巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou62

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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          第六十二回 雨請いの生贄

 雨を祈る手段として、人一人を天日に焼いて嬲(なぶり)殺すとは、残酷の極度なので、芽蘭夫人はたとえ原住民の怒りを買うとも、是ばかりは助けずには置き難いと思ったのだ。助けて一行の中に加え、人夫として相当の給料を与えれば、此の者の為め又と無い幸いになるに違いない。

 通訳亜利は夫人の命を聞き天を見廻し、
 「イヤ此のまま捨てて置く方が親切ですよ。今助けては何れほど失望するか分かりません。」
 命を助けられて失望とは何う言う事だろう。
 亜利は説明かして、

 「今朝から嫌に蒸し暑いのは雨の降る下地で、既にアレ、西の方から雲が広がって参ります。一時間と経たない中に降って来るに極まって居ます。御覧なさい。此の者も空模様を見て、最早や自分が生神に成る時だと思い、寧ろ喜ぶ顔色で待って居ます。」
 成ほど何うやら嬉しそうな顔色も見えるので、それならばと捨てて置いて進む。

 折りしも雨はポツリポツリと降って来た。暫くする間に「オロージ」の村から蛮民が隊を為して走って来て、人身御供の前に跪坐(ひざまづ)いて、我れ先に礼拝し、縄を解いて手を引きなどして、大勢其の周囲を守護し、生き神の徳を謡いながら連れ去った。

 これを見て夫人初め一同は、誠に奇妙な習慣も有る者だと嘆息してここを去った。
 是から行く先は、ボンゴーに達する迄、一帯の土地を「ジョーア」地方と称し、小山も有り、谷川も有り、唯の平地よりは少し趣に富んで居たので、旅行も幾分かはし易く、所々に村落も有り、又此の邊は盛んに象牙商人が隊を作って入り込んで居る所なので、五哩(マイル)《9Km》ほどを隔てて、其の商隊を泊る為に設けた小屋掛けが有る。

 小屋とは云えど、商品を蓄蔵し或いは番人を置き、時としては五百人以上を留め置くことも有るので、其の広さ数百坪の上に出る者が多い。此の小屋掛けを「ゼリバ」と称し、旅行者は皆、
 「ゼリパ」
に宿を請い、又多少の品物はここで買い調える事も有る。

 夫人等の一行はカアツウム(現在のハルツーム)を出る時、各「セリパ」の持ち主へ宛てて添書を得て来たので、宿泊其の他の事に付いて、大いに便利を得る事が出来た。行くこと数日にして宵月夜の頃と為ったので、予定の様に午後も又四時から、夜の十時頃まで旅することと為し、只管(ひたすら)に旅行を急いだ。

 此の邊は恐れるべき猛獣が少なく、猿の類が多いのを以て有名な土地である。山道に差し掛かったので時々猿を射て、思はぬ慰みを得る事も有った。
 総て此の土地の蛮民は、猿の肉を常の食に充てると云う事だ。
 寺森医師の新説に由れば、人肉をを喰らう悪しき風俗も、元は必ず猿の肉を喰らう事に在ると言う事だ。

 それはさて置き、或日此の「ジョーア」地方の中程に達し、例の様に真昼の暑さを凌(しの)ぐ為め、其の所の「ゼリパ」に憩い、一同昼寐して四時頃になったので、再び出発しようと態勢を揃えていると、不思議にも普段誰よりも先に出る帆浦女は如何した事か影さえ見えなかった。「ゼリバ」の中を隈無く捜すと、手荷物は無事に有って、身体丈紛失をして居た。

 何所を探したらよいか当ても無かったので、慈悲深い夫人の心配は並大抵では無かった。何にしても此の女の居所が分かるまでは出発する事が出来ない。曾(かつ)て平洲、茂林、寺森の三人で、互いに帆浦女の心を他に振り向け、其の機嫌を取ろうと約束した当座は、三人とも約束を守り、彼女の心を平洲は寺森に、寺森は茂林に、茂林は平洲にと、各々振り向け合っていた為め、彼女は三人の間に迷い、甚だ機嫌が好かったが、此の頃は三人とも約束を疎(おろそか)かにし、大いに余所余所しく成ったので、彼女の不平は折々挙動に現れ、又何と無く鬱(ふさ)いで思案する様な事も有った。

 それで今日も又前例の様に、独り抜け駆けしたのではないかなどと、話が酣(たけなわ)になって居た折しも、遥か向こうの小山の方から、非常に悲しそうな又悔しそうな叫び声を発し、何とも譬え様の無い異形の様で、「ゼリパ」を指し、頭髪も振り乱して、泣いて一散に走って来る人があった。

 誰かと疑う迄も無く、其の背の高さ、足の早さから、二人とは無い帆浦女である。一同は何事だと遮って問おうとすると、彼女は飛鳥の様な早さで、非常に恥ずかしそうに「ゼリパ」の隅に走しって行って身を隠した。



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