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黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

nyoyasha13

如夜叉(にょやしゃ)

ボアゴベ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012. 4.19

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如夜叉    涙香小子訳

 
                        第十三回

 質屋の店に入って来た人とは誰だろう。外でもない長々生だった。彼は鶴子がここに居るとは気も付かず、群集を押し分けて無理に番頭の方に進み、
 「サ急ぐんだ急ぐんだ、去年預けた夏服を出して貰いたいのだ。」
と声を上げる。
 (番)「幾らお急ぎでも今日利子を払って明日受け出すのがこの店の規則ですから。」

 (長)「規則だと。馬鹿に面倒くさいことを言うじゃないかァ。好し好し、こっちは日曜日までに間に合えば好いのだから」
と言う。さては彼はまた鶴子と同じく日曜日の美術館行きに良き服を着て行こうとの心であるか。鶴子は彼がために装い、彼又鶴子のために質受けをする。思い者同士の心の内は大抵似か寄ってくるものと思われる。知られた彼、暫くして又番頭に向かい、

 「ではまア利子を払って行こう。全体幾ら積もっておる。」
 (番)「イヤ貴方の順番になれば勘定して上げます。暫くそこにお待ちなさい」
と言われて長々生は不承不承に退こうとしたが、この時忽ち鶴子の顔を認め、
 「ヤ鶴子さん、ここでお目にかかるとは面目ないと言い逃げ出さんばかりの様子である。」

 (鶴)「ナニ面目無いのはお互いです。私もここに居るではありませんか。」
と聞いて長々生は心付き、
 「成る程それはそうですが、でも貴女(あなた)がここに来るとはどうしたのです。その様にお困りなら私に仰(おっしゃ)れば何とか相談の仕様もイヤ別に仕様のないにしても質屋の使い位は私がしますものを」

 鶴子は笑いながら、
 「ナニ私も貴方のように受け出しに来たのですよ。」
 (長)「じゃア私が番頭に言ったことを聞きましたね。」
 (鶴)「ハイ聞いて大抵察しました。美術館行きの着物でしょう。」

 長々生は頭を掻き、
 「これは益々面目ない。ナニネ目かすと言う訳ではないが貴方やお兄さんと一緒だから余り見苦しい風も出来まいと思いましてサ。だが貴方の兄さんは少し気の詰まる人ですネエ」
 (鶴)「ナニ貴方と同じ気質ですが唯口数が少ないだけです。」

 (長)「それはそうかも知れませんが私は兎角しゃべり過ぎていけませんが、おしゃべり序(ついで)にも一つしゃべりましょう。実はねかねてから親しい肉屋の主人が店先へ置く看板に豚を彫刻してくれと言うのですよ。看板の彫刻などは名前にかかわると思い断って居ましたけれど今日は止むを得ず承知しました。」

 (鶴)「美術館の着物を出すためですか。」
 (長)「そうですとも。余り汚い姿では貴方がお嫌だろうと思ったから自分の名前は彫り付けぬという約束で承知し、手付金二十フランだけ取って来ました。明日又残り二十フランを受け取ると言う約束ですから、若しお入用なら用立てますよ。」
 (鶴)「ナニ夫には及びません。」
 (長)「イエネも一つ我慢して彫んでやれば又それだけの金が入りますから」
と言ううちに鶴子の順番となったので、鶴子は番頭の前に進んで行った。

 その後に長々生は出口に立ち、出入りの人を眺めて居ると、この時番頭に断られたのか片手に金の指輪を持ち泣きながら出で来る三十余りの貧しそうな女があった。長々生は同じ彫刻師の癖としてその人相に眼を止め、
 「フム、あの女、身の上は大抵様子で分かって居るな。一つ俺の眼力を試して見ようか。」
と呟きながらやがてその傍に進み寄り、

 「これ阿母(おっかあ)それはお前が婚礼の時の指輪で外の品物は無くしても、それだけは今まで大事に持っていたのだろう。」
 女は驚いて長々生の顔を見上げ、
 「ハイそうですが」
 (長)「そうだが亭主に見捨てられ子供は大勢あるし」
 (女)「ハイ二人有ります」
 (長)「それとても又奉公する年にはならぬからお前の手一つで食わして行かねばならず家主は店立て食わせるとの厳しい催促で」

