は水兵等が奴隷の引き出しに急(いそが)しい間に、焔硝(えんしょう)を入れた桶三個を持ち出して、その傍に身を集め、検査官等が近づく事が出来ないようにし、鉄の閂木(かんぬき)を以て道を塞ぎ、その中に閉じ籠って、火を燈(とも)した蝋燭を振り照らし、その統領は非常に腹立たしそうに検査官に向かい、

 「その奴隷を解き放されては、吾々一同財産を失い、その上にも非常な刑罰に服する訳なので、阿容阿容(おめおめ)と従うよりは、この火薬に火を放ち、船を砕いて奴隷一同と共に死んでしまう。」
と罵(ののし)り立て、死物狂いの有様は、真に焔硝に火を放ち兼ねない勢いである。

 若し焔硝に火を付けては、一刻の猶予も無く、一同は船と共に破裂して沈む訳なので、その危い事と言ったら何とも言いようが無い。
 茂林は、
 「エエこの人非人等を、酷(ひど)い目に逢わせて遣り度いなア。」
と歯切(はがみ)したが如何ともしようが無く、やがて何事をか思い附いたのか、船長に二言三言細語(ささや)いた末、その身は唯一人元の小船で本船へ帰った。

 平洲は又先に馬兵田(バヒョウダ)の沙漠で奴隷を解き放し、その奴隷等の力に由って商人を捕らえた経験があるので、この度も奴隷等に号令し、一斉に統領等を襲って、まだ火薬に火を放つ事が出来ない間に、取って押さえさせようかと奴隷の方を見渡すと、その過半は女子供で役に立つ見込みも無く、火薬に火を放つは瞬溌(またた)きよりもっと早く行う事が出来る事柄で、たとえ如何なる手段を以てしても、彼等に先ずる道は無い。

 是れは如何とも仕方が無いと空しく心を砕くうち、統領等は早やブランデー酒の樽を抜き、死に際の盃とも云う様に、片手に蝋燭を持ったまま、一同で呑み始め、見る間にその様子も非常に荒々しく変って来た。

 この輩は実に平生から命知らずで、人の命と我が命との見界が無く、常に九死の地に入って不正の業を営む上に、酒に酔っては如何なる事をも恐れない無分別な質なので、火薬に火を放つ最後の手段は酔はない前こそ嚇(おど)しであったが、酔っては最早嚇(おど)しでは無い。今までにも度々その例は有った事なので、危険なことと言ったら、これ以上のことは無い。



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