巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou5

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2020.4.16


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      第五回 芽蘭(ゲラン)夫人の提案

 亡き良人(おっと)の墓に詣でる為、深くアフリカの内地にまで入り込もうとする芽蘭(ゲラン)夫人の決心は、感動すべきことではあるが、之に同行して幾千万里の旅を企てることは、少しばかりの熱心さでは出来難い事柄である。

 それも夫人の二度目の夫と事が決まり、唯だ一人従って行くなら未だしも楽しい所はあるだろうが、恋の敵とも云うべき他の両人と、共々に従って行くのは有り難い事では無い。その旅行中に夫人の心が、必ず愛の情を発すると決まって居る訳でも無い。若し愛の心情が発しなければ、三人が三人とも万里の旅を済ました後に於いて、失望の身とならざるを得ない。

 尤(もっと)も夫人自ら此の墓参りをさえ済ましたならば、二度目の夫を持つと云う考えなので、旅行を終えて帰る迄に、必ず愛の心を発する者と見ても間違いは無いだろうが、だからと言って真にその心が発したからと言って、夫人に選ばれる者は唯だ一人なので、三人の中、二人はまでは到底失望を免れ得ない筈である。

 或いは幸いにして首尾良く、夫人に真に愛せられ、失望の二人組には陥らずして、唯一人の最も嬉しい人と為るとも、不幸にしてその人自身が病に掛かり、死去すれば如何する。アフリカ内地の旅行と云えば、或いは病の為め、或いは猛獣毒蛇の為め、或いは剽悍(ひょうかん)なる蛮民の為め、十人が九人まで、事に由っては十人が十人まで生きては帰らないことは、今まで幾多の経験で明白である。

 若しこの様な事と為ったならば、唯だその身の不幸なだけでは無く、既に最初の夫に死に分かれた夫人をして、二度目の夫と定めた人にまで死に分かれる不幸を、受けさせる事と為るに違いない。
 それもまだ仕方が無いとしても、夫人自身が途中で死去したなら如何する。全くの玉無しと成って終って、三人実に此の上無い失望を嘗めた上、満天下の笑い草とも成るに違いない。

 更に深く考えて見れば、夫人も三人も悉く死に絶えて、一人も此の国に帰る者が無いことに至らないとも限らない。一行悉(ことごと)く行方知れずとなる様な例(ため)しも、今まで既に度々あった所だからだ。

 三人は考えも細かにして、固より思慮深い紳士なので、この様な危険を思わない訳では無い。だがそうではあっても、一人も逡巡(しりごみ)をする景色を示すは人は無く、どの人も一種の熱心を面に現し、落ち着いて夫人の言葉を聞いて居るのは、真に随行する所存であるからか、夫人の言葉が終わったと見るや、三人は一様に言葉を発しようとすると、夫人は急いで押し留めて、

 「イイエ、これは三人の身に取り、非常に重大な事件ですから、私は決して此の席でお返事を伺い度くは有りません。たとえ否とか応とか既に貴方がたのお返事は胸の中に定(きま)って居るにしても、今即座に成される御返事は、私に於いては真のお返事とは認めませんので、御帰宅の上、篤(とく)とお考えに成って、相談する方が有るなら相談し、その上でお返事を願います。」
と非常に道理ある猶予を与え、

更に又語を補い、
 「私しの主意は是だけですが、更に旅行中の心得を申して置きましょう。第一途中に於いて、私の心がお三人中の一人に向かい、真の愛情を発する様な事が有っても、私はそれを素振りにも言葉にも決して現わさず、首尾良く墓参を済まし、帰国して後で無ければ、誰にも知らせません。

 第二には、貴方がたが帰国まで、互いに毛ほども嫉妬の念を起こす様な事が有っては成りません。嫉妬は我々の一行に於いては何よりも禁物です。
 第三に、旅行中は私しを男子と見做して下さらなければなりません。若し私を女と思い、強いて私の機嫌を取るとか、又は求めて私に愛情を起こさせる様な運動をしては成りません。

 詰まる所男同士の親友四人連れの旅と云う決心で、飽くまでその心を忘れない様に致さねば成りません。サア私の申し上げる事は是れだけです。是れでこの旅行の目的も褒美も方法も分かりましたから、何うか皆様、今から一週間だけ、篤とお熟考なさって、この次の週の今日に、確たるお返事を願います。

 無事に帰国の上は、お三人中の一人は私の良人(おっと)と為り、残る二人は私の生涯の親友として、又と無い程の親密な友情と感謝の意とを得るので有ります。」
と云い、是で芽蘭夫人の言葉は全く終わったが、三人は深く夫人の言葉を呑み込み、唯だいつものように様々の談話を試みた末、三人同時に切り上げて、何の敵意をも、何の素振りをも現さず帰って行くのは、早や既に夫人の言葉に服し、夫人を全くの男子と見做し始めたと思われる許りである。



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