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nyoyasha14

如夜叉(にょやしゃ)

ボアゴベ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012. 4.20

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如夜叉    涙香小子訳

 

                        第十四回 

 質屋の店を出去った貴婦人は全く軽根松子だった。長々生はもし松子が振り返って我が姿を見ては面白くないと思い鶴子を戸の陰へ引き寄せ、
 「何(どう)です鶴子さん露国で財産を作って来た夫人がこの質屋に出入りするとは怪しいじゃありませんか。栗川巡査が変な事を言いましたがどうしてもその通りです」
 (鶴)「私もなんだかアノ夫人を尋常者(ただもの)とは思いませんが、でも質屋に出入りする位の事は別に不思議でもないでしょう。貴方も私もこの通り質屋の店に居るではありませんか。」

 (長)「でも貴女貴夫人とも言われる者が」
 (鶴)「貴夫人と云っても根が歌女(うたひめ)ですもの露国へ行く前に貧乏してその頃預けた品物を今受け出しに来たのかも知れません」
 (長)「それはそうですが、貴女は栗川巡査の話を聞きませんか」
 (鶴)「聞きませんでした」

 (長)「聞いたら必ずアノ夫人を怪しいと思いますよ、栗川の話にはね、先年『まあ坊』と言って頬に傷のある女があって、それが軽根夫人に似ていると言うのです。その『まあ坊』は素性の良くない者であった言いますから」
 (鶴)「でも軽根夫人の頬にはその様な傷はないじゃ有りませんか」
 (長)「イヤ傍で充分に見た上でなければ、有るか無いか分かりません。それに『まあ坊』、松子とは同じ名前でしょう。松と言う名を好く松ァ坊と言いましょう」

 (鶴)「松と言う名前なら松ちゃんとは言うけれど松ァ坊とはあまり言いません。ですがここでその様な推量をしても仕方が有りません。サア出ましょう」
 (長)「イヤ大層お引止め申しました。サ参りましょう」
と長々生は鶴子と共に店を出で門の所まで行こうとすると、門の内側の常夜灯の下に当たる所にきらきらと光を発する物があるので怪しんで拾い上げ、

 「オヤ御覧なさい指輪です」
と言いながら燈火(ともしび)の方に指し付ける。
 (鶴)「デハ先刻貴方が救ってやったアノ貧しい女が落としたのでしょう」
 (長)「ナニ違いますよ。アノ女のは平たい婚礼の指輪でしたがこれは紳士の指輪です。御覧なさい変な紋などを彫り付けてありますよ。」

 (鶴)「誰の品にもせよこの店をを出る者が落としたに決まっています。今に探しに来るかも知れませんから番頭に預けておいでなさい。」
 (長)「イヤお待ちなさいよ。それ青紙の張り箱も捨ててある。そうだこの張り箱は質屋で細かな預かり品を入れて置く箱ですよ。アア誰だか受け出してその箱を開け中から様々な品を取って自分のポケットへ入れる時、その指輪を落としたのだ。誰でも質屋の青箱を持ったままで外に出るのは好みませんから」

 (鶴)「そうでしょう、それで空箱を捨てて行ったが指輪を取り落とした事に気が付かずに」
 (長)「ですが鶴子さん、これは今の軽根夫人が落としたに違い有りませんよ。」
 (鶴)「私もそう思います。夫人が出てから未だ誰もここを通りませんから、夫人に違い有りません。しかし貴方のような正直な人に拾われた夫人の幸いです。サア早く番頭に返してお置きなさい」
と言えど長々は返す心が無いと見え、なおあれこれ捻くり廻し、

 「夫人が自分でわざわざ請け出しに来るところを見れば余ほど大事の指輪と見える。しかしここに嵌めてある石はダイヤモンドの様な値の高い物でなく唯の青水晶だ」
 (鶴)「でもその紋所など彫り付けてある所を見れば家に伝わる大事の品でしょう。自分の夫の品かも知れない。」
 (長)「と言ってアノ夫人に軽根何某と言う夫があるかそれも疑わしい。尤も軽根という唯の平民の苗字でなく、士(さむらい)家筋に好くある姓だから紋所くらいは有るにちがいないが」

 (鶴)「いずれにしろ拾い物を返さぬということは出来ません。」
 (長)「ですがね、直々夫人の家に持って行き逢った上で返したいと思いまして」
 (鶴)「オヤ貴方はアノ夫人を訪ねて行きたいと仰るのですか。お止しなさいよ」
 (長)「ナニ勿論アノ様な夫人と親しくなる気は有りませんが少し聞きたいことが有ります。たとえばこの質物の切手を何うして手に入れたかと言うことなどを」

