巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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如夜叉(にょやしゃ)

ボアゴベ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012. 4.8

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如夜叉    涙香小子訳

                    第二回   

 娘亀子を家に残して西山三峯老人は馬車に乗り、以前から懇親会と定めてあるグランドホテルを指して急がせたが道々も亀子がいつの間にか婿と定めたということが気に掛かり、
 「アア年頃になる迄婿をを決めずに置いたのが俺の手落ちだ、人もあろうに華族などを婿にするとは。もっとも華族でも正直で有りさえすれば好いけれど。フム伯爵茶谷立夫と言ったな。明日か明後日、直々に亀子を貰いに来ると言ったが、その時に好く人相を見てやらなければ。

 何しろ余り思はしくなさそうだ。人相を見ても俺の気には到底入るまい。誰か職人か町人の息子で似合わしいのが有りそうなもの。有りさえすればじっくりと亀子を諭して茶谷立夫を思い切らせ、その方へ乗り換えさせるがと一人頻りに呟(つぶや)いていたが、一人娘の将来を気遣うために違いない。

 こうするうちに馬車はグランドホテルに着いたので三峯老人はこれを返し、二階にある会場へと上って行くと、会員は早や来ていてうち揃って既に飲食を始めようとするところだったので、肝腎な我に好き得意を紹介し、得させよう言ったその旦那は影も見えず、幹事に聞くと止むを得ない用事にて欠席するとの届けが有りとの事なので、三峯老人は失望し、こんなことならば亀子の勧めに従い我も欠席するのだったと空しく席上を見回したが、日頃交際に慣れない悲しさ、顔を見知れる人も無し。

 他人ばかりの中に入り無言のままに飲食したとて何の面白さも無いことなので、むしろ会費だけ損として帰って行き、亀子を驚かせて喜ばそうと、会員名簿に我が名を記し、会費を払ってそのまま出口の方に歩み去ると、この時背後より、
 「失礼ながら貴方が西山三峯老人ですか」
と声を掛ける者がある。振り向いて見れば二十四、五の親切そうな若者なので、ハイ、如何にも私は西山三峯だが、シテお前さんは。
 (若者)「私は貴方の幼友達であった春野耕作の息子耕次郎です。」
と答う。

 老人は尚若者の顔をつくづく見ると、如何にも我が若き頃唯一人の友とした春野耕作という者に生き写しの姿なので、早や喜ぶことは一通りでなく、これはこれは私も耕作さんには三十年ほど逢わぬのじゃが、おおもうお前さんのような息子があるか、シテ耕作さんは今夜もここに来て居られるであろうな。若者は少し悲しげに、
 「ハイ、父は一昨年亡くなりました。」
 (三峯)「ヤレヤレ、それはお気の毒。しかしまあ好い所で逢った。ドレ一緒に酒でも飲みながらゆるゆると話をしよう。」

 と老人は帰るという先ほどの決心を打ち忘れ、あたかもわが子をもてなすように自ら手を引いてテーブルの所に行き、椅子を並べて酒を酌み始めたが、友達の少ないほど友情は深いものて、老人は百年の知己を得た思いをして、問いつ語りつ時を移す。その間も絶えず若者の様子振る舞いに気をつけると、彼は体格の丈夫氣なのは、我が若かりし時の如く又その言葉の間には、いまどきの少年に似ず、自ずから質朴なる所も見え、頼もしく思える所も多い。

 嗚呼我が娘は何故にかかる若者に廻り逢わなかったのだろう。逢いさえすれば、思い染めることは確実なのにと密かに娘の不運を嘆いた。そのうちに話は次第に進み、若者は恐々(こわごわ)ながら、
 「貴方の嬢様はどうなされましたと問う。」  
 老人は驚いて、
 「エエ、お前さんはもう私の娘をご存知か。」
 (春野)「イヤ言葉を交えたことは有りませんが捨苗夫人の面会日に度々お目に掛かりました。」  

