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黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

nonohana70

野の花(後篇)

トーマス・ハーデー著  黒岩涙香 訳 トシ口語訳

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ミセス・トーマス・ハーデー著  黒岩涙香 訳   トシ 口語訳

野の花

           七十 「自業自得」

 いよいよ明日、品子が来ると思えば、河田夫人はその夜、寝ても眠れなかった。

 自分が死んだ者と認められた後で、品子が冽の妻になるのは、或いは当たり前かも知れない。自分が生きている間でさえ、イヤ生きていて、れっきとした冽の妻である間でさえ、品子は冽の妻になろうとして、あれこれ策動していた。

 いわばそれが為に、私をいじめ出したのだ。冽としても、その頃既に、
 「貴方を妻にすれば好かったのに。」
などと、冗談にもしろ、明らかに言っていた。自分が無い者となったのを好いことに、二人は急いで結婚したのだろう。

 既に嫉妬などという考えは、家出の時に捨ててしまった。捨ててしまって、城を明け渡したようなものではあるが、今、目の前にその敵が、我が後の城に直り、自分にとって主人も同様の位置に立って、奴隷を見るように、私を見に来ると有っては、それを当たり前のことと、冷ややかに見ていることが、出来るだろうか。

 と言って、今更どうしようもない。自分からこの様な辛い、辛い運命を招いたのだ。自分で招いた運命には自分で従わなければならない。誰を恨むことでもない。恨みも、悔やみも、悲しみも、総て忘れてしまわなければならない。

 忘れるほかに道はない。けれども実は意外である。まさか品子が、我が後の二代目瀬水子爵夫人になっていようとは思わなかった。成るのが当然にしたところが、家を出るとき、何故かそこまでは見抜けなかった。

 今が今までそうとは思いも寄らなかった。そもそも家出は、夫冽の身を、自由にしてやるとの親切心から出たのだ。私のような、ふつつかな女がその妻となり、冽の身に荷物のようについていては、冽が十分に社交界に出ることが出来ない。

 社交界に立ち、天晴れ当代の名士と言われるべき人が、身分の低い、そして社交の駆け引きも知らない、田舎娘を妻にしたため、世を離れたイタリアの果てに、面白くない月日を送ることになったと思っては、ただそれが痛ましく、

 私という荷物さえ無ければ、きっと自由自在に世間へも出、十分に時めくことと成ることも出来るだろうと、一方にはこの様に思い、

 又一方では自分を攻め、私が妻であるために、夫の生涯を誤らせては成らないと、過ぎた罪を償うつもりで、死人同様の境に入り、夫に自由を与えたのだ。決して品子を我が後の妻にせよとではない。その様な浅いことは考えに浮かびもしなかった。

 それだから、その後も夫冽が、今頃はどうしているだろうと思うたびに、きっと社交界に出て、自由自在に行動し、一世を動かす程に成っているだろうと、物の本に在る平和時代の英雄を心に描き、やはり我が決心が好かったのだと、誇る程にも思っていた。

 それが全くそうではなくて、私が与えたその自由が、品子と結婚する元になったとは、あきれずに居られようか。嫉妬も嫉妬、残念も残念であるが、その上にまだ意外である。

 又むしろ落胆である。初めからこの様なことと知っていれば、ーーーと今更思っても、及ばないこと。何処まで世の中は、不幸な人を益々不幸の底へ、深く深く沈ませる事だろう。もし、私に間違われた、あの粂女の代わりに、本当に私がセダイの汽車で死んだなら、どれほど幸いであっただろう。

 考えるほど河田夫人と称する澄子の心は益々沈み、最早やこの上の沈みようのないところまで落ち着いたが、更に又一種の恐れおののきが湧き起こった。それは今まで思いもつかなかった一種の罪を感じたのである。
 「エエ、私の罪、私の罪」
と叫んで、ベッドの上に起き直り、又神の御前にひれ伏すように、首を垂れ俯伏(うっぷ)した。

 今までは、自分の所行を、神の目からも人の目からも、はばかられこそすれ、咎められる所は無いと思い詰めていた。けれど、今は、この上もない、大きな罪、大きな咎めが我が頭上に降り下ったのを感じた。

 私は生きていながら死んだ者と、わが夫を欺いた者ではないか。それだけならばまだしもだけれど、それが為に、夫に重婚という恐ろしい罪を犯させたのではないか。

 先の妻がまだ死なないのに、二度目の妻を娶ることは、神の許さない重婚である。たとえ、法律の上では罪があるか無いか、分からないにしても、神の宣告は明白である。神の目はこれを姦淫と見給うと、数々の言葉に現れ、非常に厳重にして犯すことは出来ない。

 夫は知らずに是を犯したとしても、知って犯させた私の罪は、逃れることが出来るだろうか。
 それだけではない。品子の瀬水子爵夫人と言う身分さえ、間違いである。私が表面死んだ者となっても、この通り生きて居る間は、冽に私より外に妻というものが出来よう余地は無い。、

 子爵夫人という名義が、他の婦人に加わる道がない。しかるに子爵夫人と言い、冽の妻というのは、偽りの身分、偽りの名称を知らずに犯しているもので、夫人ではなく実は影の身、妻ではなくて実は私通者である。

 河田夫人はこうまで、細かに考えることは出来ないにしても、事情は全くこの通り、品子は影の身、偽りの地位に他ならない。ああ、ああ、日頃貴族の尊きを唱え、気位の高きを以て自ら標榜している品子のような者が、

 人の妻である事も出来ず、単に私通者として身を汚し、自ら知らずに過ぎ行くとは、よしや報いとしても、天の配剤にしろ、恐ろしい次第ではないか。これがもし世に知れたら、品子は恥じて死んでも足りない。この世に全く身の置き所が無くなるのだ。

 好い気味だ。自業自得だと、読者の多くは言うだろう。筆者もそう言いたい。しかし、河田夫人は少しもそうは思わない。ただ、自分の身の行いから、夫にも品子にも、こうまでの過ち、こうまでの罪を犯させたのを、空恐ろしく思うばかりだ。



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