巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou81

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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       第八十一回 驚く魔雲坐王

 「此の身が王を愛するのが無理か、百万の黒人に戴(いただ)かれ、容易には顔さえ見せない彼の王が、私の為に毎日の様に王宮を出で、根好く通って来る親切を察すれば、私としては如何(どうし)でその愛を感じないで居られようか。

 好し、明日とも云わず王宮に行き、我が心を説き明かして、王を安心させる事としよう。此の後三年なり五年なり、王宮に留まる中には、この様な土地にも必ず宣教師が来る事と成るはずなので、その時宣教師の目前で正式に婚礼する事ができるだろう。

 此の結婚は唯だ愛の為だけからでは無い。女の天職を尽くす為でもあるのだ。幾月を経ないうちに、王の愛は私人に集まり、後宮数百の女どもを、解放する事となるに違いない。王が若し解放しなくても、私が必ず王を説き解放させる。

 アフリカの絶域に一夫一婦の制を定め、先ず最も有力な魔雲坐王をその制に従わせたなら私の手柄になる。昔からの女傑(じょけつ)に劣るとは思われない。その時こそは如何ほど人に賞賛されても辞退するには及ばない。
 この様に明白な女の道を踏むのに、私は何の躊躇(ためら)う事が有るだろう。イザ行こう。

 私は今までは平洲、茂林、寺森、三人から一様に愛せられ、それに三人の容貌と云い、人柄と云い、別に際立った優劣が無い為め、誰れの愛に酬(むく)いようかと判断に迷ったけれど、王は飛び離れて三人とは異なるので、最早や迷う所は無い。

 アア可愛いい王や、王を愛する今の心に比べて見れば、私が三人の間に迷ったのは愛と云う心で迷ったのでは無く、唯だのある種の迷いだけだったのだ。私は実に愛の何たるかを解しなかったのだ。王に逢って初めて愛の何たるかを知ったのだ。

 愛は一人に集中(かた)まる者なのだ。彼れ是れの間に迷う様な者では無いのだ。愛は嬉しい者だ。迷って苦しむ者では無いのだ。王と後々を共に暮らす事を思えば、今から既に心嬉しい。彼の三人に迷って居た頃は、唯だ苦しいだけだった。我が心がこの様に明白に分かったからは、此の後に後悔などする事の有う筈は無い。これ以上何も考える必要は無い。

 唯だ困るのは言語である。王と直接に私が言葉を通して理解する事が出来るだろうか。
 アア是れには工夫がある。私はアラビア語を知って居る。王も曾(かつ)て象牙商アブデス・サメートから習ったと云って、多少のアラビア語を知って居る。特に私は旅慣れていて、言語の才に優れている丈に、此の地方の言葉でさえ、幾等か使い無い訳では無い。

 夫れ是れを取り交えたならば、王と話しの出来無い事も無いだろう。殊に口から以心伝心で、互いに心を読み得る程、深い愛を起こしたので、言語が充分に通じ無くても、それほどの心配は無い。別に通訳が居るとは云え、今は通訳が却って邪魔となる場合がある。

 誰をも連れず、誰にも知らさず、唯だ一人で王宮へ忍んで行こう。そうだ、幾度読み直し考え直しても、上に記した私の考えには、少しも過ちは無かった。

 帆浦女はこの様な事を書き記し、全く考えを決めた見え、其の夜の八時過ぎ、一同が銘々の室に退いたのを見すまし、非常に美々しく着飾って、化粧した顔を濃い覆面に包み隠し、小屋から出て、王宮に忍んで行ったのは、愚かな心の過ちだった。

 嘆かはしい限りであったが、又如何とも仕方がなかった。やがて王宮の玄関とも云う可き所に行き、白人の女が秘密に目通りを願い度い旨、伝えて呉れよと申し込むと、王は白人の女と聞き、きっと芽蘭夫人が来たのに違いないと思ったのに違いない。

 少しの間、接見の用意に、宮中は忙しい様子であったが、稍(や)やあって王の従者が恭(うやうや)しく案内した。帆浦女は充分思案を定めての上なので、今更迷う所も無く、鐵火箸(てつひばし)のような手足を折り曲げ、折り曲げ歩を運び、従者がここだと指さす部屋に行った。

 先ず従者を退けて中に入り、戸を閉じて又一歩進むと、王は恋人を待つ様な様子に幾分の威儀を作り、異様なる台に斜めに身を投げ掛け、其の上には白人の女を座わらせる為の腰掛け台を置き、目を細くして待って居たが、六尺(180cm)に近い帆浦女の姿を見て、是はと打ち驚いた。

 帆浦女は、身を引き起こそうとする間も与えず、この美しい顔を見られよと云う様に、覆面(ベール)を排除(かきの)け、そのまま骨々しい身をへし折って、王の前にある台に倚(よ)り掛かかった。

 此の土地の習慣として、肥た女を美人とし、後宮数百の女達を、唯だ肥太らせようとばかり苦心している王の事なので、帆浦女の姿は怪物よりも、もっと恐ろしく見えたのに違いない。

 驚いて見開く眼は、瞬間(まばたき)の力をさえ失ったかと思われる許りであるのに、女はその様な事には構わず、非常に覚束ないアラビア語にこの地方の片言を取り交ぜ、一心不乱に何事をか話し始めたのは、きっと手帳に記した心の中を、そのまま繰り返しているのに違いない。



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