 老人は急きこんで、  
 「何だと、お目に掛かったが言葉は交わさぬ。その様な臆病があるものか。もう少し図々しく押し強く私はお前の親父の親友だとか何とか言って親しい仲のきっかけを開けば良いのに。」
 (三)「しかし今までのことは言っても帰らない。明日にも私が親しい仲にしてやるから、私の家に遊びにお出で。遊びに」
と言葉も何時しかぞんざいにになった。

 (春)「私は奉公している銀行の方が忙しく日曜日の他には充分にお訪ねす申す暇もありません。」
 (三)「それなら日曜日に訪ねて来るサ。」
 (春)「それに一人の妹と一緒に下宿し妹と共に働いてやっと暮らしを立てるような有様ですから。」
 (三)「では妹も一緒に遊びに来るサ。亀子も普段は友達がなくて困っているからお前の妹とは気が合うに決まっている。」
 (春)「ハイ、是非又お尋ねいたしましょう。」

 (三)「来るが好い。来るが好い。お前もその通り腕一本で暮していれば随分苦しいではあろうけれど、私も腕一本で遣り上げた人間だ。先祖の身代を大切に守っている華族や何かよりは腕で稼ぐ人が大好きサ。亀子も私の娘だから華族よりは稼ぐ人を好(す)くに違いない。シタがお前はもう許婚の女でもあるかエ。惚れたとか腫れたとか言う女が。」
 春野耕次郎は言葉少なに、
 「イイエ、まだ有りません。」
 (三)「フム、無いなら早く決めるが好い。お前のような稼ぎ人がその上に沢山婚資でも有る妻を貰えばそれこそ鬼に金棒だ。立派に身を立てるのは訳もない事。」

 と老人は我が心の好むのに任せ、早やこの春野を我が婿にしようと思うのか話をその方に向けて止まず。
 「アア、今夜のような愉快は無い。」
と一人ホクホク喜びながら、見ては語り、語りては飲む。その間に次第に酔いを増し、やがて宴会の終わらんとする頃には舌さえ廻り兼ねる程となったので、春野耕次郎は心配して我が肩に助け起こし、
 「お宅まで送りましょう」
という。

 老人は目を見開き、  
 「ヤイ、手前に送ってもらってな。この西山が死んだ手前の親父に済むと思うか。手前の宿は何処だ。何だと、ラベー街、好し好し、馬車を雇って俺が送ってやる。好いかこの畜生、日曜日には妹と共にきっと訪ねて来い。来ないと承知しねェぞ。」
と酔いどれの本性を現したので、春野はほとんど困り果てて、
 「イイエ、それには及びません。」
と言うのに、
 (三)「何だ手前は俺と合い乗りするのが否というのか。親が亡くなりァ親の友達は親も同じ事だ。親と思って俺の言葉に従がわなければ酷い目に逢わせてやるぞ。」
と益々言い募るだけなので春野はその意に従うしかないと、ここを出てから老人と共に馬車に乗った。

 これから送られて我が住まいに帰り着き堅く次の日曜日を約束して馬車を降りたが、老人も酔いたりとは言え、本性違わず一人馬車の中で考えてみて、このまま酔いを醒まさずに家に帰るのは娘の手前も面目ない。馬車を降りてゆるゆると歩みながら涼風に吹かれればそのうちに酔いは醒めるだろうと一人頷いて払いを済ませ、その身はブラブラと歩み始めたが、この辺りはこれ蜘蛛の網よりなお込み入った細い町で、慣れた人もまだ迷うことがある程なので、まして薄暗い朧夜といい、何時になく泥酔していることなので、三町(300m)と進まないうちに早くも横道に踏み迷い、行けども行けども我が思う所に達せず、一時間ほど潜り潜りして、果ては方角も分からない事となった。

 我が身は我が家に近づきつつあるのかはたまた我が家より遠ざかりつつあるのか道を聞くにも人はなし。迷い迷いに従がっては家に残した亀子のことも気に掛かり、今頃はきっと我が帰りの遅いのを待ち、空しく心配していることだろうと思うと、脳も掻き乱れ、とかくの考えも浮かんで来なく、老人はほとんど泣き出さんばかりだった。
 その時―――
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