 (女)「ハイもう身を投げる外は有りません」
 (長)「馬鹿なことを言う。身を投げる気になれば何でも出来ないと言う事は無い」
  (女)幾度かそう思いましたが子供は昨日から食わせる物も有りませんので仕方なくこの指輪で十五フランだけ貸してくれと頼めば番頭さんは五フランしか貸せぬと言い仕事をするにもさせて呉れる人が有りません。」

 (長)「よしよし分かった。お前の仕事は何だ」
 (女)「毛糸の賃編みを致していましたが今では余りに落ちぶれて問屋で糸さえも貸しません」 
長々生は聞くに従い哀れみを催したので、
 「アア分かった分かった、明日の朝チパチノール街の西山三峯と言う彫刻師の所まで訪ねて来なさい。ナニ俺がお前を助けると言うのじゃない。其の家の嬢様が人を救うのが大好きで、それに何時も毛糸の仕事がお有りなさるから俺が嬢様に願ってお前に頼むようにしてやるから。

 女は有難涙を流し、
 「そうして下されば子供が助かります。」
 (長)「それで溜っている店賃は幾らだ」
 (女)「十フランでございます。」
 (長)「よしよしこれを持って行きな。」
と肉屋の主人から受け取ったという一ルイ(二十フラン)金貨を与えると女は余りのことに夢かと驚き、

 「イエ、見ず知らずの人様にこの様なものを戴きましては」
 (長)「ナニ遣るのじゃない、都合の良くなるまで貸して置くのじゃ、ナニ私がその指輪を貰ったとて仕様が無い、遠慮に及ばぬ持って行って」
と彼は天然の親切心から今は質受けのことまで忘れたように無理に与えて取らせると女は長々を伏し拝み伏し拝み幾度か礼を述べて去って行った。長々は独り言に、

 「アア余り眼力を試験すると可愛そうになってどうもいけない。ナニこれも功徳だ。かえって好いわと呟き終わるところへ鶴子は用事を終わって立ち帰り、
 「サア貴方の順番が来ましたよ。」
と言われて長々は迷惑し、
 「イヤ今日は止(よ)します。これから馬尾蔵の店で栗川巡査に会う約束をして有りますから、明日又来ると致しましょう。」

 鶴子は一寸の間長々の顔を見て、
 「貴方は何故白状しません。金を哀れな女に遣って仕舞ったと」
 (長)「オオそれを貴方はご存知ですか。ナニ明日刻み上げて賃金を受け取れば同じ事です。だが鶴子さん、それより外に白状することが有りますよ。」
 (鶴)「エ何です。」
と。

 長々は小声で、
 「貴方を愛していると言う事を」
 鶴子はこれを聞かなかった様子で、
 「ですが貴方は見かけによらず親切ですよ。アノ様な女を助けてやるのは上着を出すより何れほど好いか知れません」

 長々は重ねて今の言葉を繰り返す勇気は無く、唯鶴子の顔が少しく赤くなった様なのを見て、我が言葉は聞こえたに違いないと空しく胸のみ騒がせた。
 (鶴)「用事が済んだらサア出ましょう。私は兄が待って居ますから」

 長々は力もなく、
 「サア貴方が先へ」
と一歩我が身を背後に引いたが、この時店の特別客を扱う一室から出て来て、二人の傍を通り越し先へ戸外(おもて)に出て行く立派なる夫人があった。今しも質より受け出した物と思しく、手に青紙の張り箱を持ち、歩みながら余念もなくその中の品物を数える如く二人が方には気も付かず去ったが、二人は充分にその夫人の顔を認めので鶴子が先ず、

 「オヤ何でしょう」
と囁くに応じ、長々も、
 「驚きました。アノ夫人がこの質屋に出入りするとは」
と二人は眼を見開いた。この夫人誰だろう。
 これは軽根松子夫人に違いないとは読者は大概察したことだろう。

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