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野の花(後篇)

トーマス・ハーデー著  黒岩涙香 訳 トシ口語訳

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ミセス・トーマス・ハーデー著  黒岩涙香 訳   トシ 口語訳

野の花

百十 「憎さも憎さ」

 品子、品子、この品子が我が大事な子良彦を殺そうとするために、このようなことまでするかと思うと、憎さも憎さ、河田夫人の心には、積り積もる十余年の恨みと怒りが、ただこの一時に集まって、何と罵(ののし)っても、どのような目に合わせても飽き足らない思いがする。

 目はくらみ心は乱れほとんど何もかも一つの憎さのために忘れたようになるのが無理か。夫人は腹の底から出る声で、
 「ハイ、私は気が違ったかも知れません。このような目に会っては発狂せずには居られましょうか。」

 「けれど、けれど、発狂にせよ、発狂でないにせよ、知っているだけのことは知っています。品子さん、品子さん、貴方が何のために良彦の病室に忍び込み、何のために最後の薬を奪ったかも、私にはよくわかります。貴方は人殺しの大罪を心の中に隠しています。」

 「良彦がこの家の相続人であるために、貴方は彼を殺す気になったのです。そして自分の子品彦に相続の道を開いてやるお積りです。その様なことが私の目の前で出来ると思えば間違いです。アア、有り難い事には、良彦には神様がついていました。」

「貴方は良彦が先妻の子で、イヤ、貴方が憎み、虐(しいた)げ、そしてこの家から突き出した澄子の子であるがために、良彦を憎むのです。貴方が偽りの言葉と偽りの振る舞いをもって騙(だま)し取るように得た夫が良彦を可愛がるから、それで貴方は良彦を嫉(ねた)むのです。その嫉み、その憎しみの末が殺す心となったのです。」

 雇われ人の分際で余りな言いようだとの思いが品子の心にはもちろん起きた。普段ならどれ程にか怒るだろう。けれど今は、現に悪事を働くところを捕らえられただけでなく、河田夫人の言葉が妙に胸の底に響いた。そして夫人の様子に何となく触れがたいところがある。怒りは怒っても半分は恐れのために、何時ものようなきつい鋭い声は出ない。

 「余りな言い様です、河田夫人、アノ薬が強すぎるだろうと心配になって、それで私は、少し水を割ってやる積りで取りにいったのです。物音をさせてはならない場合なので、それで忍んで行ったのが、何が悪いのです。良彦を殺すつもりの何のと、誰がその様なことを信じますものか。けれど、貴方がそれほど言うなら薬は返して上げますよ。」

 この期に及んでなおも利口に言い消そうとするのは何たる恐ろしい舌だろう。河田夫人は掴(つか)みつぶしてもやりたいほど腹が立つ。
 「当然返して貰いますとも。幾ら言葉巧みに言ったとしても、貴方は全く私の子供を殺すつもりです。」

 私の子とは今まで、おくびにも出さなかったところだ。このような際でもこの一語が異様に品子の耳を衝(つ)いた。
 品子;「エエ、誰の子」
と怪しむように問い、身を引き伸ばして河田夫人の顔をじっと見た。しばし二人でにらみ合いの姿である。

 河田夫人はもう隠してなどいられない。
 「ハイ、私の産んだ子ですよ。其れを貴方は殺そうとしているのです。私の子は私が守ります。」
 品子は恐れの中に、また納得が行かないような色を浮かべ、

 「いよいよ貴方は狂人です。」
 夫人;「狂人でも我が子は我が子、これが、もし逆さまに、貴方の子の品彦を殺そうとする者があれば、貴方は何となさいます。」 
 狂人と思っても確かに狂人でないところがある。

 品子は益々納得が行かない。
 「一体貴方は誰ですか。何者です。何者です。」
と自分で自分の言葉を落ち着かせるように聴いた。
 
 夫人:「誰でしょう。誰とまだ貴方には分りませんか。私に問うよりも自分の心にお問いなさい。あの良彦が生まれる前、生まれた後、夜と無く、昼と無く、貴方がいじめる女は誰ですか。誰を貴方はこの家からいじめ出してしまいました。誰から貴方は夫を奪いました。誰の後に貴方は瀬水子爵夫人などと言い、今の栄華を極めています。サ、品子さん、誰だと私をお思いですか。返事なさい。」

 詰問の一語一語に、品子の顔はただ白く、白く成り行き、品子の首は低く低く垂れ下がるばかりである。なかなか返事が出来そうではない。夫人は絹を裂くような声で、

 「貴方は母をあのような目に合わせてまだ足りず、子の命まで取らなければならないのですか。人殺し、人殺し、女の身で人の命を奪うとは余り大胆ではありませんか。それも嫉妬のために、恨みのために、エエ、貴方はその様な悪事が何時まで続くと思います。この世を神が天からご覧になっていることを知りませんか《照臨》。私の子良彦を、貴方に殺させないのもやはり神が天からご覧になっているのです《照臨》。天罰と言うことが恐ろしくは有りませんか。」

 品子は再び叫んだ。
 「私にその様に言う貴方は誰です。ナニゆえ良彦が貴方の子です。」
 言いながら顔を上げた。全くこの夫人の言葉付から言う事柄が不審に絶えないのである。河田夫人は身を引き伸ばし、
 「ハイ、私は良彦の実母です。」

 品子は無言である。河田夫人は繰り返した。
 「顔は貴方の眼に忘れられてもまだ私の名は忘れてはいないでしょう。瀬水子爵夫人です。冽の妻澄子です。」

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