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野の花(前篇)

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ミセス・トーマス・ハーデー著  黒岩涙香 訳   トシ 口語訳

野の花

           六十一 「学校」

 いくら道理の無いところに道理をすげ替えるのが上手にしろ、この世に居ない先妻を嫉妬するとはあんまり我がまま過ぎるというもの。それも好いけれど、その嫉妬を良彦にまで及ぼし、何にも知らない子供をいじめるのに至っては、ほとんど女の心ではない。鬼心だ。けれど、悲しいことには世間には鬼心が随分ある。

 自分の腹の子が無いから、良彦がなおさら憎い。ねたましい。その母は自分の知恵で追い出したけれど、その母の子が居ては、この家の相続人となり、次の代の主人になるかと思うと、殺してもしまいたい。

 けれど、夫冽が良彦を大事にすることは一通りではなく、学校へやるにも、角まで見送り、帰る時にも出迎えるほどで、家に居る間はほとんど自分のそば離さないほどの有様なので、思う通りにいじめることが出来ない。

 上辺には何処までも親切に見せなければならない。これがなお更又憎らしい種になるのだ。もし思う存分にいじめることが出来れば、たまには腹の虫がおさまることもあるが、何時もいじめ足り無いから、益々憎くなるばかりだ。

 これほど憎い者を、上辺だけでも可愛がって居なければならないかと思うと、あたかも自分の敵に奉公するような気がする。本当に何と言う因縁だろうと時々愚痴な独り言を言うことさえある。

 このような場合であっても、しかし、なかなか巧みにいじめる。何事も総て、世に言うお為ごかしだ。子供のうちに甘く育てては後々のためにならない。
 「可愛い子は厳しく育てなければなりません。ネエ、貴方」
と言うのが何時もの論法で、少しでも良彦の気に入った品物は総て取り上げる。

 「今から贅沢を覚えさせては後々の為になりません。」
と言っては良彦の費用を切り詰め、
 「今から遊び癖などをつけては」
と言っては良彦の気に入った運動や遊びなどを妨げる。

 ある時ちょうどそんな所に冽が顔を出した。良彦は冽の傍に駆け寄り、
 「ネエ、お父さん、この間買ったロバは、僕が何時乗っても良いのですね。」
 冽は、
 「そうとも、貴族の子は馬に良く乗れなければならないから、初めはロバから乗り慣れるために、お父さんが買ってやったのさ。」

 良彦は勝ち誇った顔で品子に向かい、
 「ソレ御覧なさい、子爵夫人ーーー」
 品子のことを丁寧に子爵夫人とは言うけれど、決してお母さんとは呼ばない。
 「---お父さんがいつでも乗れと仰(おっしゃ)ったから、仰ったと言うのです。言わないことを言ったなどと、嘘など言うものですか。良彦は嘘は大嫌いです。世界のロバを皆やるからと言ったって、嘘は言いません。」

 こうまで嘘をいやしむのは全く母澄子の気質を受けたものと見える。冽は心の中で、
 「アア、生前には平民の子よ、田舎娘よと侮られたけれど、死んで見ると一日一日その正直な賜物が分かってくる。」
 口には出さないけれど、その顔色が品子に分かったらしい。

 品子はひどく嫌な顔をした。と言って別に争うべき言葉も無いから、
 「今からロバを与えるなどと、少しは家の倹約と言うことも思わなければなりません。」
とあいまいに嫌味を吐いただけだ。自分の身にはロバ千匹にも値するほどの飾り物を、毎日取り替え、引き換え着けるのに、よくも倹約などと言う言葉が吐けるものだ。先ず総てのことがおおむねこのような得手勝手な調子である。

 得手勝手であるに付けては、家の治め方も先ず澄子とは大違いだ。澄子は何事も冽の母御に相談し、母御の言うとおりに行ったが、品子は自分の一存でテキパキト決めてしまう。母御になどは知らせも聞かせもしない。

 良い嫁と思って、その実現には一方ならず面倒を見た母御は、間もなく大いに当てが外れて、少し後悔の様子となった。けれど争えば直ぐ品子の口のうまさに一言で言いまくられてしまう。

 その代わり品子が自分の名誉となるような事柄を熱心にやって行くことは大抵の人にまねが出来ない。ほとんど男勝りとも言うべきだ。冽と結婚して第一に、その記念として、領地の一村に学校を建てた。

 通例の小学校はよく監督が行き届かないからと言って、名誉校長には長年土地に尊敬されている教会の長を上げ、事務は教育に経験も有り、品行も正しいある婦人を雇わせて、これに事務長と名を付けて任せている。

 品子自らは少しも直接に関係はせず、人の雇い入れから会計のことまで、校長のやりかたに任せているが、時々校長からの報告だけは聞くのである。外に村の良家の主婦人、四、五名を評議員として、何から何まで手落ちの無いように備えている。

 そして生徒は男と女とを別々に教えるだけの準備がしてあって、その校舎の有る場所も景色が良く、最も年少男女の衛生に適するので、この学校が今は村の一勢力になっている。

 品子が最も自慢なのは、この学校を自分が建てたと名乗らない一事である。真の慈善は名のためにしてはならないとの古人の格言を、誰に向かっても説き聞かせる。これを説いて聞かせるだけ、まだ悟りきれて居ないところがあるが、兎に角慈善は慈善。

 善には善の報いが来るべきであるが、どういうものかこの学校が、品子の身に恐ろしい波風を巻き起こす元とはなった。


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