 (鶴)「その様なことを問えば怒りましょう。何も貴方に問われる筋はないから」
 (長)それはそうですが、主人西山三峯の使いに来たといえば面会して呉れるには違い有りませんから逢いさえすれば構うことは無い。何のような事でも問うてみます。」
と言って益々決心した様子なので鶴子は少し不愉快の思いをして、

 「デハ私が何と言っても今直ぐには返さないと仰るのですか」
 この鋭き問いに逢っては長々生の顔色も変わるまでに当惑し、さては我が身がこの指輪を欲しがるものと疑っているのか。鶴子にそのように疑われては我が生涯の望みも消える。

 「イヤ何うして貴女がそうまで仰るのを返さないとは決して言いませんが、それにしても返す前にせめてはこの紋などを見覚えて置きたいと思います。私は紋所の鑑定などは少しも出来ませんけれど篤(とく)と見れば覚えるくらいの事は出来ます」
と言って再び常夜灯の明かりにかざし、

 「フム盾形西洋の紋所のものは古昔戦争の時に起こったもので、多くは盾の形を取り、その中に種々の記章(しるし)附す。これゆえに一度戦争に出でたる家筋でなければ紋所は無いのを常とする。隅の方に三羽の鳥が居る。一羽は鷲で二羽は鸚鵡の様に見えるがオヤオヤ楯形の上には伯爵の被り物が彫刻(きざん)である。ご覧なさい鶴子さん」 

 (鶴)「伯爵の被り物がどうしたと言うのです。」
 (長)「何うもしませんが茶谷立夫も伯爵でしょう。」
 (鶴)「そうです、茶谷伯爵と人が呼ぶ所を見れば伯爵でしょうが。」 
 (長)「ですから事によれば、茶谷立夫と軽根松子の間に。何の様な関係が有るかも知れません。」
 鶴子は益々長々生の心の中を疑う如く、

 「でも此の指輪に伯爵の飾り物が有るからと言ってそれを直ぐに茶谷伯爵と軽根夫人と訳のある証拠とは云われないでしょう。」
 (長)「そうですとも、これだけでは何の証拠にもなりませんから証拠になるまで私は詮索(せんさく)したいと云うのです。ご存知の通り茶谷は師匠の娘の婿になろうとするところですから、もし松子夫人と怪(け)しからぬ関係でもあれば」 

 (鶴)「それはもとより捨てて置かれません。貴方ばかりか私でも充分亀子さんを戒めてやりますが、しかし今は唯貴方の疑いだけのことで、この指輪の落とし主が真に軽根夫人かそれさえも分からないでしょう。」
 (長)「ですから貴女がもし許して下されば、明日までに調べます。伯爵と云っても幾らもあるし、この被り物だけでは茶谷の指輪とは許より言われませんけれど、紋所には銘々又他人の紋所と異なる所がありますから追々茶谷の紋所も調べ、この指輪にある紋所と同じ事と分かれば」

と言いかけて又驚き、
 「オヤ何だか文字も彫り付けて有りますよ。貴族の家にはそれぞれ昔からその家に伝わる題目と言うものが有りまして、この文字が必ず題目に違いないが、余り細かいから肉眼で見えないのは残念です。」
と言い尚もその目を見開き読み試みようとしたけれど終に失望の声を発し、

 「アア、残念だ明日までこの指輪を持っていれば虫眼鏡でこの文字を読むけれど今返してはそれも出来ず、アアこの様な残念な事はない。」
と言い更に恐る恐る鶴子に向かい、
 「鶴子さん明日まで私が此の指輪を持っていてはいけませんか。」

 (鶴)「私からは拾い物を片時でも持っているのは快く有りませんが、この指輪は貴方が見出したのだから私が彼是言うはずは有りません。」
 (長)「その様に仰っらずに、ナニ私も明日早朝に軽根夫人の許に持って行きもし夫人が落としたのでないと言えば直ぐに警察に届けます。エ鶴子さんそうさせて下さいな。」

 鶴子はすこし考えた末、まさかに長々生が指輪一つを欲しがる如き男ではないと見、殊には彼が熱心の情にも感じたので、
 「つまり貴方は亀子さんの為を思うだけですから強いて私が止めるのも好く有りません。そうなさい。私も成る程それが好かろうと思います。」
と初めて許しを与えたので長々は雀躍(じゃくやく)して喜び、

 「鶴子さん本当に有り難い。今に御覧なさい。私が松子夫人の本性を現しますから。」
と言いこれで二人は分かれたが、果たして彼の疑う如くなるや又果たして彼が言う如くなるや如何に 。

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