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野の花(前篇)

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トーマス・ハーデー著  黒岩涙香 訳 トシ口語訳

野の花

           九「細工は流々」

 大抵の立腹は「夜寝ると静まるものだ。この母親も寝てから色々と考えたと見え、翌朝は余ほど落ち着いていた。もとから落ち着く以外は無いのだ。いくら腹を立てたところが、息子がこの家の主人だ。自分はこの家の何でもない。

 ただ息子がこの家の跡継ぎと成ったために、従ってきて居るだけで、自分の家は別にある。もし、子爵家当主と争えば、この家を出て、自分の家に帰らなければならない。帰れば、到底この家にいるほど人に敬われたり、贅沢を極めたりする事は出来ない。それが何よりも恐ろしい。

 争って勝つ見込みが有ればどこまでも争うが、息子の決心がなかなか固くて、到底勝つ見込みがないと、見た上は、それでは賛成してつかわすぞと言うように、恩に着せて、負けた方が後のためだ。何でも長いものには巻かれろだと、最後の決心がこう着いた。

 ついては、品子にも何とか一言、言っておかなければならないと思い、起きて応接室に来てみると、品子も昨夜のうちに何か考えたものと見え、意外に落ち着いて、朝化粧までして普段より美しい顔をして、衣服も着飾ると言うほどではないが、余ほど上品に作っている。

 これも、「同じく長い物には巻かれろ。」の主義を取ったのに違いないが、そのほかにまだ、自分の上品なところを以て、田舎娘の下品なのを圧倒してやると言う考えがあるのに違いない。何しろ幼い頃から父母無しに他人の中で育った女だからなかなか心に憶測できないほど深い所がある。

 母親はこれを連れ立って庭に出た。庭ならば聞く人もないからと安心した様子で、「オオ、今朝のそなたの美しいこと、何だって冽はこれに気がつかず」と言いかけるのを、「イイエ、伯母さん、もうその様な愚痴は言わないでください。私は私として、私だけの考えがありますから。」

 「でも有ろうけど、あんまり残。。」品子は何も言わせないで、「もう、冽さんの結婚についての話には、一切私の名前は出さないようにしてください。残念でも何でも有りませんよ。」
 「いや、そなたがそう諦めてくれれば、私は本当に安心だけれど。」
 「諦めるにも何も、当てにしていたほどのことでも無いじゃないですか。どうか、私と貴方の間に有った、話は冽さんの耳には入れないようにしてください。」

 少しも失望の様子を見せないところが、流石に深い。この名誉も、財産もある家の女主人になり損なって、なかなか失望しないで居られる訳ではないけれど、失望したところで始まらず、失望せずに油断を見せて置くうちには、どのような風が吹くかも分からない。
 「何、細工は流々ですよ。」と腹の底に笑む心が有るらしい。

 とは言っても、女は女だ。
 「ねい、伯母さん、でもどんな女でしょう。」 
 母親はなかなか口が悪い。
 「そうね、あかぎれの膏薬でも買って置いてやるのが親切かも知れないね。」

 品子は身震いして、
 「オオ、嫌だ。子爵家の夫人にあかぎれが有るとは。」
 「それほどでも無いだろうが、言葉などは余ほどおかしいだろうと思うよ。」
 「体の格好はうまくお作りをしてやればどうとでも見せかけることは出来るとしても、言葉の悪いのは、客の前には出せませんねえ。」

 「そうとも、冽が何かを教えてやってくれなどと言うところを見ると、余ほど教育の足りない女だろうと私はそれが心配だよ。」と澄子の悪口を並べるのが、二人ともせめてもの腹いせになると見える。

 こうしているところに冽も降りてきた。彼は既に言いにくい所だけは昨夜言ってしまったので、もう気にかかる事が何一つ無いと見え、朝の日光の麗しい様に麗しく、満面に笑みを浮かべて、
 「お母さん、新しい馬車を一台注文しなければ成りませんね。」

 これも田舎娘を乗せるためかと思うと、自分の馬車と言う物の味を知らない品子はたちまち顔が青くなった。けれど、どこまでも親切に、
 「それから、ダイヤモンドなども、今から注文しておかなければ間に合わないでしょう。冽はこの親切を喜んで、
 「どうか、お母さんと、品子さんとで万事気をつけてやってください。色の白い女ですから、なるたけ大きいダイヤモンドでなければ引き立ちません。」

 日頃このようなところまで気のついたことのない男が、妻のためにはこうまでも変わるものかと、一々二人には苦々しかった。それを少しも気にさわらないように見せかけているとは、女と言うものは偉いものだ。

 そのうちに三人はまた食堂に入ったが、冽の話は結婚に関する事柄で持ちきっている。
 「今日はこれから公証人の所に行って、結婚契約草稿を作らせますから、食事が済めば出かけなければなりません。」
 「誰もゆっくりしておれとは言いませんから、箸を投げ捨ててでも、おいでなさいだが、婚礼の日取りは何時だえ。」
 「来月の中旬です。」

 「たいそう早いこと。猫の子でも貰うように。だが、女の年はいくつだい。」
 「満十七歳です。」
 「定めし、婚礼契約に書き込むような沢山の財産が有ることだろうね。」

 冽は少し行き詰まったが、やがて、
 「来てみれば分かります。何も結婚契約に書き込む物ばかりが宝では有りませんから。」
 「そうとも、氏も宝。素性も宝。物言いも教育も皆宝です。」

 諦めたとは言え、母親はとかく愚痴が止まない。これに引き替え、品子の方は、少しも未練の様子を見せず、色々と花嫁の為に成るような事を考え出しては、冽に注告する。

 その行き届いた親切には冽もほとほと感心したが、かれこれするうちに、いよいよ婚礼の日は押し寄せた。



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