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野の花(前篇)

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トーマス・ハーデー著  黒岩涙香 訳 トシ口語訳

野の花

           六 「では何かお土産でも」

 気質の違った者が、決して夫婦となって睦まじく終わる事が出来ないように、身分の違った者も、永く夫婦として幸福を保つ事は難しい。澄子は当年取って十八の、世間を知らない女であるのに、そこに気がついて、最愛の男を断ろうとまで思ったのは実に感心というものだ。

 澄子は最後に力を込めて「決して、私が貴方の妻となって無事に行けるとは思われません。必ず不幸の元となります。私は、こう気が小さくて、もし少しでも貴方から、アア、つまらない者を妻にしたと思われるようになっては、一日も生きていることは出来ません。イイエ、そうなるに決まっていますから、今別れる以外に無いのです。」と年に似合わぬ分別の言葉を吐いた。

 後々になってみれば、どれほどこの言葉に思い当たるかは神の外は誰も知らない。これだけの訳を聞いて、今まで、この上なく絶望していた冽はたちまち笑顔になって、「どれほどの理由かと思えばただそのような事ですか。」と言って、一、一、その理由の取るに足らないことを説き聞かせた。

 たとえ、百年が千年経ったとしても、我が愛が変わる筈はなく、つまらない者を妻にしたなどと、仮初めにも思い始めるいわれはないと言って、保証の上にも、保証して、なお夫婦になったら後の幸福の様子などを十分に説き立てた。

 勿論、真心から出る言葉で、人を動かす力がある上、一方はこの人の言うことなら、万に一つも間違いはあり得ないと信じ込んでいることなので、折角の決心も一つ残らず消えてしまい、全く冽と同様にこの結婚は幸せなものと楽しんで待つ気持ちになった。 

 既に当人の承諾を得た上は、何の躊躇する所はない。冽はその夜直ぐに、澄子の父に話した。
 父が驚いたのはもちろんだが、その様子をくだくだしく記すには及ばない。これも、澄子を同様に気遣ってだが、一時は身分の違いを説き、熱心に拒んだが、親の身として娘の幸福を妨げる道理は無い。

 特に瀬水子爵と言えばこの辺まで聞こえた家柄で、娘をその家の女主人にするのは、願ったとしても出来ないことなので、数日の後に、とうとう承諾の旨を答え、更に冽の急がすままに婚礼の日取りまでも承知した。

 思えば縁は不思議なもの。ただ、友人の頼みを果たす為、仮初めに、この土地に来たものが、わずか一月余りの間に生涯の運命を決めて帰ることになるとは、実に想像も及ばないところだ。
  *   *     *     *
  *   *     *      *
 それはさて置き、冽の家、すなわち、ケント州の瀬水家というのは貴族の中でも、裕福に数えられて、特に家風も厳重な家であるが、この先代主人が何故か、妻を持たずに死んだ。幸いに別家した実の弟にその頃三才の男の子が一人あったので、この子を直ぐに跡継ぎに決めた。この子がすなわち今の冽だ。

 冽はこの家の跡継ぎとなるやいなや、父母と共にこの家に移ったが、父は時疫のため死に、母を後見人として育ったのである。この母というのが男勝りとも言われる人で、女の手一つで家中をきりまわしたが、少しも落ち度と言うことが無く、財産も年々増えるばかりで、既に冽がインドから帰って、母の後見をを解いたときは、その財産は、初めて相続した二十年前より五割方も増えていた。

 この母親がただ一つの頼みというのは早く冽を成長させ、そうして、自分の姪に当たる、青柳品子と言う令嬢と夫婦にしたいとの一事である。この品子は早く父も母も亡くし、冽の母に引き取られて、5才の時から冽と共に育てられて来た。当年が二十二歳でなかなか立派な美しい令嬢である。

 勿論、このような令嬢なので、冽の母親はこの品子を十分子爵家の令夫人になれるように教育し、その上、後々は、冽の妻ということをそれとなく了解させてある。

 それらのため、品子も物心の付いた頃から、人には言わないが、冽を愛し、その妻として非難される所がないように、何事にも精通していなければならないと、およそ、貴婦人の心得るべき全ての事は、十分習得して、そして冽がインドから帰るのを指折り数えて待っていたのだ。

 帰りさえすれば、直ぐにも我が愛が届くように思い、おまけに、冽の母親がその心を励まして、「インドの果てに貴方ほどの令嬢がいるはずはなのだから、帰りさえすればきっと冽が貴方を愛する事になるから、そうなったら私はもう死んでも良い、どうか、冽を早く瀬水子爵と呼ばれるようにし、貴方を子爵夫人と言う身分にしたい。時々、私は夢にまで見るのだよ。」などと言い聞かせていた。

 今日も、この二人が、庭の散歩から部屋に帰り、冽の噂で暮らしている。「ネエ、伯母さん、樫林郷とはどんな所でしょう。どんな面白いことがあってこんなに永く滞在しているのでしょう。」聞くのも早や、心配そうである。

 「そうね、私もそう思うのだが、狩りの友達か何かが有って、夢中になっているのでしょう。ナニ、田舎者ばかり住んでいるところだから、貴方が心配するようなことは有りませんよ。」と言うところに、召使いが今着いたばかりの一束の手紙を持って来た。

 品子は早くもその中の一通へ目を留め、「コレ、冽さんの手紙ですよ。」
 母親は、「ホオー、冽の手紙を見つけるのが早いこと。」とからかうように微笑んで、まず、その一通を開いて読んだが、やがて、品子の前に広げて、「何だろうネエ、驚かせる人があると書いてあるが。」

 女の神経はなかなか鋭い。品子は「驚かせる。」との一語に、まさか額に角は出ないが、早くも、我が身の為にならないにおいを嗅ぎ付けた様子で、ムッと真面目になった。

 「ナニ心配するような事ではない。驚かせて喜ばせると書いてあるから。」驚かせはするだろうが、果たして喜ばせる事が出来るだろうか。
 「では、何かお土産でも持って来るのでしょうか。」
 「アア、そうだよ、きっとそうだよ。」



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