巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

nonohana30

野の花(前篇)

トーマス・ハーデー著  黒岩涙香 訳 トシ口語訳

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野の花の舞台・・・イタリア・フローレンス・アルノ河


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ミセス・トーマス・ハーデー著  黒岩涙香 訳 トシ 口語訳

野の花

           三十 「今は堪忍袋も破れた」

 劇が無事に済んだ。品子は自分が誉められたのは嬉しいが、澄子が自分と同じほど誉められたのが癪に障ってしょうがない。
 引き続いてダンスなどもあった後、澄子、品子は又同じ休憩所で一緒になった。

 いつもとは反対で澄子の方が品子より機嫌が好い。澄子は案ずるより産むが易く、自分の役が終わったのに一つは安心し、二つは又、この分ではこの後も、子爵夫人として相応に交際することが出来るだろうとの見込みも少し出てきた。その見込みの為に自ら気が引き立つのである。

 品子の方は、この様に澄子の気が引き立つ様子からして、気に入らない。何か澄子を十分くじき、辱めてやる場面が来ればよいと、心を八方に配り、ご苦労にも自分で悩んでいる。総て人を恨む者はこの様な有様だと言うことだ。

 そこに、今夜の来客中で最も尊敬されている、或る貴婦人がやって来た。貴婦人は今夜の劇について、澄子、品子の出来を一様に誉め、更に様々な事を話した後で、

 「今度の火曜日には四、五人の友人を誘い郡部にある、古城の跡見物に行こうかと思っていますが、瀬水子爵も同行なさらないでしょうか。勿論、夫人達も一緒ですから、もし、子爵がお差し使い無ければあなた方もどうかご同行を。」
とこれは特に澄子に向かって言った。

 勿論、瀬水冽の都合を聞こうとするのだから、妻である澄子に向かうのが当然で、返事も澄子がするのが当然だ。ところが品子は、あたかも澄子をば、このような返事などは出来ない者と見下げたように、
 「これはもう、冽は喜んで賛成します。前から城跡を見物したいと申しておりましたから。それに、私とても同様にですので、ここで有り難くお受けいたしておきます。」
と言った。

 実に出過ぎるにも程がある。冽の妻を差し置いて、ほとんど自分が妻然として取り決めている。今に始まった事ではないとは言え、こうまで甚(はなは)だしい例は余りない。澄子は腹の中では余ほど心外に思った。ここでこのまま黙っていては、到底自分の位置は守れないと言うほど思いつめ、ほとんど必死の勇気で、しかし、そのような色は少しも見せずに、

 「イイエ、折角のご案内ですが冽は生憎先約がありまして、火曜日は都合がつきません。たしか、当家のご夫婦とアルノ河をさかのぼると申していました。」

 澄子がここまできっぱりと物事を言い切ったのは、初めてと言っても好いくらいだ。流石の品子も驚いた。のみならず、澄子を押し込めるつもりが、あべこべに押し込められたから、貴婦人に対して大いに赤面して、言い訳のように
 「おお、私はそのような約束はつい聞きませんでした。」

 「はい、私の約束を一々貴方が聞くはずはありません。」
と返す言葉の余地をさえ与えないのは、実に痛快とも言うべきだ。
 勿論、子爵夫人としてはこれだけの見識が無くてはならない。品子何者ぞ、単に我が家の厄介者であるに過ぎない。厄介者の分際で、みだりに主夫人を後ろにし、貴人の前に主夫人の返事を横取りして返事をするなどとは、全く軽からぬ無礼である。

 貴人は非常に澄子の見識に感服した様子で、一方ならない敬意を表し、
 「イヤ、それでは古城見物は日延べにして、私も貴方のお許しさえ得れば、当家の夫婦に話し、その河狩りに加えて頂きましょう。」
 「私こそお願い申すところです。」
 貴夫人は機嫌良く立ち去った。

 なるほど物事は恐れればこそ難しいので、恐れずに思うとおりに言ってのければ、かえって丸く行くものだと澄子は少し悟り始めた。けれども品子の立腹は実に一方ならない。この様なことなら舞台の上で、本当に殺してしまえば好かったのにと、こうまで思い出したらしい。

 けれど、澄子のもっともな言い方に、貴婦人の前では争うべき口実もなく、怒りを飲んで控えて居たが、やがて澄子と差し向かいになるやいなや、
 「澄子さん、今夜の貴方の言い方はあんまりというものです。貴方のような身分の者は、社交の作法も知らないから何とも思わないかも知れませんが、貴婦人同士の間なら、許すことが出来ないほどの無礼です。」
と言い渡した。そして席を蹴るようにして、顔に非常な軽蔑の色を示して立ち去った。

 こうなると、澄子もいささか心配である。何しろ、何事に付けても、ーー冽に対する勢力までもーー我が身より優った相手だから、さてはいささか言い過ぎたかと、悔やむような気もしたが、しかし、澄子が何事にも品子に譲り、静かにしていたのは、随分久しい事である。

 結婚してから7年である。今は堪忍袋の緒が切れたと、言うほどの時だから、悔やみながらも唯、成り行きに任せておこうとの気があった。

 品子は去ってしきりに探し回る様子であったが、やがてテラスに冽を見つけ、手を取るようにして彼を植物園に引いて行った。

 又どのような毒舌を振るって懺訴(ざんそ)するつもりなのか。三人の間の雲はますます黒くなるばかりだ。



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